1年ぶりの授業参観。次男の3年生のクラスでのこと。
問題は、「0×1=?? その理由を説明しましょう!」
みなさんなら、なんて説明するでしょう?
対象は2年生ではなくて3年生。つまり、九九は去年覚えているという前提の子供達。どうやら、最近はやりの「考える力」をつけさせる、という趣旨の授業らしく、説明を自分なりにできるかどうか?ということに主眼をおいているらしい。
どうやって説明させるのかと思ってみていたら、「ヒント」というのがあって、それを使って説明するとOKらしい。
そのひとつのヒントが「○×△=△×○」というもの。で、先生的に正解の答えのひとつが
「0×1は、1×0と同じ答えになります。1×0はゼロなので、0×1も答えはゼロです」
というもの。一瞬、なんのこっちゃ?という感じ。
どうやら、このクラスでは、1×0=0、というのは理解済み、共通認識化されていることであるが、0×1=0は、そうではない、という前提があるはずらしい。
そして、次の問題が「0×3=?? その理由は?」というもの。
うちの愚息が指名される。当然、先生の期待する答えは、
「0×3は、3×0と同じで、3×0はゼロなので、答えはゼロです」
というもの。で、うちの息子がどうやって答えたかというと・・。
「ゼロはいくつあってもゼロなので、0×3はゼロです」
はははは・・。先生も困っていたけど、はっきり行って、断然わかりやすい。いいぞ、バカ息子! (先生の話を聞いてないことだけは確かだな、うん)
「考える力」というか、説明させる、ということに一生懸命なんだろうけど、はっきりいって、「わかる」「理解する」ということが、どういうことなのか? ということについての理解が、指導する側に全く足りていないと思う。畑村先生の本を読め、なんて、ことを小学校の先生に言っても無理があるか、、という気がしないでもない。正直、小学校の低学年のうちは、ある程度詰め込みでもいいのかぁ、と逆に思う。本質的に理解が及んでいない指導者に、というと失礼だけど、たとえ理解が及んでいたとしても限られた時間で何十人も指導をしなくてはいけないという指導者に、あまりに多くのことを期待するのは無理がある、、と再認識した1日だった。
問題は、「0×1=?? その理由を説明しましょう!」
みなさんなら、なんて説明するでしょう?
対象は2年生ではなくて3年生。つまり、九九は去年覚えているという前提の子供達。どうやら、最近はやりの「考える力」をつけさせる、という趣旨の授業らしく、説明を自分なりにできるかどうか?ということに主眼をおいているらしい。
どうやって説明させるのかと思ってみていたら、「ヒント」というのがあって、それを使って説明するとOKらしい。
そのひとつのヒントが「○×△=△×○」というもの。で、先生的に正解の答えのひとつが
「0×1は、1×0と同じ答えになります。1×0はゼロなので、0×1も答えはゼロです」
というもの。一瞬、なんのこっちゃ?という感じ。
どうやら、このクラスでは、1×0=0、というのは理解済み、共通認識化されていることであるが、0×1=0は、そうではない、という前提があるはずらしい。
そして、次の問題が「0×3=?? その理由は?」というもの。
うちの愚息が指名される。当然、先生の期待する答えは、
「0×3は、3×0と同じで、3×0はゼロなので、答えはゼロです」
というもの。で、うちの息子がどうやって答えたかというと・・。
「ゼロはいくつあってもゼロなので、0×3はゼロです」
はははは・・。先生も困っていたけど、はっきり行って、断然わかりやすい。いいぞ、バカ息子! (先生の話を聞いてないことだけは確かだな、うん)
「考える力」というか、説明させる、ということに一生懸命なんだろうけど、はっきりいって、「わかる」「理解する」ということが、どういうことなのか? ということについての理解が、指導する側に全く足りていないと思う。畑村先生の本を読め、なんて、ことを小学校の先生に言っても無理があるか、、という気がしないでもない。正直、小学校の低学年のうちは、ある程度詰め込みでもいいのかぁ、と逆に思う。本質的に理解が及んでいない指導者に、というと失礼だけど、たとえ理解が及んでいたとしても限られた時間で何十人も指導をしなくてはいけないという指導者に、あまりに多くのことを期待するのは無理がある、、と再認識した1日だった。
ヒゲおやじ的には、答えがひとつでもいろいろな解き方があるものと、答えがなく解き方もいろいろなことが世の中にはあると思っています。
問題なのは、何でも答えはひとつで解き方もひとつでなければという固定観念があることです。
ではどうすればよいのか。これも答えはありません。
ヒゲおやじはひとと違うことをするのが大好きなので、いなちゃんの二男君の答えに拍手です。