とあるサイトのとある記事。
人工授精によって生まれた子、その人達の苦しみ(事実を突きつけられて既存の概念が崩れた事など)が記事として上がってました。
そこにfacebookからこのようなコメントが寄せられていました。
「ペットを家族だと言っている人も多いが、そんな人は子供をペットだと思っていると、思えてならない。
子供というペットが欲しいだけではないのか。正常な倫理観があるなら、AID(人工受精)なんかやらないと思いますが。」
なんだよそれ……視野が狭すぎる。
これ以外にも「人工授精などふざけた行いは許されるべきでない」とか「生命倫理は神に任せるべき」とか様々人から様々なコメントが。
最近思うことですが、「イコール化」する際に順序を全く鑑みていない人っていますよね。
○○=△△なら△△=○○も同じ……みたいな。すべてに当てはまる訳ないだろ!
(人工授精を一旦置いて)この場合、自分らの半身とも言うべき子供をペットだと思っている、なんて極論に辿り着いてます。
いるかもしれないよ?広い世界だからさ。そう考えるに至る可哀想な境遇の者達もいるだろうさ。
そうは言っても「子供が欲しい」っていう切望をさ、体を痛めて産むっていう過程をさ、余りに考えて無さ過ぎじゃない?
養子であっても、やっぱりただの愛玩用、好き勝手にできるものとは違う訳よね。
ここで順序。ペットは家族(子も同じ)っていうのは、「愛おしさ」故に自らの家族も同じだと考えてるわけ。
で、その「愛おしさ」の過程をスッポリ考えてないから歪曲したイコール化がなされている。
正常な論理ですかねこれって。……暴論が行き過ぎると、そこに行きつくまでに
様々なものを敵に回す恐れがあると言う事を念頭に置いた方がいい。
本人なりに考えて物を言ってるのは解りますが、スカってることに気付くと哀れ。
かつ、哀れとはいえども、その歪曲表現に怒りというか、憤りも感じてくるわけでして。
自分の考えを主張、正当化する為に他の思想を一括りにして蔑ろにするとは如何なものでしょうね。
ここで短いけれど本題、「正常な倫理観があれば人工授精なんてやらない」……はい、自己完結し過ぎ。
まず、人工授精によって生じるリスク、それは自らにも我が子にも降りかかる訳ですが、
それを知るならいざ知らず経験済みだなんてことないでしょ?判断に占める重要度としては
知<経験
知っているだけの事と、自ら体験した事じゃ全く判断が違いますよね。
この言い方だと、親側に立つことを完全に放棄してます。そんな人が物を言っちゃぁ不味い。
だって、苦しむのは子だけじゃないんですよ?当事者すべてに「自分のせいで……」という後悔の念すらないと思ってるんでしょうか。
正常な倫理観があるなら、批判だけじゃダメですよね。(その点ワタクシは正常な倫理観を持っているとは言えませんし言いません)
さらに。倫理という枠はあれど、善悪正邪という確実に判断できるもの以外に
「これだ!」と言い切れるものが其処彼処にあるのでしょうか?
人工授精が「悪である、邪である」と言い切れるというのでしょうか。
自分が当事者でないのを良いことに、勝手過ぎやしませんかね……。
正常な倫理観があれば、詰めが甘く稚拙な主張は、
他人の事を考えて控えると思います。
まぁ、ワタクシも変な事を言いかねないのでここまでにしておきます(難しいことよく解んないし)。
尻切れになりましたが、明言するとするならば……
ワタクシは人工授精について賛成も反対もしません。
後悔も反省もしていない。
閲覧後にはクリック☆
人工授精によって生まれた子、その人達の苦しみ(事実を突きつけられて既存の概念が崩れた事など)が記事として上がってました。
そこにfacebookからこのようなコメントが寄せられていました。
「ペットを家族だと言っている人も多いが、そんな人は子供をペットだと思っていると、思えてならない。
子供というペットが欲しいだけではないのか。正常な倫理観があるなら、AID(人工受精)なんかやらないと思いますが。」
なんだよそれ……視野が狭すぎる。
これ以外にも「人工授精などふざけた行いは許されるべきでない」とか「生命倫理は神に任せるべき」とか様々人から様々なコメントが。
最近思うことですが、「イコール化」する際に順序を全く鑑みていない人っていますよね。
○○=△△なら△△=○○も同じ……みたいな。すべてに当てはまる訳ないだろ!
(人工授精を一旦置いて)この場合、自分らの半身とも言うべき子供をペットだと思っている、なんて極論に辿り着いてます。
いるかもしれないよ?広い世界だからさ。そう考えるに至る可哀想な境遇の者達もいるだろうさ。
そうは言っても「子供が欲しい」っていう切望をさ、体を痛めて産むっていう過程をさ、余りに考えて無さ過ぎじゃない?
養子であっても、やっぱりただの愛玩用、好き勝手にできるものとは違う訳よね。
ここで順序。ペットは家族(子も同じ)っていうのは、「愛おしさ」故に自らの家族も同じだと考えてるわけ。
で、その「愛おしさ」の過程をスッポリ考えてないから歪曲したイコール化がなされている。
正常な論理ですかねこれって。……暴論が行き過ぎると、そこに行きつくまでに
様々なものを敵に回す恐れがあると言う事を念頭に置いた方がいい。
本人なりに考えて物を言ってるのは解りますが、スカってることに気付くと哀れ。
かつ、哀れとはいえども、その歪曲表現に怒りというか、憤りも感じてくるわけでして。
自分の考えを主張、正当化する為に他の思想を一括りにして蔑ろにするとは如何なものでしょうね。
ここで短いけれど本題、「正常な倫理観があれば人工授精なんてやらない」……はい、自己完結し過ぎ。
まず、人工授精によって生じるリスク、それは自らにも我が子にも降りかかる訳ですが、
それを知るならいざ知らず経験済みだなんてことないでしょ?判断に占める重要度としては
知<経験
知っているだけの事と、自ら体験した事じゃ全く判断が違いますよね。
この言い方だと、親側に立つことを完全に放棄してます。そんな人が物を言っちゃぁ不味い。
だって、苦しむのは子だけじゃないんですよ?当事者すべてに「自分のせいで……」という後悔の念すらないと思ってるんでしょうか。
正常な倫理観があるなら、批判だけじゃダメですよね。(その点ワタクシは正常な倫理観を持っているとは言えませんし言いません)
さらに。倫理という枠はあれど、善悪正邪という確実に判断できるもの以外に
「これだ!」と言い切れるものが其処彼処にあるのでしょうか?
人工授精が「悪である、邪である」と言い切れるというのでしょうか。
自分が当事者でないのを良いことに、勝手過ぎやしませんかね……。
正常な倫理観があれば、詰めが甘く稚拙な主張は、
他人の事を考えて控えると思います。
まぁ、ワタクシも変な事を言いかねないのでここまでにしておきます(難しいことよく解んないし)。
尻切れになりましたが、明言するとするならば……
ワタクシは人工授精について賛成も反対もしません。
後悔も反省もしていない。
閲覧後にはクリック☆