Another day comes 紫・電・一・閃 ~今日と違うはずの明日へ~

こんな俺でも いつかは光を浴びながら
きっと笑える 日が来るさ ・・・来るまで生きるぜ(生への渇望)

2018-12-05 15:47:49 | 日記
こんなゴミクズがまた一つ年を重ねた。
自分自身がこうやって生存していることすら奇跡。
死を恐れていなければ、すでにこの世のものではない。


「羅生門」という文学作品がある。ご存じでしょう。
閑(ヒマ)を出され生活の当てもない下人が、
荒みきった羅生門の楼上で老婆と出会い、
善い方向に動こうとしていた勇気や倫理を"ふい"にされ、
理性のタガが外れてしまう、というだけの作品。

老婆は、言動こそ道徳に反していながら、
道徳そのものからは何ら批判されるべきでない身。
「道徳」や「倫理」は何もしてくれないのだから。
その事実を突きつけられたことによって、
下人は心中にあった反社会性を幇助される形となり、
ついには戻れない道をひた走ることになる。

初めて読んだ時から妙に心に残って、
「まるで自分のことのように」思っていた記憶。


結局、善い心だけでは何も施せないし、
腹が膨れることもない。
痛むばかりで何も残らない。
いや、私は善い心を持ってはいない・・・
だが、悪を貫く心など端から持っていない。
そんな人間だから、羅生門の下人や老婆に自分を重ねてしまったのだろうか。

以前にもこんなこと書いたかしら。

育つ環境が人間を構成する「環境論」が私の持論。
そうはいっても・・・出会う人間が、末路を決めるのかもしれない。
私はいい人と出会ってきただろうか。
・・・少なくとも、生きていたいと思うような出会いは微塵もなかった。

年を重ねて、生きていること自体が罪というぐらい、「無意味」を積み重ねてきた。
「羅」の粗末な心には次々と嫌なことが突き刺さる。
その場に座して、受ける。
末路に向けて、ひた走る。



生きていたいだけだけど、
荒みきった羅生門のような世の中に
一体何を見いだせるのだろうか?
下人は盗人として堕ちていったけれど
私にはその勇気すらない。
楼上に無造作に横たわる、死人となるのだろうか。

おまえたちはおかしい

2018-10-19 05:08:31 | 述べてやるさ!!
コメント返しから。

Re:壁際のいぶし銀さん

毎度ありがとうございます。割と仰る通りだと思いますよ。だってそうだもん(便乗)
当方はブレちゃいそうなほど困ってます・・・^^;
自己責任で押しつぶされそうな中騒音ごときに構っていたくない!
・・・この『自己責任』だって果たすべきものなんて微塵もないと思うのになぁ。



ブレずに生きることほど難しいことはないですね。
すべてを捨てたか、「自らに足る」ものを得た人間・・・そんな人たちが出来る生き方かも。
私はほんとうにクズなので、ブレブレです。矜持と支柱は持ち合わせているんですがね・・・もはや影響が強く曲がりやすい。

ご存じのとおり、このところの人の在り方っていうのは一様化しようもないぐらい多岐に渡っていて、
ある意味ではどういう風にも生きていけるんですよね。本当に客観的に見てしまえば。
あ る 意 味 で は ね 。事実とは違う。
だから一応「普通に生きている連中」に対して誰にも文句は言えないし、言わない。
人それぞれでしょ、って・・・確かにそうなんですが。

でもその「普通」がだいぶズレちゃってる。元からズレてる人間からすればよくわかります。
より利己的で、射幸性に満ちたものが享受され過ぎている。
「世界の世界観」っていうのは実力主義で成り立つものでしかないですし、
頭悪い言い方ですが結局お金とのし上がりの世界なんです。ご存じでしょ?

なんて言うんでしょう・・・幸福追求に余念がないんですよね、今って。
しかもいつまでたっても満たされない。覚えがおありでしょう。
ついでに(だからこそ)我慢が出来ないし沸点も低いし幸せの価値が低くて積み重ねていくしかない。
そこから外れたものは即ち幸福の糧にされる運命。上から下に負の連鎖が続く。
当たり前です。みんな知ってますよね。何を今さらですよね。私って能がないですよね。
でもこういうことを誰も考えないからビックリするほど畜生道
渇きをおぼえて喘ぐ姿たるやまさに餓鬼道
自らの為につまらない戦いに明け暮れるさまは修羅道と見紛う。
アンタらここは人間道だぞ。

絶頂しても性欲が湧いてきていつ終わるとも知らぬ自慰行為のような気色悪い世界。
テクノブレイクってご存知ない?いつ欲に呑まれて死んでくれるんですか?

争うなとは言わん、まして悟れとも言わん。
だが少しは人間らしいところを見せて。
ファッションでもなく、「みてくれ」でもなく、心の底からの優しさをみせてください。
今の世界での優しさ・・・「多分優しい」であろう優しさの発揮しどころと言えば、
懐柔か同調、セックスの為ぐらいなものでしょう。
他にあるというのなら俺に言ってみろ!!


負け犬視点からさらに言及すると、
「諦め」というか、「妥協」・・・ある意味では美しさすら感じ得るその心は何処へ行ってしまったのか。
昔のことはよくわかりませんが、まぁ確かに諦めとかっていいイメージではないでしょうが。
とはいえ、欲に囚われた姿よりは余程美徳のはずですが?
微塵も現れぬ寛容さ。仕方ないと退く身は持たず、必死で身を立てるのみ。
忘れ去られて久しい憐み。自らより劣っていると思ったならば一様に「あの目」が見え隠れするひね曲がった心根。
何だこの地獄は。現生に囚われ過ぎた亡者の集いか何か?
手をとる相手は徒党の構成員。その気色悪い群体には法人格はありませんよ。

餓鬼畜生修羅の道にあらずば生者、そもそも人間と扱われず、農夫のいない畑の土より酷い扱い。
「人間」であっても下位の者は精気を啜られる。妖怪変化の闊歩する時代に逆行したのかよ。
おまえらはおかしい。


昇ろうとしている者を蹴落として、満たされぬもの(満たされようとしないものを含む)を見下して、
それで楽しい世界なんです。楽しくもないかもしれない。それが謎の使命感、義務感にすらなってる。
生活の一部として他を傷つける。
あさましいにもほどがある。
じゃあ、この世で必要とされている優しさって、何よ。

当然、死ぬ権利ですね。
この世界から解脱する権利。
本来人に有らねばならない最低限の権利。

搾取の構図の都合上、どうしても必要な養分の確保の為に、幾多の人間の心がすり減らされている現状です。
仕方ない?あっそう。
人道に反しているとは言えないんですか?
まぁ?既に道徳もへったくれもクソもないような皆様に言っても仕方ないことではありますが。
でもね、矛盾してんですよ。
個の集合体が国なんです。個々人の声に対応できないからなぁなぁで方針決めてまとめてる(つもり)んですが、
現代は声高に、みんな言ってるでしょ、人の命を軽視した言葉を・・・

我が国で言えば・・・というかそもそも私がいるこの日本のことを言ってるんですが、
簡単に例示するならば、これ。
軽重問わず犯罪者に対して死ねだのなんのとのたまって、
飯も食わせんな隔離しろーでも税金がもったいないーとか言っちゃうこの国の人たち。

それでも「殺処分」しないのってなんで?

下位の、どうしようもなくなった人間が国の半端な管理のもと、希望もなく、一般人の射幸心満たす為だけの道具にされてんじゃん。
射幸心が満たされてる感じがしない?うそこけよ。
例えば、重犯罪者はこうなるぞ!って塀の中に入れとくだけでいい訳で。
軽犯罪者はどっかのスーパーとかが万引きの犠牲になってくれるだけでいい。そんな考え方。
実名報道されようが身分隠されてようが根掘り葉掘りでプギャーってな世の中じゃん。
余すところなく需要と供給が賄われてる事実をみんなまともに気付こうとしない。何も考えず死ねとか言ってる。
一定数が塀の中にぶち込まれている事実が、
「あいつら(犯罪者)より(地位、能力、思考等が)優れている」という射幸心を満たす要素だというのに。
・・・色々極論過ぎました。でも頭使うのもバカバカしいんです。使う頭もないけどね。

死ねとか言っておいて死なれちゃ困るから生かしておくのはおかしいよ。
この世界での罪を犯してまで生きていようとする人なんて、「普通に生きてる人」に迷惑なだけでしょ。
生きてる価値がないと思うなら、死なせてあげてください。
罪を犯していない人間ですら人様にちょっと迷惑かけりゃ「存在が罪」のこの国ですよ?
電車に飛び込むとかで、勝手に死なれちゃもっと困るなら、
大っぴらに死なせてあげればいいのよ。
あなた達、ひいては国が倫理を発揮してあげることで、
死ぬ側も矜持を抱きつつ死ねる。迷惑かける死に方はしない。


犯罪者を生かしておく出費より、そんな奴らをサラッと処分して、ふつーの方々に補填を差し上げたほうが余程お得。
これ間違ってない。例えば、借金した奴が公的方法で死んだとして、損失が出た人に補填あげればいい。解決だね!
なんて建設的な提案なんでしょうか!

・・・今となっては需要に暗に応えてる事実がありますが、
元々は清く正しく「ルール」を守って生きましょーってな為に慣習が生まれて、お堅い規則になって、
順守せねばならない法律になって・・・それに外れた奴はこうなるんだという見せしめだったはず。
社会を端的にまとめ、円滑にするためのもの。
今は単に底辺の人権を軽んじる機構。
倫理上人殺しはいけない、とか平気で言ってる現代間のおもちゃになるのはいやよ。
そしてそんな畜生餓鬼修羅の道に属している事実はいやなの。

何が言いたいかというと、今は「生産性がない(迷惑をかける)者」はすべて悪なんだから、
生きていたい者、つまり搾取し甲斐のある奴だけ生かしておいて、
何の役にも立たない肥やし以下の存在は
殺してしまえばいいじゃないかって話です。

悪いけど、全く間違ってない。
あんたら障碍者に対してだって、まともに取り合うか?人として!
・・・ないよね。じゃあ殺せば?大っぴらに。
正直に言えば、一応健常者の私がボランティアとして何度か施設に赴いた時も思いました。
「こりゃこの扱いが精一杯か。だからって救いはないのか」と。
産んだ者すら暗に差別し、また罪人を生んだ罪を圧し掛からせるみなさまはどうお考えで。
てか隔離されて見えねぇから考えもしないでしょう。時たま道端歩いてんのを見て「ゲッ」ってなるだけ。
・・・金持ちが罪犯したりしたら牢屋にぶち込んでそりゃ煽りに煽って話題にしてさ、みなさんのおかずにしてください。
今のわたしはしないけどね。でもそれはされて当然だと思う。だって上に立ってた者だもの。
養分に相応しい。

只の無能(「普通に生きてる人」目線)を生かしておく費用より、
殺す費用の方が断然お得。あなたたちの社会に貢献できないなら
土に還してあげた方がおいしいとおもいますよ。



昔は死罪にならない程度の奴は遠島とかして強制労働とかやらせてたでしょう。
罪人という烙印は結局「人」と言っておきながら家畜以下なのは世の常か。
そのなごりというか、人に非ずば骨までしゃぶってやろうみたいな・・・人間の恐ろしさ。
今は骨の髄では飽き足らず零れた血の一滴まで啜る勢い。
存在する物で満足できなくなった現代人というのは、畜生以下です。そう思いませんかね。

だから私を殺してください。
可愛そうなわんちゃん猫ちゃんと一緒にドリームボックスに投入してください。
どうせ犬猫と同じように苦しい苦しいガス殺なんでしょ?それでもいいです。
生きてる方がよっぽど苦しい。
人に迷惑をかけて、心を踏みにじられて、それでもまだ下の人がいるからって比較しなければ生きていけなくて。
そんな地獄耐えられない。
倫理があるなら、殺せ!




言いたいこと、解ってくれましたか?
読むの、やめちゃいましたか?
死が救いになるなら与えたまえ。Win-Winですよ前から流行りの。
誰にも届かないこの声。
だから思うんだよ。
誰か道連れにしてやりたいってね。
この内なる声が現実に漏れないうちにどうにかならないかな~。

・・・ちなみにこの記事、3時間強書いてました。
最低限読める言葉にしないとと思って。えらいぞぼく。
無駄な時間を過ごしましたが、今はこれですら有意義。
自分がまとも(決してアホな優越に浸っているわけではない)であることを理解できるので。
こういうまともな状態で死ねるなら本望というものです。お分かりかな?

気を遣えぬ者たちへ

2018-10-02 17:48:10 | 自分&俗世間との闘い
良い教育がなされて何よりだこのクソッタレ

毎日毎日、下の奴、奴等がうるさい。
ここに住んでもう6年目になるが、恐らく三度は入れ替えがあった下の階では一番うるせぇのだ。
尋常でなくうるさいわけではない・・・そこが問題だ。
友人や彼女を連れ込んでギャァギャァしてることもあるが、そこじゃない。
いや、そこもだが、結局「根本的なこと」が問題なのだ。

そう、うるせぇのが挙動全般だから。

下の奴は一年半前ぐらいか、その時期に越してきた筈。
引っ越しの車がえらい長く留まってたことを覚えている。
そもそも現在19歳と言ってたし。
・・・このご時世、近所付き合いがあるわけではないが、そいつとは会話している。
だって直接苦情を言いに行ったから。


・・・事の発端は6か月前になる。いきなり足音が気になり始めた。
その前から定期的に大きな音があったりしたが、そりゃ仕方ない。
安アパートだし、こっち(上から)もうるさいこともあったろう。お互い様、とあまり気にしないようにはしていたが・・・

日に日に大きくなっていく足音。家が揺れる。
出入りが激しくなる友人ほか。
音で解る。挙動が荒い。
・・・間違いない。
気が大きくなっている。

大方、大学でお友達が出来てぇ、招くようになってぇ、
今まで1年間縮こまってたのが、お仲間が出来てお元気になられたワケ。
傍から見てればまぁーよかったねぇーと別に気にするものでもないが、
それで害を被るのならば話は別。

・・・自分も覚えがないわけではない。
だが、己(おれ)は決して騒音を出すような仲間付き合いはしていなかったし、
責任ある借り主として、友人ら、そして先輩であろうと騒音やデカい挙動は諌めて来た。
それが、社会に生きようとするものとして当たり前のことだろう。

それがどうだ、気になり始めて2か月・・・今年の6月だ。
夜中のスポーツ中継に熱を上げて複数人でギャースカ騒ぐまでになっていた。
各部屋には引き戸があるのだが、それをバターン!!
おまけにバイトから帰ってくるのか、毎夜2~3時のデカい足音と引き戸音。いい教育だこと。
我慢ならん、と騒いでる最中直接苦情を言いに行った。

・・・出てきたのは上半身裸で色白の細マッチョ爺・・・のような学生。
私は人を顔だけで判断したり、差別したりしはしない。寧ろされる側だし。
だがこの時ばかりは、普段の素行を含め思った。
こいつぁ性根の曲がったかなりヤベェ奴だ、と。
(私は、顔が真面目な風に見えるムッツリスケベだの、変態っぽいだのと好きな事を言われてきたが、
下の階の奴を敢えて言い表すなら、嫌がらせをしてくる近所の爺さん、みたいな顔・・・想像できないだろうか?)

・・・詳細は省くが、眠りから醒まされボーっとしつつイライラしていた私は、
悪手を取ってしまった。言うべきことを言い忘れたり、自分より年下だとわかっているからとはいえ「おまえ」呼ばわりとか。
とっさの行動はやはり慎むべきであった。寝起きはダメだ。

ヤベェ奴と踏んだのは間違いではなく、
謝ってんだからいいだろから始まり、やれ、アンタも十分うるせぇだの、
自分が静かだと思うな、だの、逆に正論『っぽい』ことを捲し立てられ、
「俺はうるさくない、友人がうるさいだけだから」、だと。お前が借主だろ・・・
こちらが自らの悪手に気づき控えめになったことをいいことに、
「こっちは気にしてないからもういいですかー」などと。なかなかに捻くれている。
曲がりなりにも苦情を入れているのはこちらなのだが。

・・・確かに多少はうるさかったろう。何せ彼女とかいうのが居た時期だし、一緒に住んで1年経過していた。
だが、言い訳ではないが、私は十分静かにしている自信があったし、言っても治らない彼女の足音に気を揉んでいたのだから。
(余談であるが、私が音的な意味で近所に気を遣い過ぎたのも、別れる原因だったよう・・・それは呆れる)
かつ、ふたりとも夜分遅くに騒いだり、足音立てていたりなんてことは決してない。決定的な違いだ。

下の奴に足音のことを言っても、「スリッパ履いてるからアンタの気にしすぎ」、だと。
硬いスリッパでは意味がなく、足の運び次第では素足と同等の五月蝿さ
・・・皆さんも気を付けて。

引き戸については「多少はね?」・・・ホモビかな?


・・・結局こちらも呆れてしまって、半ば折れるような形で戻ってきてしまった。
話しても通じないと解ると、徒労感が恐ろしいもので、闘う気力すら失う。
それから2か月、何ら改善しない物音に限界を感じ、ついに管理会社に電話(またも余談だが、下の階との関係が悪化したのと同時に彼女とサヨナラ)。
担当が若いねぇーちゃんだったので心配だったが、予感が的中。
引き戸の音しか直ってません。ここまでくると逆にすげぇのだ。
管理会社的にも生活音は当たり前なのでーとはねぇーちゃんの弁。あのさぁ・・・


こちらが昼間に家にいるときですら、静かに歩いているのは、
「苦情を言った手前、こちらも静かにしなければならない」
という、我ながらよい心がけのためである。当たり前のことでしょう・・・
それを知ってか知らずか、早足でドスドスと音を立てつつ建物を揺らし、夜中に帰るときは必ずバタバタとデカい音を立てる。
社会不適合という言葉は、時代とともに変質しているとしか思えない。

・・・本来、社会不適合なんて言葉、使いたくもないが。
世間一般からいえばこの私を指さして言う言葉だろう。
そこがミソだ。
憎まれっ子世にはばかるとは弱者の弁で、
憎まれっ子同士は憎み合わない。それらは徒党を組むのだ。
今の社会を形作っているのは、群れて勝手なことをいう思想連中。
赤の他人相手なら平気でうそをつき、迷惑を考えず、イライラをぶつける事を厭わない者たち。
そう、気が遣えない者たちだ。
別にあの頃がよかったーとか年寄りみたいなことを言いたいのではない。
事実を言っているのだ。
私の言うことに具体性はない。だってそうじゃないか。
陰湿で、可視化すらされるほどの悪意が蔓延しているのは、
その証拠じゃないか。違うのか?解らないのは何故なのか解っているのか?



・・・こんなことですら、私の生きる気力を削いでいく。
そんな連中しか居ないように見えてくる。間違っているだろうか?
気分が重い・・・書き始めたはいいものの、結局思考が散漫になってしまって、すっきりすることが書けなかった・・・
結局社会不適合者は己で、うるさい下の奴は・・・なんなんだよ。
今の時代、安アパートに住んでる方が悪い、だなんて言われるぐらいだ。
金を持っていないのが悪い。何を言おうと変わらない。
心が冷えている・・・



夜。大好きな曲たちを聴きながら床(とこ)に就く。
私はベッド派ではないので、床(ゆか)に。貧乏一家生まれらしい習慣だ。
そして・・・眠りに、落ちる――――――その刹那、
規則的で、縦横無尽、連続する足音。不規則な揺れ。
トイレの戸が閉まる。開く。閉まる。居間に到達するまでは早足故8歩。
何かが開く音、閉まる音。重いものを引きずる音、かすかに、そして耳障りに聞こえる会話。
部屋を行き交うごとに足音が変わる。揺れも無論一様ではない。
あぁ・・・今日もだ。

クソッタレ


10/3 0:35追記
こういう「憎まれっ子」たちになれるもの、追従できるもの・・・
そういった者たちが社会に適合している、とでも言うのだろう。
それらに苦しんでいたり、よく思わない者たちは、社会不適合・・・
バカバカしい。
憎まれっ子同士、報われぬ者同士で、人間は交配を続けていく。
どちらも愚かだ。気づいてほしい。
こんな世界は滅びてほしい、と切実に願うのだ。

さて、今日は・・・というか昨日の11:50から先ほどまで、
帰宅した下の奴がまーたドスドスと足音を立てておりました。約40分間。
あーあ、バカバカしい。頼む終わってくれ、と願う私を尻目に青春を謳歌するド畜生。
・・・っと、つい本音が。
結局、私もどんどん毒されていく。嫌ぁな世界だぁ・・・
はい、おやすみなさい・・・

つみびと

2018-09-19 17:37:08 | 日記
前回の記事から長らく死んだような生活を送っておりました。
ここ最近で一番死んだようでした。
でも性懲りもなく生きてます。すみません。
地元に帰ったはいいものの、やはり地獄を見てきました。
人はなぜ解っていても失敗から逃れられず、過ちを犯すのか・・・私とて例外でなく、むしろその体現者。
あはれなり。甲斐のない生、どこまでいってもオスとメスの世界。まっことあはれ。



私はほとんどのことに執心を抱きません。
なぜならば、無駄だから。
私は多くを恐れます。
なぜならば、知れぬから。
こんな私でも、執念深く、恐れを知らぬ無法者として一個人の前に立ち塞がることだってある・・・
それが、このくだらない世界での可能性の一つ。
「上の人」の裁量であり、これもこの世界の理。

・・・読んでくれている方は訪問者全体でも少数でしょうが、
以前の記事で彼女と呼ばれるものと別れたーとほざいておりました。
決着は未だつかず、といった情況の最中、
争点であるこちらの納得いかないことをめぐって、
その方と言論による真っ向勝負を「一方的に」しました。
かつ「無能が為しうる最大限の尽力」によって、論理的で感情的な日本言語の奔流を浴びせ、
ついに、

ついに、

謎の利権を手にしたのです。


法に照らすと、恐らくグレー以上。
しかし、真面目に法に則っている。
少なくとも、無理やり事を荒立てなければ平穏無事。
そんな素敵な利権。
本来ならば得られぬ、対人的には大きな利権。
ペナルティ?贖罪?私も理解できない原理。
説明すればそこまでだが、結びを話せぬもどかしさ。
話せど知れず、より度し難し、嗚呼、心とはなにか。

私は悪党。
それでいて刑吏。
そして、どうしようもなく凡人。
わ た し は わ る く な い の で す 。

その方は善人。
それでいて囚人。
そして、どうしようもない大嘘つき。
結 果 あ な た が わ る い の で す 。


とはいえ。
この利権は私の小細工によって法にすら縛られているにも拘らず、
グレーゾーンかつその方を私が信用していない事実もあって、
儚く散ってしまうかもしれないものでもあるのです。
私の恐れる物事の一つとなりました。
説明すればそこまでだが、結びを話せぬもどかしさ。

いつかこの内容も、包み隠さず書き綴れる時が、来るのだろうか。
何にせよ、私が生きていなければどうにもならない。
生きねば。人ひとりに真に「犠牲を強いる」(強要・脅迫ではない、否、『それは認められない』)ことが出来るのだとしたら、
私が生きてそれを存分に味わわせてやらねばなるまい。
人間界においては、これは悪事には入らない。
そう、実は善人である私は自分に言い聞かせるのだ。
今までの人生、その過程での鬱屈とした悔しみを、ある程度勢いよくぶつけてやるのだ。
ある意味、身に覚えのないサンドバッグ状態だろうか。
だが、一つだけ言っておく。
身に砂を詰め、差し出したのは他ならぬ相手だということを。
・・・神がこれ以上なく無慈悲なら、この利権さえも失うのだろうか。
ある意味では、生きる希望と、活力となったのに。

私はつみびと。
つみびとの、罪。
罪は積み重なって、
詰む、というのか。

期待と不実

2018-08-31 17:30:03 | 日記
私は懲りない人間である。
期待してしまう。すべてを信じてしまう。それが何百回、何千回と裏切られようと。
ウルトラマンAかよ。
いや、そんな善人じゃない。只々バカで都合がいいだけだ。
ちょっと逸れるが、簡単に言えば賭け事は絶対にやってはいけない人間、である。

友すらもいないのに、誰かに構って貰えそうな気がする。
そう思いつつ地元に帰るのだ。馬鹿にも程がある。
自分に責任が持てない、不実な、いい加減な妄想だ。心を自分で折り砕くというのか。
人は蔑み以外で俺のことを見ていないし、そもそも人の心なんてものは信用ならない・・・
そうわかっているのに、わかろうとしているのにまったく懲りない。
「メルヘン」に囚われているのは私かもしれない。


そう、昔見合った顔であっても、強烈なトラウマがある人間であっても、
誰でもいいから会いたい。本当の心はそうだ。
でも今までの天邪鬼な人付き合いは、再会を許さない。
よく思ってみれば、「なあなあ」で人と向き合ってきたのは私ではないだろうか。
・・・元相方に私が放った言葉はすべて私自身に突き刺さるようだ。

自分の心に従って生きたばかりに、こうも人付き合いで苦心するとは。
・・・私は『環境論者』的立場をとる人間・・・生まれた環境ですべて左右されるのだと考えれば、
他人を受け容れられると思っているからだ。妥協の心を自分に生じさせるのだ。
今となっては、この考えすらも生きるのに邪魔だ。
自分の信条や支柱すら何の意味もなさない。
只の孤独は美徳じゃない。生き方はいろいろあるなんて嘘。
今の世界でも結局生き方は画一的。それにノれないのならば・・・


誰かを生産的に愛することも、
自分の心を非生産的に打ち明けることも、出来ない。
少なくとも私は全くできていない。
いつになったらできるんだろ・・・無理かな・・・外見含めハンデが多すぎる。



・・・ヒトカラは夜フリーで7時間たっぷり歌いました。
自分の下手糞さというか、音域の狭さに改めて絶望しましたが、多少スッキリしましたね。
歌謡向けの声なのは良いような悪いようなって感じ。

覚悟は決まった。明日帰ります。
よろしくね、我が故郷よ・・・