初代リアルバウト餓狼伝説および初代月華の剣士の大会および対戦会の情報を公開しています。
I'm not boy...
あけましておめでとうございます&次回対戦会2.5(日)14時~
遅れましたが、新年あけましておめでとうございます。
2.5(日)に初代RBと初代月華の対戦会を行ないます。
~~初代RB・初代月華対戦会~~
・日時:2.5(日)14:00~
・タイトル:初代リアルバウト餓狼伝説、初代月華の剣士
・場所:蕨デイトナIII(JR京浜東北線蕨駅より徒歩5分。冒頭の画像クリックで地図)
・参加費:無料
・その他:
店内は禁煙です(入口外側に喫煙スペースあり)
またボタン配置はコンパネのダイヤルで以下の4つから選択可能。
横一列、ボックス、A落ち、D落ち
蕨デイトナ対戦会10年史(4)
蕨デイトナ対戦会10年史(4)
第三期 ~イオンゲームコーナー勢、蛇キャン山崎、中野月華勢の襲来~ 2013年7月~現在
半ば修験道のような対戦会に変化が訪れたのは2013年7月27日、山崎使いのNI氏が蕨デイトナに来て初代RB対戦会に参加。続いてNI氏と小学生時代からイオンのゲームコーナーのライバル同士だったwという双角使いのYA氏が8月17日にデイトナに現れる。NI氏は基本性能が高い上に工夫することを好むプレイヤーで、毎回のように新しいネタや動きを披露。YA氏は双角のポテンシャルをほぼ引き出しているのではないかと思われる的確な立ち回りと、大胆な破滅の炎での切り返しが特長。加えてNI氏とYA氏は初代月華もプレイでき、以後参加メンバーに応じて初代月華の対戦会も同時開催するようになる。
一時に比べて参加者が増えたこともあり、2013年11月24日に2年9か月ぶりに大会を実施。ノイズが多いものの、実況を盛り込んだ動画を初めてアップロード。
そして2014年11月23日、山崎使いのEY氏が蕨デイトナに来て対戦会に参加。EY氏は蛇キャンを使った固めと高精度の永久が持ち味だが、相手行動の観察とそれに対する対策の面でも秀でたプレイヤー。EY氏が加わったおかげで試合内容がまた1レベル上がったと思う。
さらに2014年12月20日、中野TRFを活動拠点としている月華二幕プレイヤーのMA氏、LM氏が蕨デイトナに来て初代月華対戦会に参加。MA氏は守矢を愛しその可能性を信じ続けるプレイヤーで、キャラへのこだわりの小さい自分には持ち得ない強さがあると感じた。LM氏は初代月華を愛するあまり、PSPでPS版初代月華をプレイするほどの変人wもとい熱烈な初代月華ファンである。斬鉄や李を好むが、ほぼ全キャラを使いこなす。プレイスタイルとしてはセオリーを押さえつつも、ここぞという場面での弾きが光る実力派プレイヤーである。
また2016年4月19日~7月16日にかけて、コメントを挿入した初代RB対戦動画をアップロード。これまでは試合を切り出してつなげるだけだったのをコメント・BGMを後付けしただけではあるが、アナログ人間の自分が動画編集者の仲間入りを果たしたと勝手に喜ぶw
また新たなメンバーが加わったことで対戦会終了後の打ち上げが復活。しかし行きつけの?パスタ屋(通称ババパス)が営業終了したため、打ち上げ会場を再び設定し直さなければならなくなった。新しくオープンしたガストはファミリー層が多く、発足当初に比べて少し大人になった我々にふさわしい会場として行き着いたのは、「おフランス」ことふらんす亭。格調高さで一般人を寄せ付けないためかすいており、いきなり大人数で行っても入れる。ちなみにカレーを注文する人が多い気がする。
そして2006年11月19日の第1回I’m not boy杯から10年を経過した2017年1月7日現在、当初と変わらず月一回ペースで初代RB対戦会を実施中。これまでにアップロードした試合数は初代RBが1490試合、初代月華が240試合に上る。初代RBに限っても1試合を平均2分とすると約3000分であり、全部観るには48時間(2880分)以上かかる計算となる。以上、やや簡単ではあるが蕨デイトナ対戦会の10年間を振り返ってみた。対戦会がいろいろな人で成り立っていることを改めて実感する。今後どこまで続くかはわからないが、対戦に飽きない限りは何らかの形で続けていくと思う。参加者および動画等をご覧いただいている方には改めて感謝するとともに、今後も蕨デイトナ対戦会を応援いただければ幸いです。
蕨デイトナ対戦会10年史(3)
蕨デイトナ対戦会10年史(3)
第二期 ~主催交代、ダック襲来~ 2008年10月~2013年7月
S氏がRe:Projectをたたむことになり、以降の主催を自分が引き継ぐことになった。ITに強い方ではないのだが、この頃になるとアナログ人間にもどうにか始められるほど、ブログをはじめとするIT基盤が整っていた。そして2008年10月18日ブログ「I'm not boy...」を開設。ブログタイトルに「俺はもう子供じゃないんだ、、、」とふつふつと闘志を燃やすイメージでboyの後ろに...を入れてみたが、今思うとオッサンアピールにしかなっていないw なお現在ほぼ書き込みのない掲示板はRe:Project時代からのもので、最初の方のページでは当時の書き込みを見ることができる。
主催を引き継いでしばらくした2008年11月23日、いつものようにデイトナに行って対戦会を始めたところ、見慣れない動きのダックが乱入してきた。K氏操るダックのデイトナ襲来である。起き上がりに2A素振り>ブレイクを決められ、起き上がりその他における初代RBの投げ無敵の短さを改めて実感する。対戦を楽しみつつ、とんでもないプレイヤーが来たかもしれないと興奮したのを覚えている。K氏のダックは跳びと遠Cのセンスが飛び抜けており、真似したいが真似できるものではないというのが正直な感想。さらに言えば、新しい戦法に対して対策を導き出すのも早い。K氏のダックは以後も予備動作なしダッシュジャンプCの表裏二択で、多くのプレイヤーを幾度となく三途の川に送り届けることになる。
新メンバー加入の喜びも束の間、2009年4月転機が訪れる。仕事で自分がしばらく関東から離れることになったのだ。新しい仕事先から蕨まで行くには6時間以上かかったのだが、対戦会は開催し続けた。この時期は精神的に苦しく、対戦環境のありがたさを改めて実感した。新しい仕事は自分には合わず、幸いにも12月には再び関東の仕事に戻ることになった。
苦あれば楽ありで、2010年12月18日に初代月華の対戦会が蕨デイトナにて実現し、同月26日に動画を初めてニコ動にアップロード。以降2012年5月、2013年2月と、平均して1年に1本のペースでアップロードする。
ただこの頃より初代RB対戦会メンバーの固定化が顕著になり始め、2011年7月14日の対戦会を区切りに、2011年8月~2013年3月までの約1年半の間は主にMO氏とK氏と自分の三人を中心として対戦会を続けていくことになる。修験者にも似た気持ちで対戦会と動画編集を重ねる。なおこの頃海外の視聴者も意識し始め、2011年11月4日にYouTubeチャンネルを開設。アカウント名は単純にRB1プレイヤーのうきょーからrb1ukyoとした。主催を引き継いで以降、派手さはないが継続は力なりを信条として対戦会と動画配信を続けてきたことが、この後の新たな風を呼び込むことにつながる、、、
蕨デイトナ対戦会10年史(2)
蕨デイトナ対戦会10年史(2)
第一期 ~蕨デイトナI'm not boy杯誕生~ 2006年8月~2008年10月
2006年8月26日、仕事で来れないNA氏を除いたR氏と自分が蕨へ。デイトナIIIに着いてみると地下のゲーセンで戸惑う。ドアを押し開けて中に入ると一角に人だかりができており、隣り合った二台の対戦台で初代RB対戦が始まっていた。メダル式のクレジットに戸惑うも、デイトナ常連らしき面々と町田勢で1P2P側で分かれて対戦。R氏は隣の台で祟秀で10連勝以上を重ねていた。対戦会終了後、対戦してくれた人たちと挨拶し、ひと月後の大会にも必ず来ると言い、初めてのデイトナを後にした。なおNA氏はその後一度デイトナに来たが仕事が忙しくなり、以降の対戦会に姿を現すことはなくなった。残念ではあるが仕事等で対戦活動を続けられなくなることもある。そのことを知ったのもこれが最初だった。
対戦会の一ヶ月後の9月24日、リアルバウト餓狼伝説大会OUT OF BOUNDSに参加するため再び蕨デイトナへ。自分は街のゲーセンとはいえ、大会というものに参加するのは初めてだったように思う。R氏に「お互いにいい試合をしよう」とエール交換した。大会は大いに湧き、ひと月前の対戦会には参加していなかったアンディ使いのS氏が優勝。大会終了後、参加者全員で蕨駅近くのジョナサンで打ち上げを行ない、今後も蕨デイトナで定期的に大会・対戦会を行なうことになった。大会名はI'm not boyで全員の意見が一致。ITに詳しいS氏がWebページを立ち上げ、大会・対戦会情報を一般に告知することになった。こうして2006年11月に蕨デイトナ初代RB大会・対戦会告知サイトとしてRe:Projectが立ち上がった。
蕨デイトナ対戦会発足当初のメンバーとしては、アンディを始めとして複数キャラを高レベルに使いこなすS氏の他、某ゲームでライン移動を活用した戦法で名を馳せ、初代RBではキムやマリー、舞を使うYO氏、後にミスターMVSとの異名を取り、当初は崇雷をよく使っていたGR氏、ビリーやマリー、キムを操るGE氏、ホンフゥ使いで自由な動きが印象的なQ氏、山崎使いで積極的に前に出る攻めが清々しいD氏がいた。またデイトナIIIの店長はこのときから今も変わらない。ボタン配置や動画撮影の要望に可能な限り応えようとしてくれる、頼れる店長である。なお当時GR氏はデイトナのことを地下ファイトクラブと呼んでいたらしいw
かくして二ヶ月後の2006年11月19日に第1回I'm not boy杯を開催。アンディで出場したS氏が再び優勝。賞品はもちろんネオジオポケット(ただしカラーではなくワゴンセールで買った白黒w)。優勝者への祝辞として「派手なベルトつけて腰に巻けるようにしよう。チャンピオンベルトみたいに」「画面動くし音も出るし、仮面ライダーみたいでかっこいいぞ」「次回から腰に巻いてスイッチ入れた状態で電車乗って来ること。義務な」といった心温まるコメントが寄せられたw
ちなみにこのとき初代RBに加え初代月華の大会も開催したのだが、ほぼ初プレイの参加者の中、JBを振り回して体力が光ったら乱舞奥義発動を繰り返した技武蔵が優勝。以後なぜかデイトナで初代月華大会が開催された記録は無い、、、
対戦会および大会の試合を動画で一般公開するため、2007年1月、S氏と自分で半分ずつ負担し合って27090円のコンバータを購入した。これは今でもデイトナのMVS内にセットされており、MVSで動画を撮りたい人たちに活用されているようだ。自分も今も活用している。また2008年2月24日の第7回I'm not boy杯よりHDカムを導入した。こちらは一個人として購入したものでデイトナには置いていないが、未だに対戦会のときは持参し、補助的に録画に活用している。なお当初はニコ動のような動画共有サービスではなく、オンラインストレージ(ファイルバンク。現在はサービス終了)を使ってファイルをダウンロードできるようにすることで動画を公開していた。当初意識はしていなかったが、海外の方も観ていたようである。しかしニコ動の存在感が日々増していくのを感じ、2008年8月19日に対戦動画8本をニコ動にアップロード(なおそれ以前にも参加者の手により大会動画がアップロードされている)。アカウント名は初代RBのユニークなシステムであるリングアウト=Out of Boundsから取ってOBとした。なお現在ニコ動で推奨されているファイル形式はMP4形式であるが、当時はFLV形式であった。
蕨デイトナ初代RB大会正式発足後の新たな参加者として、キムや崇雷をテクニカルに使いこなすMO氏が加わった。昇龍コマンドのガーキャン精度が非常に高いプレイヤーであり、崇雷のスピードを活かしたダイナミックな立ち回りは個人的に真似したいが、目と頭がついていかないw またRB2大会を同時開催することでも新たな参加者を呼び込むことに成功した(なおこれは2008年5月29日に発売を控えていたPS2バトルアーカイブズ2との相乗効果を期待していた面もあった)。新たに加わったのがRB2攻略サイトを運営し、初代RBでは山崎やアンディを使うLN氏、ローレンス等クセのあるキャラを好み、初代RBではホンフゥを使うI氏、マリー使いで初代月華プレイヤーでもあるGM氏、クラウザーを愛し、初代RBではバッシュを使うEI氏である。
また大会後の打ち上げに利用していたジョナサンが閉店してしまい(現在は営業を再開)、打ち上げ会場を変更しなければならなくなった。そこで誰が見つけたのか今となっては不明だが、蕨駅近くのパスタ屋にたどり着いた。老婦人が注文取りをやっている店で、ババパス(おそらくYO氏発案)の呼び名がすぐに定着した。昨日ゆでたに違いないとMO氏に言わしめたソフトな歯ごたえが特徴のパスタ屋であった。おいしいという感想はほぼ誰からも聞かれず、安くもなかった(むしろ高かったように思う)のだが、予約なしで大人数で行っても入れたので、他に選択肢もなかったデイトナプレイヤーたちの宿営地となった。なお現在は廃業しており、跡地では別の店が営業している模様。ただ未だに対戦会終了後にネタで「ババパス行く?」といった声が聞かれるあたり、デイトナプレイヤーたちの青春の1ページに永遠の座標を獲得したのは間違いない。なお店の正式名称は永遠の謎である。知ってる人情報ください。
蕨デイトナ対戦会10年史(1)
蕨デイトナ初代RB対戦会も2006年8月26日の第一回から数えて10年を経過。その間開催された対戦会・大会は約100回(動画が残っているのは88回)。そこで共に対戦会をもり立ててくれた参加者を中心に、この10年+αを私うきょー視点で振り返ってみようと思う。なおプレイヤー名はイニシャル表記です。
蕨デイトナ対戦会10年史(1)
序章 ~蕨デイトナ対戦会以前~ 2005年11月~2006年8月
2005年11月27日、町田のゲーセン・UFOで初代RBの対戦が行われているという情報を得て行ってみたのが自分のゲーセンでの対戦活動の始まりだった。情報はおそらくネットで見たんだと思う。実際に行ってみて対戦が行われているのを目にしたときは喜びと興奮に打ち震えた。このときの気持ちはマイナーゲームのプレイヤーの方にはわかっていただけるのではないだろうか。
町田での対戦を通して知り合ったのが、テリー他複数キャラを使いこなすNA氏と、祟秀使いのR氏。NA氏は画面全体を活用した大きな立ち回りが特長で、接近戦であっても画面全体を見ているのではないかと思われた。自分のテリーの対空前JCの当て方はNA氏のを参考にしている面がある。R氏は迎撃されてもとにかく攻めるプレイヤー。素振りからコンビネーションの後半のみを当てる強さを最初に自分に教えてくれた(身を持って思い知らされた)プレイヤーでもある。当初自分はR氏にほとんど勝てずに涙で枕を濡らしたが(笑)、NA氏はキャラ相性ほどにはR氏に負け越さず、すごいと感じたのを覚えている。なお直接話はしなかったが他にもプレイヤーがいて、ときどき乱入してきて対戦が起こった。日記によれば町田には毎週土曜日に集まり、終電ギリギリまで対戦し、終電で帰っていたようだ。終電後の駅構内に流れる路上ギタリストの物悲しい音色が耳に焼き付いている。ちなみに同ギタリストは未だに駅構内での演奏活動を続けており、心の中で応援している。
悔しくも楽しかった対戦の日々も長くは続かず、終わりを迎えることになる。2006年6月25日を最後に、初代RB台が撤去される運びとなったのだ。最終日はNA氏・R氏とともに閉店まで対戦して名残を惜しんだ。
その後すぐ、大和のリスボアというゲーセンに初代RBの対戦台があるという連絡がNA氏・R氏より入る。現地調査に行ったところ確かに対戦台が1台存在していた。ボタン配置がボックスのみで最初戸惑ったものの、三人で対戦する日々が再びスタートした。ただ町田のときと違い、自分たち以外にはプレイヤーはあまり居ないようだった。今思うとなぜ設置してあったのか不思議ではある。
対戦の拠点を大和に移してしばらくしたある日、蕨というところで近々対戦会が、次いで大会が開かれるという連絡がNA氏・R氏より入る。わ ら び?? まったく聞いたことがない。一体近いのか遠いのか。あと蕨という漢字、読めないしw NA氏が印刷してきた告知ページをリスボアの初代RB対戦台の前で三人で回し読み。場所を調べたところ電車で行ける範囲ではあり、釣りでマイナーゲームは選ばんだろうということで、大会の一ヶ月前に行なわれるという対戦会にまずは行ってみることにした。このときは蕨はおろか埼玉県に縁もゆかりもない自分が、まさか10年以上通い続けることになるとは想像すらしていなかった。