いまここ女子部

女性達の女性達による、女性達のためのリラックススペース!

あたりまえのしあわせ

2010年10月06日 | みりい
聴くたびに涙する曲があります。

一昨年の夏ヒットした宮崎駿監督の映画「崖の上のポニョ」のアルバム中の
映画では使われていない曲「ひまわりの家の輪舞曲(ロンド)」。

劇中、おばあさん達がデイケアサービスセンター「ひまわりの家」で
車椅子で生活しているんですが、
海に沈んだセンターにフジモトとグランマンマーレが訪ねて来る場面で
おばあさんたちは魔法のおかげで、自由に走りまわり笑い転げ、
少女のようにかわいらしく朗らかでした。

最後まで車椅子を離れなかった頑固なトキさんも、
宗介かわいさに思わず歩いて階段を降り、
宗介を抱き留める場面が印象的でしたね。
(映画を見てない方ごめんなさい~)


作詞をした宮崎監督は、
作曲者 久石譲さんのお嬢さん麻衣さんのボーカルを聞いて
号泣されたそうです。

劇中のトキさんと宗介に、亡き母親と自分自身を重ねて描いていたと言う監督は
小さい頃、病気(結核)のために抱いてもらえなかったという、お母さんの姿を
この歌の中に見たのかもしれません。


聴いてみてくださいね。

ひまわりの家の輪舞曲(ロンド)



作詞 宮崎駿 
作曲 久石譲
うた 麻衣

もういちど 自由に歩けたら
おもいっきり お掃除をして 
お洗濯をして お料理をつくって 
お散歩に出かけよう

晴れたらなんて 明るいんだろう 
お日様も 笑ってる
雨の日もスキ おしゃれな雨傘
レインコートも着て歩こう

おむかえは まだ来ないから
その間に ちょっとだけ歩かせて
もういちどだけ踊りたい 
そよ風になって


クルクルまわる 手をつないで
背すじを伸ばして ヒザをのばして
足をはねあげて スカートがふくらんで
みんなニコニコ笑ってる

おむかえは まだ来ないから
窓のガラスを ふくだけでいいの
もう一度だけ 踊りたい 
そよ風になって


・・・・・
誰にでもいつか、「その時」は来ます。

「お迎え」が来るころ、わたしはどんなことを「もう一度だけしたい。」
って思うんだろう・・・。

なにを、懐かしく想い返すんだろう・・・。

それは、狂おしいほどの後悔に満ちた感情になるんだろうか、それとも
静かに満ち足り感謝しながら、そっと手放すようにつぶやくんだろうか・・・。

そんなことを思いながら、
「いま」の、日常のなんでもない生活の中に
たくさんのしあわせや輝きがあることに気づかされました。

そう、いつもは「めんどくさっ!」って思ってる(かもしれない 笑)
お掃除やお洗濯やお料理や・・・それから、雨の日に歩けること。
窓ガラスを拭くことさえ。

それが「できる」ってこと。
背すじや膝を伸ばせるってこと。
お日様が昇ってきて、ちゃんと世界が明るくなること。


いつも意識にのぼっては来ないかもしれない、そんなたくさんのしあわせのかけらたち。

この歌を聴きながら、そんなかけらたちを丁寧に拾い集め、抱きしめ、
こころいっぱいに味わい感じてみたくなりました。

毎日の中に、たくさんのしあわせが隠れている。

そんなことに気づかされる珠玉の歌だと思います。

 
↑ここにも小さなしあわせが。ありがとうございます♪↑

かまってくん

2010年10月02日 | 黒妻
いまここ女子部の更新も
しばらくないようですので、
黒妻のくだらない話にお付き合いください。

こないだ某トーク番組をみていたら
『かまってくん』の話が・・

『かまってくん』とは
ストレートにかまってとは言いません。
いつも、どこか調子が悪いと言っています。
うちのK斎さんとかなりかぶります・・(笑)

うちには子供もおりますし、
いつもいつもは、かまってられません。
でも、めげずに訴えてきます。

最近、私はごっつい編集の仕事を頼まれて
夜はPCに向かう生活です。
『肩、凝った~』
と夫に訴えてみたところ、案の定・・
『俺も~』だって・・^^;

講演会後も、必ず体調を崩します。
今回は背中が痛いと訴えてきました。

とりあえずはツボをおし、
シップを貼ってやりましたが・・
次の朝、今度は腕が痺れると言い・・整体へ。

なかなか連絡がこないなぁと
電話をかけてみたら、
全身を寝違えていたそうです・・^^;

さすがに寝違えたとは
私に言いづらかったのでしょう。(笑)
移動中、変な体勢で居眠りしていたんだと思います。
(あぁ・・目に浮かぶ・・^^;)

あとは昔からなんだけど
切り替えがどうも苦手のようで
講演会やったら、ブログが滞るし・・
どっちかになってしまう。

バランスよくが永遠のテーマなんですが・・
夫には、相当難しいことらしい。
ほんとに管理が大変な『かまってくん』です。

そんなこんなで、
昨日まで仕事が手に着かずでした。
ヤキモキさせた皆さん、申し訳ありません。
(ここ見ているかどうかはわかりまえんが・・)

そして来週は沖縄にお邪魔します。
『かまってくん』の体調管理には
充分に目を見張ってまいります。

今後とも、よろしくお願いします。


 
↑全国のかまって夫を持つ奥様、
がんばりましょう!!!!↑

ご無沙汰しております!「ことば」

2010年08月24日 | みりい
みなさま、こんにちは。

興南高校 夏の甲子園優勝に続き、旧盆の真っ最中、
この時期に踊られる伝統芸能「エイサー」が町を練り歩く「道ジュネー」で
ますます盛り上がっている沖縄よりお届けいたします。

↓エイサー、こんな感じです。かっこいいです!!




いやいやいやいや・・・ずいぶんとご無沙汰してしまい、申し訳ございませんでした。

そして、覗いて下さってこの記事を見つけて下さったあなた様、ありがとうございます!!


メンバーいっちゃんの旦那さま、「いろとかたち」のマシマシが
8月3日、夢のように美しいおとなの絵本
はじめてのアート&エッセイ集「幸せのいろ 目覚めのかたち」を出版しましたが
その記念もかねて、これで最後の「ぷりぷりぽめろんツアー2」の真っ最中ですね!

残すところ
25日(水)広島、27日(金)宮崎、29日(日)沖縄となっています。(会場等詳細は⇒ココクリック
まだお席あるそうなので、ピンと来た方、当日でもどうぞいらっしゃってくださいね!


さて、しばらく夏バテ不調だった私もようやく回復基調に戻っています。

今日はちょっと前に、黒妻さんをマネして(笑。すみません)
ひらがなで書いてみた詩のようなモノをご紹介いたします。 

朝夕ふと秋の気配を感じるものの
まだまだ 暑さが続きますが、おからだご自愛くださいね。


「ことば」(を こえていこう)

ことばって つまんない

こころにあることは でっかいのに

ぜんぶつたえるのはむりだから えらばなきゃならない

そのじてんで もう たいせつだと おもってることの

いちぶぶんだけになってしまう

でも、そのたいせつなことを ささえてる 

えらばなかったぶぶんも ほんとは たいせつだったりする


とりあえずいま、のほうがさきになったりして

とてもたいせつなことが かくれちゃうこともある


おもてだけじゃなくて うらもどうじにかんじているのに

おもてのいちぶしかいえなかったり

なかで かんじていることが にじみでてくれたりくれなかったり
 

うけとるひとの うちがわや うらがわにあるものによって

ちがったいろで うけとられちゃったり


○  自分のなかにあるもの
↓  
●  表現というフィルターを通る

●  相手が受け取った音声としてのことば

▲  (相手の)解釈というフィルターを通る


○だったのに・・・なんで▲??? 


でも、そこに いのちの こせいもある

そんなフィルターが そのひとであり わたしだ

そのフィルターを しるってことが そのひとを しるってことで

じぶんを しるってことだ


なんども そのかていを くりかえすうちに 

なかにあるものも うらにあるものも みえてくる

そのかていを とおりぬけたものどうしが

ほんとうに りかいしあえる ともだちになれるんだな


そのときに、ことばは ことばをこえるんだな


「ことばってつまんない」っておもっちゃったけど ほんとうは

それをこえたときに あたらしせかいがひらける すごいどうぐなのかもしれない


 
↑本当にお久しぶりに・・・ありがとうございます!↑

これが夏・・?

2010年08月11日 | 黒妻
北海道がここのとこ

北海道らしくありません。


1年で最も素晴らしい

爽やかなこの時期に

なんていうことでしょう~!!


あるときは

激しい豪雨、

あるときは

目の前が真っ白になるくらいの稲妻!!

そして何よりこの湿度・・

すっかり亜熱帯気候っす。


今までだと

暑い日でも夕方くらいには

涼しい風が吹いてきて

夜寝苦しいということは

ほとんどありませんでしたが・・。



うちより

ひどいのが夫の事務所!!

窓ひとつ・・

扇風機なし・・

(もちろんエアコンなし・・)

昨日はさすがに逃げ出したようです・・(笑)



暑さ対策としては・・

ショウガ紅茶を少し減らしてみました。(その程度)

黒糖の入れ過ぎなのか?

さっぱり体重は落ちませんが、

夏バテもせず、元気です。^^


が、しかし

あたため効果で

問題点が浮上・・


それは

何かといいますと・・


蚊に刺されやすくなった!!


今まで

周りが刺されまくっていても

私だけ刺されないという

誰もが羨む体質だったのですが・・(?)

今は人一倍刺されてます。^^;


蚊ってもしや

目がサーモグラフィーみたいに

なってるんじゃない?

(プレデターのような感じ・・古っ!)


・・

もの事には

よい面も

悪い面あるっていう

話に繋げたかったんですが、

うまくまとめられませんでした。(笑)


ブランクがありすぎて・・

すみません。(汗)


とりあえず家は

ミニミニ扇風機1台で

この夏を乗り切ります。(笑)


では皆さんも

熱中症には気をつけて

楽しいお盆休みをお過ごしくださいませね~。


 
↑エアコンぽちっと入れる感じで!!↑

2010年07月22日 | イリス(さわら)

こんにちは!ご訪問ありがとうございます!


大変ご無沙汰しております~


ぼちぼち更新にも程があるぜ!の状態になっておりますが…


(生)温かい目で見ていただければ幸いでございます。



しかし!


梅雨があけてから、毎日暑いですね!

ミナサマいかがお過ごしでしょうか!?


東京も殺人的な暑さが続いております。


そんな中、仕事場でクーラーが故障してしまうというトラブルが発生…


なん・です・と~~!!


この猛暑日にクーラーが動かないですってぇ!?


そ、それは死ねとおっしゃる…?



…と言う訳で…


窓のないフロアはちょっと動いただけで汗が噴出する暑さに加え


厨房は地獄の蒸し風呂状態。


ねぇ?ここは砂漠なの?

サハラ砂漠?

あぁ…蜃気楼が見えるよ…ママン…



そんなこんなでスタッフ一同は「え?風呂上り?」


と思われるほど、いい感じに湯だっていたのでありました…



暑さで体力と思考力を奪われ、意識も~ろ~ぐったりした一日でした。


あ~すっかりクーラーに慣れてしまっていたのね~




それはさておき!


最近、自分を含め、周りでも多くの人が、結婚や愛についての体験をしています。


それで、私自身ちょっと立ち止まったり、自分と向き合ったり…


いろんな体験をしている最中です。



で、やっぱり結局は「自分とは何者か」と言うところに行き着くのだなぁと実感していた次第であります。

どれだけ開いているのか、とか…



で、そんなこんなで、それについて思いを巡らせたり感じたりしているちょうどそのとき、以前からぼちぼちと読み進めていた「神との対話」の6巻を読んでおりまして…(遅!)


なんとタイムリ~なことに、愛と結婚についての記述があり、おお~この表現面白い!とか、これだこれ!と言う箇所がありましたので、ちょっちシェアしたいなぁって思います。


以前、自分のブログでも、「不倫」や「結婚」について書こうと試みたことがあったけれど、うまく言葉にできなかったのと、どギツイ表現になっちゃうな~~~う~ん、と自分自身しっくりこなかったので、保留になった記事がありました。


その「書きたかったこと」が、ここでもうしっかりはっきり書かれてあるので、おお!と思いまして~☆



とは言え!!



抜粋は著作権がどうの、と言うことになるようですので、自分の言葉でまとめた概要を書きたいと思いま~す。


長くなってしまいそうなので、お覚悟を!!


(お手元に本があって、興味のある方は、そちらを読んでみてくださいネ。)





愛とは、無制限なものだ。

始まりもなく、終わりもなく、以前も以後もない。

常にある。常に現実だ。

(だから、終わりがある愛は愛ではない、と言うこと)



ひとは常に愛し、愛されたいと願っている。

私たちは、愛の経験すべてで自由と無制限と永遠を求める。

それは、愛とはそう言うもので、人は心の奥底でそれを知っているから求める。

なぜ知っているのか。


私たちは愛であり、愛の表現を通して、本当の自分を知り、経験するからだ。


私は愛でありあなたは愛であり、存在するのはそれだけだ。

愛でないものは何もない。

不安は愛の対極で、ほんとうの自分を経験的に知るために現実のなかで創り出したものだ。

私たちの相対的な世界での真実とは、自分でないものが存在しなければ、私も存在しない。


「神」「生命「愛」「無制限」「永遠」「自由」


これはみんな同義語で、同じものだ。


このどれにもあたらないものは、ほかのどれでもない。

愛の自然な表現を妨げるものは、自由の否定であり、魂の否定であり、神の否定だ。


したがって、私たちの本質は、「押し付けられるあらゆる制約」に抵抗する。

自由であるよう、自由を求めるよう、そのようにできている。

(人類史上のあらゆる革命の火花はこれなのだ)



最初、結婚と言う「制度」は、永遠を創造しようとする試みだった。


結婚によって生涯のパートナーになることを約束し合おうと。


「永続性」あるいは「永遠」をもたらしてくれる唯一の方法として。


しかし、出来上がったのは「究極的な愛の宣言」ではなく、「究極的な不安の宣言」だった。

いまの我々は、自分の愛を「約束」か「保証」のレベルに引き下げてしまっている。


なぜなら、女性とって結婚はサポートや生存が保証される唯一の方法であり、男性にとって結婚はつねにセックスとつれあいを保証してくれる唯一の方法だからだ。


よって社会的なしきたりが創られ、取引が成立した。


結婚は「いまの状態」が永遠であることを保証しようとする努力だ。


すべては「不安」に根ざしている。


だが、愛は自由で永遠で無制限だ。


それが「~しなければならない」と言う、「約束」「義務」になってしまった途端、それは愛ではなくなる。



もし、あなたが特別な愛をひとりにだけ示したいと思う日が来たら、その時はそれを「選択」しなさい。


それを表明し、宣言しなさい。


だが、その宣言は義務ではなく、その瞬間の「自由の表明」にすること。


なぜなら、真の愛はつねに自由で、愛の場には義務は存在しえないからだ。


ひとりだけを独特なかたちで愛するという決断を、決して破ってはならない神聖な約束と考えるなら、

その約束が「義務」になる日が必ずやってくるし、あなたはそれを恨むだろう。


だが、その決断をたった一度の約束ではなく、何度でもやり直す「自由な選択」だと考えれば、それを恨む日は来ないだろう。


神聖な約束は、ただ一つしかない。


それは、本当の自分を語り、生きることだ。


他の約束は、自由の喪失で、決して神聖なものではない。


ほんとうのあなたは、自由なのだ。


自由は失えば、自分自身を失う。


それは神聖どころか、冒涜だ。


いまの、ほとんどの人生では、全ての約束に「偽り」が組み込まれている。


なぜなら、将来自分がどんなふうに感じるか、どうしたいと思うかそれが「いま分かる」と考えるのが偽りなのだ。


創造者として生きて初めて、偽りのない約束ができる。


わたしたちは変化する生命だ。


わたしたちが「生命」と読んでいるプロセスは、再創造のプロセスだ。

生命はすべて、瞬間瞬間にみずからを「再創造」しつづけている。


このプロセスでは、同一は不可能なのだ。



ほんとうの自分はいつもこうだ、と言っても、その後に変わる。

だから、深い葛藤が生じる。

どちらに従うべきか。

本当の自分か?約束した自分か?


が、(偽りを含んだ)約束を守るために…他人を裏切らないために、自分を裏切ること、

それも裏切りだ。


しかも、最高の裏切りだ。


自由に行動している人よりも、静かな絶望の人生を送っているひと(つまり、「~しなければならない」ことをしているひと)の方が、ずっと大きな被害を与えてきた。



相手に自由を与えれば、必ず自分も自由になる。


あなたは何も失わない。

「源」とは、あなたがもっている「何か」ではなく、あなた自身であるからだ。


愛には何も必要ない。それが愛だ。

誰かへの愛が要求をともなうなら、それは愛ではなく、まがいものだ。

他者と関係を結ぶとき、目的はたったひとつしかない。

ほんとうの自分とは何者かを決定し、宣言し、創造し、表現し、経験し、再考の姿を実現することだ。

相対的な世界の物質的な領域でしか、自分を知ることはできない。

絶対の領域では、知る、と言う経験は不可能なのだ。




最後に。


わたしたちはみな、結婚している。

互いに結婚しているじゃないか。

いまも、そして永遠に。

わたしたちは結ばれている。

わたしたちは「ひとつ」だ


これまでで最大の結婚式だよ。

わあたしはあなたを永遠に愛し、すべてから自由にする。

わたしの愛はあなたを縛ることはない。

それゆえに、あなたは最後にわたしを「愛する」ことになる。


ほんとうの自分でいる自由こそ、あなたの最大の望みであり、わたしの最大の贈り物だから。


それが宇宙最高の法律なのだ。



案の定、長くなってしまいました~


しかもほとんど抜粋だったような…(テヘ☆)



と言う訳で、


愛は自由で、無制限。


自分の選択、責任において、やっちゃいけないことはない。


それは「愛」を通しての「体験」なのだ。


「私たちが何者であるか」を知らずに…と言うか、間違った解釈の上に構築された「システム」や「法律」に縛られることはない。


そのほとんどが、「自分を守ろう」とする不安や恐れから成り立っているから。


肝心なのは「自分がどうしたいのか」だ。



私たちは「結婚」に、あるいは結婚から、何を望んでいるかによって決まる



何がよくて何が悪い、と言うのではなく、それぞれがそれぞれの自分のプロセスを経て、体験するものなんだね。


ある人は「幸せ」(と思われる)結婚や恋愛を通してそれを体験するかもしれないし、

ある人は「不幸せ」(と思われる)結婚や恋愛を通してそれを体験するかもしれないし、

ある人は「波乱万丈」(と思われる)結婚や恋愛を通してそれを体験するのかもしれない。



ニールさんの言葉を借りれば「完了」するために。

ほんとうの自分を知り、それを生きるために。



とは言え、やっぱり「それはよくない」と感じる人もいると思う。

それはそれでよし。

何を思うか、何を感じるかは、人それぞれで、みんな同じように感じなきゃいけないってことはない。


ただ、さっきもあったように「~しなければならない」と言う制限を設ければ、それが「抵抗」となって「摩擦」を生じ、自分が苦しいよ、ってだけのハナシで。

生き方も自由。

選択も自由。


ただ、「自覚」してそれをしようね。



それでも私たちは「本当に愛されてるのだろうか?」と不安になったりする。

愛を疑ったりする。


それもそれでいいんだ。


ここでしかできない貴重な体験。


それが、自分の中にあるものを教えてくれるよ。




さ~!!



輝こうぜ!

いまを精一杯生きようぜ!

何でもアリだ!!



今日も最後まで読んでくださってありがとうございました~☆



 
↑せんきぅ!いっちゃんマシマシさん本の出版おめでとっ!!