かってノストラダモスの大予言に踊らされ、
その年は12月21日が世界終末の日だとマヤ歴では踊らされ、
有難い事に、世界の終末の訪れも無く、
無事22日がやってきたけど、
「備え有れば憂いなし」とは、よく言ったものだ。
しかし、いくら備えていても真の世界の終末が到来すれば、
ある程度の備え位いではどうにもならないだろうと思われる。
相当の国家レベルの備えでも恐らく無理だろうなあ。
真の世界の終末が到来すれば、
その時は腹を括って潔く滅ぼうと私は思う。
終末の到来は想像を絶するだろうから。
大自然は人知を超えて偉大で有り恐怖である。
それが分からないから我々人間は目先の事ばかりにとらわれていて、
きたるべき終末の日が見えていない。
大気汚染、地球温暖化、異常気象、等々、
さまざまな警告を大自然は発しているが、
それらの警告を一体何人の人間が真摯に受け止め
憂慮しているのか、わかったもんじゃない。
北極の氷が全部溶けたら、船便が便利になると喜んでいられない。
海岸線が変化しまくっても、大陸はいつまでも有るとは限らない。
動植物の生態系が狂いまくり、絶滅する動植物が増えても、
手をこまねいてばかりではいられないが、
それを防ぎようはないだろう。
私は猫を飼っているが、きゃつらを見るにつれ、つらつら思う。
人間以外の動植物は大自然を壊してはいないと。
地球崩壊のA級戦犯になるのは、人間だと。
誰のせいでもありゃしない、皆人間が悪いのさ。
文化の発展は、
いつか壊れて使い物にならない粗大ゴミを吐き出し、
処理するにも手に負えない粗大ごみの山が築かれてゆく。
地中であれ、海洋(海底もだ)であれ、
粗大ゴミの捨て先は地球から外には出ない。
宇宙にも粗大ごみが大量に漂っているそうだが、
このゴミも次第に増えてゆくだろう。
地球は内外ともにゴミに埋もれてゆくのだ。
この宇宙のごみをロシアが回収しようとして失敗したそうだ。
まさか、回収したごみは
海洋(もしくは海底か)に捨てる訳ではないだろうが、
完全消滅させない限りゴミはゴミとして存在し続けるのだ。
ある日、粗大ゴミ置き場に出かけて行った。
そこにパソコンの山が有った。
使い捨てられたパソコンの山を見て私は驚いた。
人間のやることはそんなもんだ。
何かを欲しがって手に入れるが、それらはいつかゴミになる。
せっせとゴミを作ってゆくのだ。
しかし、パソコン1つ大事に使えと命令する訳にはゆかない。
友人は古いパソコン1式をオーバーホールしつつ所持しているが、
6畳間が一杯機器で埋もれている。
古いパソコンだからそれだけ機器が必要なのだそうだ。
今ならノートパソコン1台で事足りるのにね。
そんなパソコンだから、使いづらくて現在はお飾りになっているそうだ。
ノートパソコン1台買ったら、
6帖間一杯の古いパソコンのゴミが出来上がるのだ。
私なら、捨てたくもならあな。
一事が万事だ。
ゴミを作りゴミを吐きだし、どこまでも行こう、だ。
使い捨ての時代のただなか。