貧者の一灯ブログ3

マイペースの自己満のブログです。
人生は、振り返ることは出来ても、後戻りは出来ない…
神戸発信…

一考編・貧者の一灯ブログ

2024-06-11 | 貧者の一灯ブログ








不登校の子どもたちは、「誰も自分の本当の気持ちをわかって
くれない」と思い続けています。周りがみんな敵に見えること
もあるでしょう。





達也君(仮名)は、両親、弟との4人家族です。

幼児期は折り紙が大好きで、いつも一人で折っていました。
掃除機や換気扇の大きな音が苦手で、耳をふさぐことがあ
りました。

小学校入学後は、なかなか友だちができず、休み時間はい
つも一人で本を読んでいました。融通がきかず、相手と折
り合いをつけることが苦手でした。  

中学校時代もほとんど友だちができませんでした。自宅では
「フォートナイト」というオンラインゲームに夢中でした。

学校の成績は優秀だったので、高校は地元の進学校に入学し
ました。  

この高校では毎日のように大量の宿題が出ましたが、達也君
は、それを期限までにやり終えることがほとんどできません
でした。

計画的に宿題をこなすことができず、とうとう提出しなくな
りました。そのため、成績は下がる一方でした。

そして、高校でもなかなか友だちを作ることができません。

高校1年の夏休み明けからは学校を休みだし、その年の10月、
お母さんと一緒に思春期外来を受診しました。





診察室の達也君はとても緊張し、主治医からの質問にも
「はい」「いいえ」としか答えてくれませんでした。

自宅ではフォートナイトに没頭し、昼夜逆転の生活を送っ
ています。  

同伴したお母さんは、「せっかく進学校に入学したのに、
不登校になってしまい残念でしかたありません。

このままでは人生の落ちこぼれになってしまいます。だか
ら私は毎朝、達也を必死になって起こそうとしました。で
も、達也はベッドから出てこようとはしません。

夫は『好きなようにさせておけ』と言うだけです。私は、
何とかして登校させようと思います」と、時折涙ぐみな
がら話をしてくれました。  

不登校ということで、主治医は、2週間に1度の割合で
通院してもらうことにしました。

達也君には多少、発達の偏りがあるかもしれないことを頭
に置きながら面接をしていくことにしました。  

通院を始めて1か月がたちましたが、不登校は続いています。
診察室で達也君は、「僕には味方が一人もいないんです。

学校ではいつも一人っきりで、それがつらくて学校を休む
ようになりました。でも、家ではお母さんが、毎日のよう
に『学校に行け』とうるさく言う。

弟も登校できない僕をバカにしてくる。誰も僕のことをわ
かってくれない」と言って、涙を流しました。





ところが、その1か月後から、達也君は登校を続けるよう
になりました。

たまたま登校した日、副担任の先生から「昼休みに一緒に
お弁当を食べよう」と誘われたのをきっかけに、生徒相談
室でこの先生と過ごすようになったのです。

お弁当を食べながら、達也君は、オンラインゲームの話を
副担任の先生にしています。副担任の先生はゲームのこと
は全くわからず、話についていけませんでした。

達也君は、ゲームの基本的なことから、一つ一つ先生に教
えてあげました。  

副担任の先生とのお弁当が始まってから、達也君は学校を
休むことがなくなりました。でも、教室では依然として孤
立していました。  

副担任の先生は、達也君に対する自分の関わりがこのまま
でよいか不安となり、本人とお母さんの承諾を得て、主治
医のところに相談に訪れました。

主治医からは、「達也君は、先生という味方を初めて見つ
けることができました。先生も大変かもしれませんが、こ
のまま一緒のお弁当を続けてください」と話しました。





副担任の先生とのお弁当は、その後も続きました。

学年が上がって副担任ではなくなりましたが、この先生は
卒業までお弁当に付き合ってくれました。  

達也君は無事に卒業式を迎え、専門学校に進学しました。

卒業後の診察時に、高校時代の一番の思い出を聞いたところ、  
「先生とお弁当を食べた時間が、一番楽しい思い出です。

先生はゲームのことを知らないのに、僕の話に付き合って
くれていました。親や弟でも自分の話を聞いてくれなかっ
たのに、先生はいつも真剣に聞いてくれました。

副担任の先生と一緒にいるうちに、なんだか元気が湧いて
きて、がんばろうという気持ちになったんです」と話しま
した。





私たち大人は、思春期の子どもたちを、どうしても「自分
より未熟な存在」として見てしまい、対等な関係を作るこ
とが難しくなります。

不登校の子どもであれば、なおさらそういう見方をしてし
まいがちです。

その結果、大人は、子どもたちに「世の中の当たり前」を
押しつけることになります。

「できないこと」や「やらないこと」があるなら、がんば
ってできるようになることが学校や社会で生きていくため
に必要だと、子どもたちに教え込もうとします。

しかし、そんな話を聞かされ、子どもたちがすぐに変わる
ことはまずありません。  

達也君は友だちがおらず、家族も味方にはなってくれませ
んでした。そんななか、副担任の先生との出会いは、達也
君が変わる転機になりました。

この先生は、教師の立場から「がんばり」を一方的に求め
るのではなく、達也君が興味を持つオンラインゲームの話
をひたすら聞き続け、達也君を先生役として、ゲームの解
説を受けました。

達也君を自分の意思や気持ちをしっかりと持った一人の
人間として認め、向き合うことを続けました。

先生が味方になってくれ、自分を認めてくれたと実感で
きた達也君は、不登校を乗り越え、前に向かって進むこ
とができるようになりました。  

私たち大人が子どもたちの「味方」になるには、まず、
子どもたちに対する「見方」を変えること、ということ
でしょうか。 …








私が小学4年のころの話。

よく家にお邪魔したりされたりして遊んでた子、Aがいた
んだけど、 ある日、そこのお母さんから電話がかかって
きた。

お母さんに変わってくれるかな?と言われたので取り次いだ
ら はい、はい、と話を聞きながら次第に私を睨みつける母。

電話を切った途端に、どういうこと?!と私を叱り飛ばす。

え?何が何が?と思いながら母の怒ってる言葉を聞いている
と どうやら、Aが「(私)ちゃんがおばあちゃんの貯金箱か
らお金を盗んだ。」 と言ってるようだった。

もちろん記憶にないのでそんなことしてないと何度も訴えた
が 母聞く耳持たず。

だけど、1時間叱ってもがんとして認めない私に 母も痺れを
切らし、アンタの嘘を暴いちゃる!と言い出した。

母:○月○日に盗まれたって言ってるよ! そういやアンタ、
電動の鉛筆削り機欲しいって言ってたね。 それのために盗
んだんじゃないの?!

私:買ってないよぅ…。
母:○日は何してたの!?日曜だよ!
私:うちでお姉ちゃんとクッキー作ってた……。
母:……………。

優等生な姉(中2)が呼び出され、事実確認。母おとなしく
なる。

とりあえず父が帰宅、晩ご飯食べる。そして母がA宅に電話し、
その旨を伝えると 「姉妹グルで嘘ついてるんじゃないですか
? うちのAと、中学1年の従姉妹も盗まれたって言ってます。
」の流れのあと、電話切る。

本当に盗んでないんだね? とりあえず今日は遅いから寝なさい。
と両親に言われるも、布団の中では「自分が知らないうちにやっ
てたのかも……

怒られ続けるくらいならもう認めちゃってガツンと 1発怒られ
てそれでおしまいにしたい…」 と思い始めていた。

するとリビングから私を呼ぶ声。

Aの家族全員とその従姉妹の母親がうちに直談判に来るから着替
えなさい、と。

正直ガク((;゚Д゚))ブルで、どうしよう、やりましたって言っちゃ
おうかと迷ってるうちに Aの軍団到着。

玄関に迎えに行き、どうぞあがってくださいと言うと お宅の敷居
は跨げませんと軍団全員泣きながら土下座した。

来るときに車の中でAと従姉妹が事実を吐いたらしい。

Aおばあちゃんの貯金箱からお金を盗んだのは Aと従姉妹で、
おばあちゃんがお金がないのに気付いたとき、 よく遊びに行
ってた私に罪をなすりつけることにしたらしい。

大人5人と友達1人とよく知らない女の子が泣きながら土下座
というのは迫力があった。

A母はAを叩きながら謝るし、我が家もさすがにビビり、母が
もういいんですよ、とにかくうちの子が盗んでなくてよかった
です。と言って帰したが、 A軍団が車に乗り込むまでの間、罵
声が家の中まで聞こえていた。

その後、お互いにあまり関わらなくなったので今その子がどう
してるかは 解らないけど、私は元気です・・・