優厳 × 赤鬼通信

社会参加活動の支援を目指す「なんちゃって社会貢献チーム」の、「優しく厳しい遊び場づくり」の迷走過程を記して行きます。

落ち込みながらも

2006年05月12日 | Weblog
 こんばんは、早めに見つけたので返しておきますね。 
 記録をしっかり読むと皆が相当落ち込みます。落ち込んで立ち直れない人がいるので、あまりオープンにしてません。なので私が記録をあなたに渡したのは、あなたなら渡しても大丈夫だと思ってのことです。あれを読んで辞めちゃうと、私がどうにもならなくなるので、もう少し付き合ってください。
 ・・・あのね、私は「結果」が欲しいんですよ、冗談じゃなく。「私の掛け声でボラが動いて、家庭が満足して、それが実績となれば、職場で権力を握ることができ、少しでも自分の目指すものへ近づけるような事業を実施することができる」、そんな意図を丸出しでやってます(笑)。人を思いやる気持ちなんかではありません。力が無ければ、何もできない。だから登録してる100名のボランティアのうち、一緒にやれる15名を絞り込んでチームを組んでいます。人間的にレベルが低いことですよねー、それって。参加してるボラは善意でも、私は給料を貰って活動してます。だから手段のために目的は選ばないし、目的のために手段も選びません。偽善も世辞もあれば、きっちり打算して自腹を切るし、意図的な演技もすれば、うまい演出もします。
 私は「一人でやれる」って、どこかで信じてるんですよ。だから誰かと組むのって、できればしたくない。今でも大勢を集めて行事を組むのはしんどいんです。だいぶ慣れてきてるけど、新しい人と組むのは面倒だし、困難ケースも関わりたくない。でも、呼ぶのが難しいだろう児童や参加者を呼んで、少しでも楽しそうだったり、憂さが晴れたりすると、すっごく嬉しい。新しいボラが来て馴染んでくれて、また来てくれると、すごく嬉しい。一人でやれる自負が強い分、誰かと組んでうまくやれたことって、自分の中で新鮮な驚きだったり、そう、「壁を越えたー」って達成感がある。誰のためでもない、自分のために嬉しがったりする。うん、でも当然ですよ、その「達成感」は、誰かが味わうものではなく、自分が身を刻んで手に入れたものです。どんな大きさであれ、それを手に入れた自分に対して、苦しみながら活動を続けている自分に対して、ほんの少しだけ敬意を払ってあげてください。私は、来てくれるあなたに敬意を払ってます。私の態度からは伝わらないかもしれませんが、「声を掛ける=敬意を表してる」ってことです。
 本当は、私がもっとしっかりした支援者であれば、あなたを痛めつけずに、いろんなことを気付かせてやれるのかもしれません。でも、私は「弱さ」を内包しない人を信じないし、それはきっといつか自分を強くします。「適当にやってる」と口にすれば、それはいつか適当な結果に成り下がってしまいます。私はあなたと出会った日から、しっかりあなたを見てます。あなたを呼びたいから、呼んでいます。あなたの良いところも、いっぱい知ってます。疲れたら、息を抜きながらでもいいので、ゆっくりゆっくり、やってきましょう。そして、いつかあなたが「もっとやりたい」と思えるところが見つかったならば、いつでも喜んで見送りますので(笑)。
 学生とか社会人とか、経験があるとか無いとか、そんなのどうでもいいんですよ。ほんの一瞬だけでも一緒にやれて、何かが引っ掛かれば、もう十分なんです。なので、自分が痛まない程度に付き合ってくれれば幸いです。

 それと余談ですが、私のところに居る方々は、世間一般のボランティア像より少しだけ自虐的なところがあるので、いつも自分のやってることはマイナスだと思ってたり、自分はダメなんだと思い込んでいます。その上の、私のように血も涙も無く、ボラを駒のようにしか扱わない者が束ねてるから、更に挫折するわけです。でもみんな、私に騙されてるって分かってて、それでも付き合ってくれてる人が多いので、中々止まらないんですよ。にも関わらず、海千山千を越えてきた35の(口だけの)私と、19、20、21、22で渡り合おうと思ってるので、様々なところで活動をしてる人たちでも、私のところの活動が「一番きつい」って言います。どうせ私など「口だけ指導者」なのですが、でも私は、大人は若者の壁になるべきだと思うので、口だけであっても止めません。私は自分が偏った人間で、かつ迷ってること、困ってることをできるだけ全部伝えるようにしてますが、それはいつか皆がぶつかる、「試行錯誤することは恥ずかしいことじゃない」ってことを、自分の無能さを晒してでも伝えたいからです。でも、多分私の方法論が追い詰めるんだろうなー、少し反省もしておきます。

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