優厳 × 赤鬼通信

社会参加活動の支援を目指す「なんちゃって社会貢献チーム」の、「優しく厳しい遊び場づくり」の迷走過程を記して行きます。

ギリギリ・・と、音を立てて

2008年07月26日 | 追加カテゴリー
 土用の鰻、である。スーパーで、この鰻の値段は一体なんなんだ・・・と思ってしまう。どーして弁当の鰻が1500円もするんだ? 700円もすりゃ、ご馳走なのに、その倍もするってのは、本当に心外なものです。これって、食品産地偽装の影響なんだろうけど、ホント迷惑な話である。
 鰻が、今まで以上に美味そうに見えるようになったのは、『セクシーボイス アンド ロボ』で、三日坊主とニコが一緒に鰻を食べてるコマを見てからである。
「国産のが美味いか知らんが、しょっちゅう食える方がいいや。」・・・そう思う。金儲けしたい気持ちは分かるが、安いけど、安全で美味い鰻を食べさせることに、どうして誇りを持てないのだろうか? 時々世の中は、いろんなボタンを掛け違える。我々も、ボタンを掛け違える。

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  自閉症の自傷行為がエスカレートして転院して来た方がいます。
  なにか・・・不足しているのか、不満なのかが誰にも分からず、
  結局放棄されていたらしいのですが、
  なるほど・・手のひらを骨が見えるほど掻き毟り、
  ゴンゴンと頭を壁にぶつけっぱなし・・・

 和歌山から届く言葉は、いつも自分の「力の無さ」を思い出させる。そこに、自分にとっての「ジョン・シルバー」がいる。


 頭を壁にぶつけてた青年が、死ねずにいたのを聞かされたのは、20歳の夏だった。今年も目の前に、20歳の若者が走り回っている。
 そのとき、自分の前にいた支援者は・・・あの人は支援そのものに人生を賭けてたので、支援者なんて括っちゃいけないんだけど・・考え方も方法論も全然自分とは違ってたけど、違ってた自分に向かって、あの人の予想を越えた「繋がり」を作れた時、すっごく不思議そうに笑ってたのを、今でも覚えている。理解し合えなくても、通じることはある。通じているからって、理解し合えているわけじゃない。だからこそ大人は、次の世代のために、しっかり壁にならなきゃ、ならない。

 今でも壁から、実際には聞いていない音・・・頭を壁にぶつけている音が聞こえるときがある。見ていない血塗れの姿も、時々見えるときがある。そこにいなくても、いろんなものが見えたりするのは、確かに「武器」ではあるのだが、見えれば見えるほど・・・それが経験に基づく類推に過ぎないにしても、それは自分の首を、時折平気で絞めてくれたりする。その所為か、今日は一日、首がギリギリと音を立てて痛んでる・・・それが単なる錯覚だとしても、無性に無力さが思い知らされるような痛み、である。

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 18、19、20、21・・・吐き気が出るくらい、毎日飢えて暮らしてた気がする。アルフォンス・デーケンの講演を聞きに行ったときにサインしてもらった本を鞄に入れていた。ひとつのことを学んだら、そっから世界が一気に拡がっていくような・・・そんなステップを踏んでいるときが、確かにあった。
 いつも言う、19、20で毎日吐きながら暮らしてないヤツなんて、話にならない・・と。できればもっともっと、潰されてしまえばいいのに(笑) どーせ、立ち上がらなきゃならないんだったら、反動が大きい方がいいんじゃないかな。観たこともないものなんて、まだまだ浴びるくらいあるんださいさ。
 そーいやー、飢えた若者を、しばらく見てない気がする。語呂合わせじゃないけど、『飛ぶ夢をしばらく見ない』を書いたのは山田太一だが、今の若者は山田太一なんて読むのだろうか? 
 ちなみに、ランディ・パウシュも言っている、
 「経験とは、求めていたものを手に入れられなかったときに、手に入るものだ。そして経験は、君が提供できる中で、たいてい最も価値のあるものだ。」 ―― と。




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