本日の活動でしたわなげが盛り上がって皆さん楽しそうにしていましたよV(^v^)V
僕は100点に2回入りましたよV
2回戦は もうちょっとで僕が優勝出来ていたのに残念でした。
次回のわなげは優勝を狙いたいのでジペンジをやりたいです。
この写真は↑所長さんが活動の風景をとってくれましたよ。
僕がわなげをしてるところです。
ロングミラクルがおきましたよV(*^_^*)V(^v^)
本日の活動でしたわなげが盛り上がって皆さん楽しそうにしていましたよV(^v^)V
僕は100点に2回入りましたよV
2回戦は もうちょっとで僕が優勝出来ていたのに残念でした。
次回のわなげは優勝を狙いたいのでジペンジをやりたいです。
この写真は↑所長さんが活動の風景をとってくれましたよ。
僕がわなげをしてるところです。
ロングミラクルがおきましたよV(*^_^*)V(^v^)
今日は朝からラ-ム-へ行きましたV(*^_^*)V
ラ-ム-で何を買いましたと話すると 塩カルビ-焼そば2こと チョコバナナのプチロ-ルも2こ ツナパンも2こ買いましたよ。
今お気に入りは チョコバナナのプチロ-ルですよ(^v^)(^v^)
一度みなさんも食べて見てくださいね!
凄く美味しいです。
これが↑塩カルビ-焼そばです。 これが↑チョコバナナのプチロ-ルです。
本日の活動のプログラムは 紙相撲です。
午前中は 僕は 紙相撲をみんなで作りましたよ。
僕の 紙相撲の名前は バイバイキンマンです。
午後からみんなで紙相撲大会をしました。
それで、僕のバイキンマンが優勝だよ(^v^)
決勝戦は バイキンマン&王さんと決勝戦をしました。
巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(77)と巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏(38)への国民栄誉賞の授与式が5日、東京ドームで巨人―広島戦の試合前に行われ、セレモニーの最後は始球式で締められた。「バッター長嶋、背番号3」と場内アンウンスが流れると、万雷の拍手とともに巨人軍のユニフォーム姿の長嶋氏が登場。続けて「ピッチャー松井 背番号55」とまるで現役選手を思わせるユニホーム姿を披露。「まだ行けそうだ」とつぶやくファンの声も。続いて「キャッチャー原辰徳 背番号88」。「審判 総理大臣安倍晋三 背番号96」。2人のために用意された1度だけの黄金カルテット。マウンドに立った松井は振り返り、大歓声に大きくお辞儀をした後、片手スウィングの長嶋氏に山なりの球を放ると、長嶋氏はフルスィングで応えた。あわやと補球した原捕手が踊り慌てるようなしぐさを見せたのは、緊張のためか球が滑ったかのように投げた松井のせいだったのかもしれない。滞りなく大仕事が終えた後もグラウンドに最後まで残ったのは2人だった。二度とこのグラウンドに上がれれないかもしれないと思っていた2人。名残惜しそうにグラウンドから降りていく背中には「3」と「55」。これからも先輩の背中を追い続けるであろう松井氏は、引退セレモニーの最後にこう言った。「またいつかみなさまにお会いできることを楽しみにしています」。その日を待っている野球ファンは決して少なくない。
巨人や米大リーグのヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏(38)の引退セレモニーが5日、東京ドームで行われた。松井氏は恩師の長嶋茂雄氏(77)への想いや、ファンへの感謝を口にした。コメント全文は次のとおり。ジャイアンツファンの皆さま、お久しぶりです。2002年、ジャイアンツが日本一を勝ち取った直後、ジャイアンツにそして、ファンの皆さまに、自らお別れを伝えなくてはいけなかった時、もう2度とここに戻ることを許されないと思っていました。しかしきょう、東京ドームのグラウンドに立たせていただいていることに、いま感激で胸がいっぱいです。1992年のドラフト会議で、私をジャイアンツに導いてくださったのは長嶋監督でした。王さんのように、1シーズンでホームラン55本を打てるようなバッターを目指せと背番号55番をいただきました。将来は立派にジャイアンツの4番バッターを務めなくてはいけないと思い、日々努力したつもりです。ジャイアンツの4番バッターを任せていただけるようになり、誇りと責任を持って毎日プレーしました。ただ、その過程には常に長嶋監督のご指導がありました。毎日毎日、2人きりで練習に付き合ってくださり、ジャイアンツの4番バッターに必要な心と技術を教えていただきました。また、その日々がその後10年間アメリカでプレーした私を大きく支えてくれました。そのご恩は生涯忘れることはありません。きょう、ファンの皆さまに久しぶりにお会いしたというのにも関わらず、再びお別れのあいさつとなってしまい、もう一度プレーする姿をお見せできないのは残念ですが、これからも僕の心の中には、常にジャイアンツが存在し続けます。どういう形かわかりませんが、またいつか皆さまにお会いできることを夢見て、また新たに出発したいと思います。ジャイアンツでプレーした10年間、そしてアメリカでプレーした10年間、いつもいつも皆さまからの温かい声援が、僕に元気を与えてくれました。ファンの皆さま、長い間本当に本当にありがとうございました。