とりあえず、笑え!

心から笑えるようになるためのココロのお片付け

昨日の続き。

2017-09-28 10:04:50 | つぶやき
昨日の続き。

タイプAの人たちを羨んだり妬んだりしているわけではない。
(前はめっちゃそうやったけど
だって、ホントにいい人たちなのよ。。
言いたいことを言って、やりたいことをしているといっても
決して自分勝手とかワガママとかそういうんではなくて。
自分の軸をしっかり持っているだけ。
自分の幸せをきちんと自覚し、いつも周囲に感謝している。
自分がきちんと出来上がっているから、人の幸せを無邪気に喜べるし
周りの人への心遣いも真っ先にできる。
スバラシイ人たちなのだ

そしてまた、そうなれていない自分を育ってきた環境や親のせいに
しているわけでもない。
(前はめっちゃそうやったけど

・・・いや、まだしてるな~

祖母がどうあれ、母がもう少しありのままに自分に対してくれていたら。。。
自分の本音を私にぶつけてくれていたら。。。
あの時、そしてあの時、、、数え切れないくらい、
お母さんはあなたの側に立っているよと一言言ってくれていたら。。。
私の苦しみを知りながらどうして目を背けたのか
ほんま、不器用やなぁ。。。


タイプAとタイプB

2017-09-27 21:12:04 | つぶやき
タイプA:言いたいことを言って、やりたいことをしている人は、病気にならない。
    当たり前のように心身の健康を享受し、自らをより充実させていける。

タイプB:言いたいことを言えず、やりたいことを我慢してきた人は、病気になる。
     病気になる前の生きにくさに加えて、身体の不自由さが加わる。。。


この理不尽さ、どう向き合えばいいのだろうか?
タイプAの人から見れば、「そんな我慢せんともっと自分のやりたいようにしたらええやん」というだけのこと。

それがなぜできなかったのか。。。?

小さな頃から、ただ我慢する母を見て育ってきた。
かなり大きくなるまでその自覚はなかったけど。
ただ、母の笑顔をあまり見たことがなかった。
子供といて楽しそうではない(ように見えた)母を見て育った私が、自分の子供といて楽しいわけがない。

母は私を愛してくれていた。ただ、不器用だっただけ。
自分の子育てがしたくても、あまりにも大きい祖母の存在に遠慮してできなかっただけ。

でも、そうやって不器用な育て方をされた子供はずっと苦しむのだ。

自分をありのままに認めてもらえなかった子供は、自分軸を見いだせず、
他人軸に振り回されて生きるしかなくなってしまう。

生まれたくてタイプBに生まれついたわけじゃない。

私の周りにたくさんいるタイプA。
私もそっちに行きたいよ

何かきっかけをつかんでポーンとそちらに行けたらどんなにいいだろう。




ブラック「たら」ちゃんで~す

2017-09-21 10:08:24 | つぶやき

身体が動くようになったら、何をしよう・・・?

病気が治って健康になったら、何がしたい・・・?

 

「たら」で考えていてもしょうがないことはわかっているつもり。

【「~~~たら・・・したい」ではなく、もうそうなっているものと考え、即行動に移す】

これが願望実現の原則であることもイヤというほど聞いて理解しているつもり。。

でも、、、【言い訳しない】、、、でも、やっぱり、、でも、、、

身体が動かんのよ・・・・・・

少しでも、身体がよくなっているという感覚を感じることができていれば、

もっと前向きに考えられるはず。

だけどどんなに前向きに考えたくても、したいこと、行きたいところ、思い浮かべても、現実には身体が動かん。この状態で、

「私は元気です~、こんなに充実した毎日を送ってます ありがとう

なんて呑気な妄想、できるかっ

【笑う門には福来る】だと  

元気やから笑えるんや。とりあえずなんて笑えるかっ

身体が動いたら、何でもするわさ。

今は「たら」ちゃん

あぁ、また動かなくなってきた。。。

 

 

 

 

 

 

 

 


自立する、ということ ②

2017-09-20 08:27:26 | つぶやき
ダンナは、、、まぁいい。
私が動かなくなって随分変わった。

変わらないのはムスメ。
私が6年近く病んでいても、コップ一つ自分で洗うようになったわけではない
私がどんなに体調悪くてヘタレていても、見て見ぬふり・・・

そんなムスメを見ていると、自分の子供の頃からの姿とばっちり重なる。

小さい頃、面白くなって父と祖父の作業場を掃き掃除しても、
祖母に「あんたはいらんことせんでええ。ピアノの練習しとったらええんや」
と追い立てられ、

母の夕食の準備を手伝って家族分の箸を用意したら、後で食事の時
祖母に「あんたが触った箸はフケのニオイする。臭くてご飯食べられへん」
と言われ、、、

それを目の前で見ていながら祖母に遠慮して何も言わない母。。。

私は手伝いというものを一切しなくなった。

勉強だけしてれば祖母はゴキゲンだったから。
母も喜んでくれると思っていたから。

進学校に入り、逃げるように大学受験を口実に家を出た。
ほんとは勉強キライだったけど。

母がリウマチという病気になったのはそれから間もなく。
それから二十数年、離れているのをいいことに、私は母の病気を
見て見ないふりしてきた。
それがどんな病気なのか、調べようともしたことがなかった。
自分もその病気になるまで・・・

ただ、私は母のような人生は送りたくないとだけ思ってきた。
父はワンマンで、姑に遠慮ばかりして言いたいことも言わず、
挙句の果てに病気になってどこにも遊びに行けず

しかし今気がついたら私は母の人生そのものを歩んでいる。
姑ではないけれど周りの状況ばかり窺って自分を犠牲にし、
子供たちを器用に愛せない。母もずっとそうだった。
おまけに病気までまねっこするなんて、、もう、笑うしかないやん

もういい加減、母の人生から自立しなくては。

母、73歳、私、44歳。
遅すぎたけど自立します。