仙道修練団体
(DOHWAJAE)の
石門呼吸法
ご訪問ありがとうございます。
大道人『憪堂』(HANDANG,ハンダン)先生が
自ら体得した初歩から大覚に至るまでの仙道修練法を体系化して、世の人々に広く伝授して、後天開闢の天変地異時代に当面している人類を救援すると共に、後天調和仙境之国の建設をめざして開いた仙道門 (ドウファジェ)の基本修練法である石門呼吸法をご紹介いたします。
あなたは人生の意義を考えたことがありますか?
知りたくはありませんか?
己はなぜ生まれ、
何処から何処を経て
どんなふうに来て
何処に行くのか
何処に行かねばならないのかを!
仙道とは?
気功を通じて神仙に成る道(道)即ち、仙人に成るための気功を修練する課程自体が仙道です。
神が己で己が神に成ることを実現する方法、その修錬課程が仙道と定義されます。
仙道には宗教とか哲学のような教理或いは論理もない純粋な体験的な修練体験だけだと言えます。
仙道は徹底的に体験を通じて発展してゆく道であるから、この道を行くには正しい修練法に遵うしかありません。
世間には仙道の目的を不老不死とか超能力の開発などと誤解いている人が多くあります。 原論的には小周天修練課程が履修できると、超能力の開発は多様にできますが、超能力はあくまでも副次的な副産物であり、主な目的は解脱と涅槃(エゴからの解放と大自由)を得ることにあります。
当道門での石門呼吸修練課程中には超能力開発のコース(六神通修練)がありますが、これは陽神が出神して天界(第二天霊界)に上がってから行う修練で、その上位の天界に上がるための手段としての能力が主な目的でございます。
仙道の三宝
人間の生命には「精・気・神」の三つの基本要素があります。
この「精・気・神」を仙道の三宝と称します。
大宇宙と小宇宙の真理が同じように、大宇宙に三道界があり小宇宙である
人間には「三珠」があります。
「三珠」即ち、三つの如意珠は人体の内面に存在する上・中・下丹田にあります。
この三珠が精・気・神を根本的に治める造化珠であって、石門呼吸を通じてその造化力が精を気と神に昇化させるようにします。
それで、仙道修練者はこの「精・気・神」の理致を正しく理解しなければなりません。
真正な理致が解ればそれに適う正しい道を行くことができるからです。
精
宇宙の根本原理である陰陽五行論の理致で、宇宙の精気は「陰」、五行上では「水」にあたります。
小宇宙である人間も同じように、最初に生まれるときの生命力としての「陰」が必然的に必要でありました。
「陰」は「水」であり、「水」は「精」で、「陰水」は生命を生む母体であるわけです。
大宇宙である天に「天一陰水」があるように、小宇宙である人間には「陰水」にあたる
「腎の水」があります。 人間の身体に「精」があるところは「水の気」がある腎臓で、この
「精」を治めるものが下丹田にある如意珠です。
「精」は太初の天地万物の「陰(生命力)」である「水気」で、「陰」である「水気」は人間の身体に入っては「精」を発生させます。
この「精」には「陰精」と「陽精」の二通りがあります。
「陽精」による「陽気」は血液が血管を循環するによって発生する「熱」で、この熱が即ち「陽気」でございます。
「陰精」による「陰気」は呼吸を通じて発生します。呼吸自体は熱いもので、この熱い「火」の気が呼吸に載って体内に入って、「精(陰水)」を加熱し、この「精」が蒸発して熱気に変じます。これが「陰精」によって発生した「陰気」であります。
気
気に関わって、仙道修練に必要な部分だけ述べます。
天地万物すべてが気から成っています。即ち、すべての存在には気が内在しています。 人体においでの気の
精が蒸発して気に化したものが「陰水」中の「陰気」で「水」にあたり、血液が循環して発生した「気」は「陰水」中の「陽気」で「火」にあたります。
この「陰」と「陽」は丹田の太極運動によって「無極の気」に昇華します。
「精」を創る天(宇宙)のエネルギーは陰と陽が一つに統一されて存在する「水気」ですが、小宇宙である人間の身体には陰精と陽精に分かれて完全な気になっていませんが、このように分裂している不完全な状態も石門呼吸によって完璧な気に昇華することができます。
上記の、陽精である血液が血管を循環することによって発生する熱気である「陽気」と、石門呼吸によって「陰精の水」の蒸発で発生した「陰気」、そしてこれら「陽気」と「陰気」を石門丹田の太極運動の造化力で統一させた「無極の気」、これら三つを「気」と通称します。
人間に内在している気は石門呼吸によって極度に強くすることが出来ます。この卓越した気は全経脈を隈なく流通するようになって、生命力の質がしっかりとして心身の剛健を齎します。
進んで、石門呼吸修練を度重ねると気の深さがさらに深くなって、超能力を発揮することができるとか,終局に至れば神人合一の道が開くようになります。
神
気が深くなって安定すると、この気は神(=光)になります。
すべての物質はこの神があってこそ存在しています。 人間も神が変化した一種の神の子です。
それで、人間が死ぬと人間の故郷としての神に化するのです。
天から人を出した理治を逆順に上がって行くと人が神に成ります。
仙道の精・気・神において、神→気→精の順に行くと神が人になり、精→気→神と逆順に行くと、人が聖(神聖)になって神に成ります。 「天則人」、「人則天」という言葉とおりです。
神とは、要約すると大宇宙にで、ある一つの個体が創造されるときの最初の生命の「光」が即ち神でございます。
人間は数多くの霊と肉を経て今に至りましたが、それら霊肉に変わる前の根本がこの神、即ち「光」です。 神が人間に化する時に宇宙の精を持ってきますが、「道」とはこのような人間の根本である神に至ることです。
人間が自身の根本の座である「神」に還れる最初の関門は石門呼吸でございます。
霊・魂・魄
霊・魂・魄は神・気・精と同じだと言えます。 一霊・三魂・七魄は一神・三気・七精であるわけです。
七魄は人間の七精で、耳目口鼻の七つの穴に魂魄が出入りするといって七魄と称します。これは精を治める下丹田に存在しています。魄を治めるところが下丹田だとの意味です。
三魂は三気で、三気には天気、人気、地気であり、気を治める中丹田に存在しているから、魂を治めるところは中丹田だとの意味です。
一霊は一神で、霊は神と同じ意味で、神が留まる上丹田に存在しています。
精が発展して気になり、気が昇華して神に成るので、神という大前提のうちにきが含まれており、気の枠のうちに精があります。
神が人間になるときに精と気を受けてくるように、霊も魂と魄を受けてくるので、これらが意味することはみな同じだと言えます。
これら霊、魂、魄は人間が死ぬとどうなるかという疑問は仙道修練者たちにおいては非常に重要な関心事です。
七魄は七精で、人が死ぬと肉体と一緒に「陰」である地中に入って地気と合一して散り去り、三魂は三気で骨(地)と肉(天)また五臓六腑(人)に留まっていたが、人が死ぬと「陽」である天の気と合一して天中に散りさります。 一霊は人が死ぬと一神の座(位)である天上に還って宇宙の道理に帰依するようになります。
このように魂・魄、気・精は死の終わりまで肉体のすべてを散らす重要な役割を遂げ、原始返本して根本的な無極に還ります。
(DOHWAJAE)の
石門呼吸法
ご訪問ありがとうございます。
大道人『憪堂』(HANDANG,ハンダン)先生が
自ら体得した初歩から大覚に至るまでの仙道修練法を体系化して、世の人々に広く伝授して、後天開闢の天変地異時代に当面している人類を救援すると共に、後天調和仙境之国の建設をめざして開いた仙道門 (ドウファジェ)の基本修練法である石門呼吸法をご紹介いたします。
あなたは人生の意義を考えたことがありますか?
知りたくはありませんか?
己はなぜ生まれ、
何処から何処を経て
どんなふうに来て
何処に行くのか
何処に行かねばならないのかを!
仙道とは?
気功を通じて神仙に成る道(道)即ち、仙人に成るための気功を修練する課程自体が仙道です。
神が己で己が神に成ることを実現する方法、その修錬課程が仙道と定義されます。
仙道には宗教とか哲学のような教理或いは論理もない純粋な体験的な修練体験だけだと言えます。
仙道は徹底的に体験を通じて発展してゆく道であるから、この道を行くには正しい修練法に遵うしかありません。
世間には仙道の目的を不老不死とか超能力の開発などと誤解いている人が多くあります。 原論的には小周天修練課程が履修できると、超能力の開発は多様にできますが、超能力はあくまでも副次的な副産物であり、主な目的は解脱と涅槃(エゴからの解放と大自由)を得ることにあります。
当道門での石門呼吸修練課程中には超能力開発のコース(六神通修練)がありますが、これは陽神が出神して天界(第二天霊界)に上がってから行う修練で、その上位の天界に上がるための手段としての能力が主な目的でございます。
仙道の三宝
人間の生命には「精・気・神」の三つの基本要素があります。
この「精・気・神」を仙道の三宝と称します。
大宇宙と小宇宙の真理が同じように、大宇宙に三道界があり小宇宙である
人間には「三珠」があります。
「三珠」即ち、三つの如意珠は人体の内面に存在する上・中・下丹田にあります。
この三珠が精・気・神を根本的に治める造化珠であって、石門呼吸を通じてその造化力が精を気と神に昇化させるようにします。
それで、仙道修練者はこの「精・気・神」の理致を正しく理解しなければなりません。
真正な理致が解ればそれに適う正しい道を行くことができるからです。
精
宇宙の根本原理である陰陽五行論の理致で、宇宙の精気は「陰」、五行上では「水」にあたります。
小宇宙である人間も同じように、最初に生まれるときの生命力としての「陰」が必然的に必要でありました。
「陰」は「水」であり、「水」は「精」で、「陰水」は生命を生む母体であるわけです。
大宇宙である天に「天一陰水」があるように、小宇宙である人間には「陰水」にあたる
「腎の水」があります。 人間の身体に「精」があるところは「水の気」がある腎臓で、この
「精」を治めるものが下丹田にある如意珠です。
「精」は太初の天地万物の「陰(生命力)」である「水気」で、「陰」である「水気」は人間の身体に入っては「精」を発生させます。
この「精」には「陰精」と「陽精」の二通りがあります。
「陽精」による「陽気」は血液が血管を循環するによって発生する「熱」で、この熱が即ち「陽気」でございます。
「陰精」による「陰気」は呼吸を通じて発生します。呼吸自体は熱いもので、この熱い「火」の気が呼吸に載って体内に入って、「精(陰水)」を加熱し、この「精」が蒸発して熱気に変じます。これが「陰精」によって発生した「陰気」であります。
気
気に関わって、仙道修練に必要な部分だけ述べます。
天地万物すべてが気から成っています。即ち、すべての存在には気が内在しています。 人体においでの気の
精が蒸発して気に化したものが「陰水」中の「陰気」で「水」にあたり、血液が循環して発生した「気」は「陰水」中の「陽気」で「火」にあたります。
この「陰」と「陽」は丹田の太極運動によって「無極の気」に昇華します。
「精」を創る天(宇宙)のエネルギーは陰と陽が一つに統一されて存在する「水気」ですが、小宇宙である人間の身体には陰精と陽精に分かれて完全な気になっていませんが、このように分裂している不完全な状態も石門呼吸によって完璧な気に昇華することができます。
上記の、陽精である血液が血管を循環することによって発生する熱気である「陽気」と、石門呼吸によって「陰精の水」の蒸発で発生した「陰気」、そしてこれら「陽気」と「陰気」を石門丹田の太極運動の造化力で統一させた「無極の気」、これら三つを「気」と通称します。
人間に内在している気は石門呼吸によって極度に強くすることが出来ます。この卓越した気は全経脈を隈なく流通するようになって、生命力の質がしっかりとして心身の剛健を齎します。
進んで、石門呼吸修練を度重ねると気の深さがさらに深くなって、超能力を発揮することができるとか,終局に至れば神人合一の道が開くようになります。
神
気が深くなって安定すると、この気は神(=光)になります。
すべての物質はこの神があってこそ存在しています。 人間も神が変化した一種の神の子です。
それで、人間が死ぬと人間の故郷としての神に化するのです。
天から人を出した理治を逆順に上がって行くと人が神に成ります。
仙道の精・気・神において、神→気→精の順に行くと神が人になり、精→気→神と逆順に行くと、人が聖(神聖)になって神に成ります。 「天則人」、「人則天」という言葉とおりです。
神とは、要約すると大宇宙にで、ある一つの個体が創造されるときの最初の生命の「光」が即ち神でございます。
人間は数多くの霊と肉を経て今に至りましたが、それら霊肉に変わる前の根本がこの神、即ち「光」です。 神が人間に化する時に宇宙の精を持ってきますが、「道」とはこのような人間の根本である神に至ることです。
人間が自身の根本の座である「神」に還れる最初の関門は石門呼吸でございます。
霊・魂・魄
霊・魂・魄は神・気・精と同じだと言えます。 一霊・三魂・七魄は一神・三気・七精であるわけです。
七魄は人間の七精で、耳目口鼻の七つの穴に魂魄が出入りするといって七魄と称します。これは精を治める下丹田に存在しています。魄を治めるところが下丹田だとの意味です。
三魂は三気で、三気には天気、人気、地気であり、気を治める中丹田に存在しているから、魂を治めるところは中丹田だとの意味です。
一霊は一神で、霊は神と同じ意味で、神が留まる上丹田に存在しています。
精が発展して気になり、気が昇華して神に成るので、神という大前提のうちにきが含まれており、気の枠のうちに精があります。
神が人間になるときに精と気を受けてくるように、霊も魂と魄を受けてくるので、これらが意味することはみな同じだと言えます。
これら霊、魂、魄は人間が死ぬとどうなるかという疑問は仙道修練者たちにおいては非常に重要な関心事です。
七魄は七精で、人が死ぬと肉体と一緒に「陰」である地中に入って地気と合一して散り去り、三魂は三気で骨(地)と肉(天)また五臓六腑(人)に留まっていたが、人が死ぬと「陽」である天の気と合一して天中に散りさります。 一霊は人が死ぬと一神の座(位)である天上に還って宇宙の道理に帰依するようになります。
このように魂・魄、気・精は死の終わりまで肉体のすべてを散らす重要な役割を遂げ、原始返本して根本的な無極に還ります。