風花の覚え書き

キャンドルに心を…

昨日のこと。
あくまでも、私の個人的な考えだから、ちょっと迷ったけど。
でも、心に残った出来事になったから書き残しておきます。

小麦の病院で受付したらカウンターにキャンドルが1個灯ってました。

  
こんな季節に何だろ?と思ったら、そばにコメントが添えられてました。

今、小さな生命が旅立ちました。
ご家族も悲しみの中にいらっしゃいます。
このキャンドルが灯っている間はどうか皆様も静かに心をお寄せください…。

さすがに写メはできなかったけど、だいたいこんな内容だった。
つまり、今、病院内で旅立ったこがいます。ご家族へのご配慮を…ということ何だと思うのね。

ここに集まっている人たちの想いは同じだもん。とても優しい配慮だなぁと思った。

その後、私は小麦と駐車場で順番待ちしてたんだけど、少ししてスタッフに肩を抱かれながら涙を拭き拭き歩いてくる飼い主さん。
その後に先生が毛布に包まれたこを優しく抱いて出てきて車に乗せてました。
それから何人かのスタッフが見送りに出てきて深く頭を下げお別れをしてた。

どういう経緯での旅立ちかは分からないけど、小さな命に敬意をはらわれていることに感動したわけです。

私は人間を見送る仕事に携わっていたけど、人間が亡くなった時は隠されるように裏口からそっと見送られますよね。

同じように愛され生きたご遺体でも、人間はなぜなんだろう…と、ふと思った。

生と死は連続性のあるものなのに、生を終えたとたん表玄関から出ることが許されないって、人間って難しい。

ちなみに、私は今まで見送ったこたちの遺骨はリビングから見える木の根元に埋めています。なので手元に骨箱はありません。

だって、もうあのこたちの魂は痛みや苦しみから開放されて自由に駆け回っていると思うから。
そして、自然の一部として生まれた肉体は土に還り、次の新しい命の一部になって欲しいと思うから。

実際、私の実家では納骨式でお骨をさらしの布に入れて直接土に埋めます。
散骨もそういう考えの一端でしょうね。

あと、うちの宗派は葬儀で「お清めの塩」はしません。親しい人、愛した人との最後の別れをして、どうして自分たちを清める必要があるのですか?って話。

いろいろな考え賛否両論あって当然。
でも、必ずいつかそんな日はくる。
私は私なりの想いを大切にしたいと…。
改めて思った昨日の出来事でした。



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