コース 大善寺→ぶどうの丘→勝沼ぶどう郷駅
ぶどう寺大善寺は(718)僧行基が甲斐の国を訪れたとき、勝沼の柏尾にさしかかり、
日川の渓谷の大石の上で修行したところ、満願の日夢の中に右手にぶどうを持った薬師如来が現れました。
行基は喜び、薬師如来を刻んで安置したのが今日の柏尾山大善寺です。
また行基はぶどうの作り方を村人に教え、これが甲州ぶどうの始まりとされています。
開創以来1300年を数えようという大善寺には古文書類、平清盛、源頼朝、北条一族、
武田信玄、織田信長、豊臣秀吉など72点がある。
武田勝頼 腰掛石
表参道の石段
楽屋堂 現在は資料が展示されている。
山門
国宝 薬師堂
天下統一を競った武田信玄亡き後の勝頼は、織田、徳川の連合軍に敗退し、1582年3月3日、
郡内の岩殿城で再興を図ろうと韮崎の新府城を出発し、この大善寺で戦勝を祈願し、一夜を明かした。
しかし家臣の大半は再興かなわずと夜半に離散、また岩殿城主小山田信茂の裏切りにあい、
勝頼主従は天目山を目指すも行く手を阻まれ、ついに3月11日滅亡した。
その一部始終を理慶尼が記し「武田滅亡記」として今なお大善寺に大切に保存されている。
鐘楼
理慶尼の墓 「武田勝頼滅亡記」を著した。
大善寺からぶどう畑の中、フルーツラインを歩く。
ぶどうの丘でワイン、ぶどうなどショッピングをして帰路につく。
歩行距離 3.5km 前回とあわせて7.5km
ぶどう寺大善寺は(718)僧行基が甲斐の国を訪れたとき、勝沼の柏尾にさしかかり、
日川の渓谷の大石の上で修行したところ、満願の日夢の中に右手にぶどうを持った薬師如来が現れました。
行基は喜び、薬師如来を刻んで安置したのが今日の柏尾山大善寺です。
また行基はぶどうの作り方を村人に教え、これが甲州ぶどうの始まりとされています。
開創以来1300年を数えようという大善寺には古文書類、平清盛、源頼朝、北条一族、
武田信玄、織田信長、豊臣秀吉など72点がある。
武田勝頼 腰掛石
表参道の石段
楽屋堂 現在は資料が展示されている。
山門
国宝 薬師堂
天下統一を競った武田信玄亡き後の勝頼は、織田、徳川の連合軍に敗退し、1582年3月3日、
郡内の岩殿城で再興を図ろうと韮崎の新府城を出発し、この大善寺で戦勝を祈願し、一夜を明かした。
しかし家臣の大半は再興かなわずと夜半に離散、また岩殿城主小山田信茂の裏切りにあい、
勝頼主従は天目山を目指すも行く手を阻まれ、ついに3月11日滅亡した。
その一部始終を理慶尼が記し「武田滅亡記」として今なお大善寺に大切に保存されている。
鐘楼
理慶尼の墓 「武田勝頼滅亡記」を著した。
大善寺からぶどう畑の中、フルーツラインを歩く。
ぶどうの丘でワイン、ぶどうなどショッピングをして帰路につく。
歩行距離 3.5km 前回とあわせて7.5km
勝沼にも参りましたのに
遺跡のことは存じませんでした。
甲州ぶどうも送られてきますが
こんな古い歴史があることは知りません
でした。
旅は歴史があるとなお楽しいですね。
武田勝頼が天目山に散ったことはよく知っていましたが、
この寺で戦勝を祈ったなど聞くと、その状況を想像して感無量です。