今日の発見

日常の小さな発見と出来事の記録です。

今日は、上田城址へ

2013年02月15日 | 日誌
真田昌幸が上田城を築き始めたのは、天正11年(1583)のことです。当時は、更埴地方までが越後の上杉景勝、佐久郡までが関東の徳川家康の勢力下でした。当時、家康に臣属していた昌幸は、家康の援助を受けて上田城の築城を始めます。

 しかし、豊臣秀吉に対して背後の守りを固めるため、小田原の北条氏直と手を組もうとする徳川家康から、上州沼田領を北条方に譲るように命じられた昌幸は、これを拒絶します。これにより、徳川と断交した昌幸は、徳川軍の攻撃に備え、次男・幸村を上杉方に人質として差し出し、上杉景勝に築城とその他の援助を求めます。

 そして、天正13年(1585)8月に徳川軍が7,000人余の大軍で、上田城を攻撃します。しかし昌幸は巧みな戦略を用いて、わずか2,000人足らずでこれを撃退します。この第一次上田合戦に際しては、上田城の普請が上杉方の多くの武将を動員して行われています。そして、天正13年の9月に、上田城は一応の完成をみます。このように築城の過程で昌幸が臣属先を変えたため、徳川からも上杉からも援助を受け、上田城はわずか2年半程で完成しました
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 松本山賊焼き定食   | トップ | かき菜 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日誌」カテゴリの最新記事