はがゆき日々

いや、もうちょっと右。

海地

2010-01-15 | ファイル未検出
1995年1月17日は当時勤めていた会社の新年会だった。神戸がどうなっているかもよく知らず樽酒を飲んで大騒ぎしていた。
たしかその日清志郎も神戸にいたはずで、全日本プロレスの試合が中止になった。
当時の政権にはまるで危機管理能力が無いことを露呈し、あるニュースキャスターは火が残る被災地を上空から温泉地のようだと表現した。
自衛隊の潜在能力は凄いと知った。

その後イチローの袖に神戸へのエールが縫い付けられ、ソウルフラワーユニオンはチンドン屋になって被災地まわりをしながら「満月の夕」を書いた。
一ヶ月後に仕事の関係で神戸に行った。復興は進んでいたが傷痕は深く刻まれたままだった。
地震があると大切なひとのことを考えるようになった。
僕の知っている阪神淡路大震災はそれくらいだ。



ハイチは感じで表記すると海地と書くと知った。
ドミニカとジャマイカとキューバに囲まれていると知った。
よく知らないが、いつか行ってみたいと思った。