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ニュースでは報道されない本当のこと

さくらです。こんにちは。
普段の新聞・テレビでは教えてくれない。でも、大事な情報をわかりやすく伝えたいです。

市川房枝と菅直人の本当の関係

2010年06月10日 | 日記
「市川房枝さん」「市民運動」
新聞やテレビがイメージ戦略で菅直人氏を紹介するとき、かならず登場する名前と言葉です。

結論からいえば、この二人の政治理念は違います。では、本当はどんなものだったのでしょうか?

まず始めに市川さんという人は、女性の政治参加や清い政治をめざし、市民運動を起こした平塚らいてうにとって愛弟子という存在でした。

確かに菅氏は1974年の参議院選挙で、市川房枝さんの選挙事務長を務めました。
政界へ出た菅氏は、選挙でよく語りました。「市川房枝さんの精神を引き継いで・・・」。

しかし、当の市川さんは戸惑いを隠していませんでした。
たとえば、菅氏に「自力で闘いなさい」といったのに「私の名をいたる所で使い、私の選挙の際カンパをくれた人たち・・・にカンパや選挙運動への協力を要請強要したらしく、私が主張し、実践してきた理想選挙と大分異なっていた」(77年「私の国会報告)と


もう一つ紹介します。
1970年6月、市川さんや平塚らいてうさんなど9人の女性が安保条約の廃棄を訴える声明を出しました。
「いまだに沖縄をはじめ全国にアメリカの軍事基地があり・・・外交にまで介入されることを許したまま今日になっております」「わたしたちは、自分たちの運命を自分たちで支配する権利のあることを思いつめたい」

沖縄の米軍普天間基地のかわりに新基地を辺野古につくる、日米合意の実行を、米政権に約束した菅首相。「市民」「市川さんの精神」から、ずいぶん遠く離れてしまったようです。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
知らなかった (み~)
2010-08-13 18:02:14
>>私の名をいたる所で使い

もうこの時点で最悪じゃないですか
ここを見なかったら今まで知らなかったと思います。ありがとうございます
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