本のハコ トラウマ克服哲学部

部員1名、活動不定期。

独立の気力なき者

2020-04-22 11:59:32 | 
『学問のすすめ』にこんな一文を発見。
日本版権威主義的性格?

独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人にへつらうものなり。常に人を恐れ人にへつらう者は、しだいにこれに慣れ、その面の皮、鉄のごとくなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。いわゆる「習い、性となる」とはこのことにて、慣れたることは容易に改め難きことなり。
(『学問のすすめ』福沢諭吉 )

福沢諭吉(1835~1901)
武士 蘭学者 著述家 啓蒙思想家 教育者

この後、更にこう続く。

たとえば今、日本にて平民に名字・乗馬を許し、裁判所の風も改まりて、表向きはまず士族と同等のようなれども、その習慣にわかに変ぜず、平民の根性は依然として旧(もと)の平民に異ならず、言語も賤しく応接も賤しく、目上の人に逢えば、一言半句の理屈を述ぶること能わず、立てと言えば立ち、舞えと言えば舞い、その従順なること家に飼いたる痩せ犬のごとし。

鎖国の時代には、無気無力で従順な平民たちは操りやすく、政府にとっては便利であったけれど、開国して、外国人と対等に渡り合わねばならなくなった今となっては、日本のこの有り様は大問題、国の恥である!みたいなことが書いてあった。

これすなわち、内に居て独立を得ざるものは外にありても独立すること能わざるの証拠なり。

学問のすすめが書かれたのが、1872~1876年。
私のひいひいじいちゃんの弟は、西南戦争で亡くなっており、それが1877年頃のこと。
じいちゃんたちは、福沢諭吉がボロクソに言ってる平民だったわけだけど。

腹の底から腐れつきた平民の根性は一朝一夕には洗われることがない。
福沢諭吉にこんなふうに見えてた平民の穢れた根性は、どれくらいたてばキレイになるのだろう。

両親の存在はそれ自体が文化そのもの、とフロムは言ってる。

祖父母が生きた時代は第二次世界大戦まっただ中、軍国主義の時代だ。
彼らに育てられて権威主義的な性格に育った父。その色々問題のある父に育てられた私。

福沢諭吉が嫌ったものが、洗われきれずに残っている。たぶん父や母や私の中にも。

私はこどもたちにとってどんな親だろう。ちゃんと子育てできてるかな。