僕が、もしもサミュエル・ホイというシンガーに出会っていなかったら。
人生が変わっていたかもなぁ。いや、そんな大げさな事も無いかなぁ。
小中学生で毎日LPレコードを聞いてて、香港にレコード買いに行くようになっちゃって、
その過程でジャッキーや、ブルース・リー、キラ星のごとき香港明星たちの虜になってしまった。
でも、中学から高校生への成長に伴い、香港熱が冷めて
「ジョン・ランディス」「松田優作」「8ミリ映画」と、
趣味嗜好がバラバラと移り変わっていったけど、
相変わらずラジカセから流れてくるのは、許冠傑の旧作が多かった。
昨年は復帰コンサートで盛り上がって、「1:99」や「鬼馬狂想曲」の公開で一気にメジャーに返り咲いた。
日本ではアンマシですけど・・・。
サムとは、1982年のコンサート時に香港でお会いしましたが、
「心理学を専攻してたから、人の気持ちばかり優先する(国際ファンクラブ会長・談)」
スター気取りの全く無い、ごっつうええ人でした。
人生が変わっていたかもなぁ。いや、そんな大げさな事も無いかなぁ。
小中学生で毎日LPレコードを聞いてて、香港にレコード買いに行くようになっちゃって、
その過程でジャッキーや、ブルース・リー、キラ星のごとき香港明星たちの虜になってしまった。
でも、中学から高校生への成長に伴い、香港熱が冷めて
「ジョン・ランディス」「松田優作」「8ミリ映画」と、
趣味嗜好がバラバラと移り変わっていったけど、
相変わらずラジカセから流れてくるのは、許冠傑の旧作が多かった。
昨年は復帰コンサートで盛り上がって、「1:99」や「鬼馬狂想曲」の公開で一気にメジャーに返り咲いた。
日本ではアンマシですけど・・・。
サムとは、1982年のコンサート時に香港でお会いしましたが、
「心理学を専攻してたから、人の気持ちばかり優先する(国際ファンクラブ会長・談)」
スター気取りの全く無い、ごっつうええ人でした。
そうだったんですか!サムかっこいい!
平仮名でやましなさん、って書き込むのは初めてで新鮮です!
サムは「スマートで紳士なジェントルマン」って感じでサイコーでしたよ!
★怪獣映画が作りたかったんですよねぇ。結局撮影機と映写機は大学に入ってから中古屋で買いました。といっても映画は作らず、寮の行事とかを撮影し、上映して喜んでおりました。映写機は留学のため一時札幌を去る際に、寮の後輩どもが貸してくれて頼むので置いていってそれっきり。でもいまでも手元に撮影機とステイプラーはありますよ。いつか映画撮りたいな~。
8ミリカメラは、産まれたときから身近に有りまして(親父の趣味)それはそれはジャッキー大哥に負けず劣らず、日々、膨大なフィルムの無駄遣いをしておりました!
僕も上映会のムードが最高に好きでしたね~。
僕がジャッキーに扮した短編映画(制作:中2)とか、西日本周遊旅行記(制作:高校3年)とかを経て、大学時代は丸太小屋を建ててた関係で、建設記録が最後の作品です。懐かしい~。
見たい、見たい
見だい~!
香港電影エイティーズのオフ会で上映する企画などはござらぬでしょうか?
多忙でブログ更新がままならない、きんこんさんに代わり、気が向いた時に、私の独断偏見で内容に合っていると思われる過去ブログへ、かなり貴重な秘話を書き込んでいこうかなと思っています。
神出鬼没、超不定期、気紛れかつ気分次第なので、興味を持って下さった方は、コマメ(?)にチェックして下さいね。
コメントや新たな参加者様等が増えましたら調子に乗って、次々書いちゃうかも知れません。
で、その一回目と言う事で、馬場さんへのご回答も兼ねたネタをご披露させて頂きます。(馬場さん、大変お待たせしてしまい、申し訳ありませんm(_ _)m。
馬場さんが欲しがっていらしたリッキーさんのレコード「発銭寒」のジャケットが紙幣の図柄の物は、私が初めてサムとリッキーさんに逢った1979年9月に、私達にプレゼントしてくれる為に、サムが自らレコード会社に出向き、自分のアルバム「天才興白痴」と一緒に持ってきてくれた物でした。
で、その時に、サムが、「僕が今までに出したアルバムの中で自分が一番気に入っているのが天才興白痴だから、皆さんにも聴いて頂きたいと思い、これを選んで持って来ました。リッキーさんの方のアルバムは、同じアルバムでも紙幣が使用されたこの図柄のジャケットの物は、元々初回に限定数のみの生産で数が非常に少なく、もう入手が不可能な珍しい物なので、そちらを選びました。今日、僕がレコード会社の在庫を探して数を集め、有るだけ全部持って来たので、もうレコード会社にもこれはありません。とても、貴重だと思います。」と、私達に説明してくれました。
サムは、私達にプレゼントしてくれる数を揃える為に、友人の戸田さんと2人で「発銭寒」の紙幣ジャケットの物を、その時レコード会社の倉庫にあった在庫全てから探して集めていたので、リッキーさんよりも1時間位遅れて来たのでした。(この時に、サムは、「倉庫に入り、こうやって、探していたんです。倉庫は何カ所かに分かれているので、順番に全部行きました。」と探している様子を、ジェスチャーで真似して見せてくれました。10数枚必要だったのですが、最後の1枚がなかなか見つからなかったそうです。)
紙幣のジャケットが限定数な理由も、「紙幣を用いた画像と言う事で、当局からクレームが付き、ジャケットの変更を余儀なくされてしまった。既に初回プレスの500枚だけは生産されていたので、交渉の末、その分だけは販売しても良いと言う事になりました。500枚しかないので、予約の何割かだけで無くなり、このジャケット自体を見た事ないレコード屋さんもファンも、沢山居ます。」と、サムとリッキーさんの2人で、説明してくれました。(ネイティブと同レベルに広東語ペラペラの日本人の戸田さんが訳して下さり、サムとリッキーさん本人の口から語られた事なので、一番正確かつ間違いないと思います。馬場さん、お役に立てましたでしょうか?)
ツアー同行者の東宝東和の飯田さんも、「あっ、それは僕も持っていない!欲しい!」と欲しがられたのですが、「数がギリギリだから、飯田は駄目!」とサム達から言われていらっしゃいました。(特にリッキーさんが飯田さんとは仲が良かったので、リッキーさんが飯田さんをからかって言ってました。この2人は、持っていた折り畳み傘を武器にしてホテルの廊下でチャンバラごっこは始めるわ、徹夜で宴会はするわで、なかなか大変でした(=_=;。当然、毎回、リッキーさんから挑発開始です。)
私は、母と2人で参加をしており、2枚頂いたので1枚を飯田さんに差し上げようとしたところ、飯田さんは、「折角なんですから申し訳ない。」と仰って遠慮をされ、なかなか受け取られず、私が何度も申し出をして、やっと「それではご好意に甘えさせて頂きます。」と言う事になったのですが、結局、最終的には1枚余り、飯田さんの分もありました。
でも、リッキーさんは、「飯田にはあげない。これは僕の分だよ。僕も持ってないもん。(←勿論、嘘です。)」と、またからかっていました。
でも、悲しい事に、サムのそんな折角の好意や努力に対しても、「そんなレコード要らないから、サムが1分でも早く来てくれた方が良かった」とか、「リッキーさんのレコードよりもサムだわ」とか言う意見が多く聞かれ、私と母は驚くやら悲しいやら。
特に母は、このジャケットをとても気に入り褒め称えていたので、「サムの好意も、このジャケットの良さも分からない様では仕方ない。」と嘆いていました。(私は、逢って直ぐに2人から、「○○さんは親子ですか?良く似ていていらっしゃいますね。」と訊かれ、以降、母は、リッキーさんやサムから「ママさん!ママさん!」と呼ばれて、気に入られていました。)
実際に、年に何度も香港に行き、レコード屋巡りをする私でも、二度とこのジャケットを目にする事はありませんでした。
また、この時に飯田さんは、サムとリッキーさんの2人にお土産として、以前から2人が欲しかっていた当時日本で発売されたばかりのソニーのウォークマンをそれぞれに1台ずつプレゼントされたのですが、2人は本当に非常に喜び、早速使ってみながら、「欲しかったけれど香港では入手が難しいから諦めていたんだ。だから本当に嬉しい♪飯田有り難う!」とサムはお礼を言ってました。
で、その時にサムは、感謝の気持ちとして、自分が次回出演する映画の中で、必ずそのウォークマンを小道具として使用すると、飯田さんに約束をしたのです。
飯田さんは半信半疑で、「え~っ、サム本当に?約束したんだから、必ず使ってよ。楽しみにしてるから。」と、応えておられたのですが、その後、ちゃんとサムは約束した通りに、自分が出演をした映画内でこのウォークマンを小道具として使用しました。
使用した場面は、「摩登保票」のデパートのシーンと、「最佳拍當」のテーマソングが流れる夜のローラースケートのデートシーンです。 (是非、一度、改めてチェックしてみて下さいね☆)
これには飯田さんも大感激で、「僕にはかなり厳しい出費(当時の価格で、2台で約7万円位しました。)だったけれど、それ以上に報われ、本当にあげて良かった!」と、私に仰ってました。
この後おこった、サムが着ていたウェスタンシャツを脱がないとならなくなった事件や台風事件やサムがリッキーさんを怒った事件やサムへのプレゼントにまつわる話などなど、この時の話題だけでも書ききれないほど沢山沢山有りますが、取りあえず今回はこれにて終了します。
面白いと思って頂けましたら、私と致しましても幸いです。
それにしても初回プレスを捜すためにわざわざ倉庫などに入ってくれないですよね。
因みに以前オフ会で、リッキーさんの友人である家有さんから聞いた情報ですが、
リッキーは自分のレコードとCDは一枚も持っていないそうです。確か欲しい人に
皆あげてしまい手元に全くないそうです。
もしリッキーさんの手元に「'93急流?」のCDがあるとすれば、それは
家有さんを通じて私が差し上げたものです。
「とっておき話」ありがとう!
貴重すぎて泣けてくる!
サムの底抜けの優しさに感動する!
携帯で長文を打ち続けるらびねーの指がオカシクならないか心配!
確か、倉庫だけではなく、レコード会社の事務所の各部屋にも、棚の上に置いた箱の中に数十枚とか、足元に置いた箱の中に数十枚とか言う感じでレコードのストックが有ったそうで、戸田さんが(失礼ながら、サモハンキンポー的な体格の方で。)台になり、サムが戸田さんに乗って箱を下ろしたら、戸田さんがサムの体重に耐えきれずへたり、サムは手にした箱もろとも戸田さんと一緒に崩れてしまい、人共に怪我は無かったものの、なかなか大変だったと仰ってました。
戸田さん曰わく、「僕は最初から無理だと言ったのですが、サムが直ぐ終わるから大丈夫。急いでいるんだから、戸田、早くやって!と何度も言うもので。」と、苦笑い。(とにかくサムは、例え、それが誰が聞いても無理や無茶な事であっても、一度言い出したら絶対に、誰が何を言おうが、実際にやるまで諦めません。はっきり言って、超強情です。)
で、その後は、素直に梯子を使ったそうです。
私達の為に頑張ってくれたのですが、「早く来られる様に時間も急いだし、宝探しみたいで、結構面白かった。倉庫で、レコード探しなんて初めての経験だった。めったにない機会だから、良い体験だったよ。」って、爽やかな笑顔で言うサムが、超ハンサムだった事は、言うまでもありませんね。