Honeywarの「らぶ♪はにー♪」~愛と野球と音楽と~

タイトルは多少ナニですが、お子様からお年寄りまで、どなたにも安心して楽しんでいただけるネットラジオの連動blogです。

近藤貞雄さん、ありがとう!(2006.02.19~02.25)

2006-02-19 23:08:21 | 「らぶはに」連動記事
 昨年の仰木彬さんに続き、今年もプロ野球関係の重鎮が相次いで逝去されました。今週は、1月2日に亡くなった近藤貞雄さんの追悼番組です。

 2006年2月19日(日)~2月25日(土)の毎日23:30ころ(多少遅れる可能性あり)に、24時間インターネット音楽ラジオ「これい~な」Nonstop Music Stationにて全世界配信中です(15分。日曜更新・一週間、同内容)。


※なお、過去放送分の一部は、こちらで配信しています(PodCast対応)。



【近藤貞雄さん、ありがとう!】
放送中に登場する専門用語について。

仰木彬さん
OugiAkira
 昨年12月15日に亡くなった、オリックス・バファローズの前監督。詳細は追悼番組の連動ページにて
 また、追悼番組は、こちらこちらにてお聴きいただけます。



近藤貞雄さん
 実質的には、敗戦後1946年に読売ジャイアンツで投手としてデビューするも、事故で右手中指に投手生命に関わるようなケガ。しかし、1948年に移籍した中日で、ケガを逆手に取った「擬似チェンジアップ」を駆使し奇跡のカムバック。その後、中日・大洋・日本ハムの監督を歴任。「瞬間湯沸かし器」と言われ、両手を後ろに回しながらの審判への猛抗議(ときにはそのまま胸で審判をドツク(笑))は有名であった。
 また、中日コーチ時代に権藤博投手(後述)を酷使して投手生命を縮めた反省から、先発投手と抑え投手を分離する「投手分業制」を提唱・実践。「投手は先発・完投を目指すのが当たり前」の時代にあって、賛否両論を巻き起こしたが、現在では「投手分業制」が主流。近藤さんが時代を先取りするアイデアマンであったことの証となっている。

宇野選手のヘディング
 1981年8月26日、後楽園球場での読売-中日戦。読売ジャイアンツは前年から、実に158試合連続得点(0点に封じられた試合なし)という記録を継続中。この日、中日の炎のエース・星野仙一投手は7回二死まで完封ペースであり、ついに連続試合得点記録は途切れるかと思われた。が、中日のショート・宇野勝選手は、山本功児選手の凡フライをなんとヒタイに当てて大きくはじくエラー。レフトの大島康徳選手が追いつけない間にボールは外野を転々。ジャイアンツは得点し、連続試合得点記録は継続することとなった。グラブを叩きつけて悔しがる星野投手。頭を押えてうずくまる宇野選手。今もなお「宇野のヘディング」として語り継がれる、伝説の珍プレーであった。

権藤博さん
GondouHiroshi
 近藤貞雄さんが中日コーチをされていた時代に、1961年・62年のデビュー2年間で65勝を挙げた中日ドラゴンズのエース。しかし、「権藤・権藤・雨・権藤、雨・雨・権藤・雨・権藤」(雨で試合が中止にならなければ、必ず権藤投手が登板している)という言い回しがあったほどの酷使がたたって、投手生命は短命に終った。名投手コーチとして中日・近鉄・ダイエー・横浜と渡り歩いた後、1998年、監督として横浜ベイスターズを38年ぶりのリーグ優勝・日本一に導く。

バックシャン
 バック=背中(英語)、シャン=美しい(ドイツ語のscho"ne)。「後姿美人」を表すが、現在では死語かな?

スーパーカートリオ
 1985年から2年間、近藤貞雄さんは横浜大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)の監督を務めた。俊足巧打、とはいえ(失礼ながら)小粒な高木豊選手・屋鋪選手・加藤博一選手を「スーパーカートリオ」と命名して1~3番に据えるなど、涙ぐましい努力でチームを盛り立て、連続4位に。笑ってはいけない。この後、ほぼ10年間に及ぶ大洋・横浜の暗黒時代(古葉監督時代)・雌伏時代を知っていれば、「連続4位」は望みうる最高の成績であったことがわかるはずである。

古葉竹織さん
 1975年途中から1985年まで広島東洋カープの監督を務め、チームをリーグ優勝4度・日本一3度に導いた名監督。その後、1987年から3年間、横浜大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)の監督を務めたが、イケイケ・アマアマの大洋のチームカラーと、堅実な古葉監督の采配は全くかみ合わず、成績は5位・4位・最下位、と振るわなかった。
 しかし、古葉監督時代、やはり広島から大洋に転身してきたスカウト・木庭教(きにわ・さとし)さんが獲得した谷繁元信捕手をはじめ、石井琢朗選手・進藤達哉選手など、後の優勝メンバーが入団。古葉監督がまいたタネが花開くのは、約10年後、1998年まで待たなければならなかった....

最高勝率を誇る
 権藤博さんが横浜ベイスターズの監督を務めたのは、1998年から3年間。この間、98年79勝56敗・99年71勝64敗・2000年69勝66敗で、計219勝186敗、勝率.541。これは、大洋・横浜の歴代監督中、最高勝率である。

牛島和彦さん
UshijimaKazuhiko
 言うまでもなく、現在の横浜ベイスターズの監督。昨年、チームを3位に導いた。近藤貞雄さん・その門下生の中日ドラゴンズOBと、大洋・横浜は不思議な縁で結ばれている。近藤貞雄さん、ありがとう!





【今週の使用曲】
1.Honeywarの野球歌謡「浜スタ・トワイライトタイム」。
 Honeywar野球歌謡の人気ナンバー。「浜スタ」とは、プロ野球・横浜大洋ホエールズや、横浜ベイスターズの本拠地・横浜スタジアムのこと。
 試聴・MP3ダウンロード(無料)はこちら
 また、英語版「HAMA-STA Twilight Time」はこちらのページにて

 それでは次週もお楽しみに!

ご意見・ご感想をお待ちしております(番組でご紹介する場合もあります)。


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