永訣の朝。

2022-09-29 22:23:00 | ヒビノコト。
うまれでくるたて
こんどは こたにわりゃのごとばかりで
くるしまなぁように うまれてくる


今度産まれてくるときは
自分のことばかりでなく
誰かのことにも心を配るような
そんなふうに 産まれてくるから

宮沢賢治の妹、トシが息を引き取る際
最期に言い残したことは?と問われて
言った言葉だそう

生きていると
ちいさなちいさな自分の抱える苦しみ、悲しみに囚われてしまう

そんな苦しみや悲しみから、自分を解放すると決めることが出来たら

自分にも まわりにも
同じように 温かい気持ちを持つことが出来たら
そんな人生は どれほど幸せだろう

何度も何度も声に出して読んだ

気がついたら、泣きながら読んでいた




人生を終える時に思うこと。

2022-09-19 20:03:00 | ヒビノコト。
人生を終えるとき、どんなことを思ってそのときを迎えたいか?

ふと問われて、心に浮かんだのは

たくさん愛して
たくさん愛された
そんな人生だった

という言葉

かわいいおばあちゃんになって
あと50年後くらいに、そんなふうに思えたらいい、

でも
人生を終えるのが50年後でなくて
30年後なら
15年後なら
10年後なら
5年後なら
1年後なら
1ヶ月後なら
1日後 だとしたら

そんなことを思ったとき
なんとなく 
今日という日の生き方が
すとん、と定まったような気がしたんだ

人を愛し
自分の人生を愛し
人から愛を受け取り
自分の人生から愛を受け取る

こんなことを1日、1日重ねていけたら
それだけで 良いのではないか

私はどこまでも
愛を諦めたくないのだなあと
これまでの道のりを振り返り
これからの道を、眺めている


名前を呼ばない男。

2022-09-04 23:39:00 | ヒビノコト。
私の名前を呼ばない男がいた

下の名前を呼んで欲しいと頼んでも
頑なに呼ばない男

名前は
産まれたことへの祝福の証であり
その人が受け取る最初の贈り物であり
願いや想い、祈りでもあり

そんな名前を呼ぶことは
愛情表現のひとつであると、私は思っている

だからこそ 私の名前を呼んで欲しいと
お願いしてみたけれど
ついに呼ぶことはなかった男は

今はどこかの誰かの名前を
どんな顔をして呼んでいるだろう

そのことを思う度、
男が残していった大きな足跡を、
私はただ、途方もなく眺めるのだ

彼は幸せだろうか
彼の幸せをどこかで許さない私は
やはり
名前を呼ばれる価値のない 
そんな女だったのだろうか