(田歌舎のBBQ棟から見下ろせる合鴨農法の田んぼ)
田歌舎では私たちが作るお米と谷を挟んでお隣にくらすとみヱさんが丁寧に育てたお米を販売しています。
今回はそんなお米たちのストーリーを紹介しようかな、と。
田歌舎でのお米づくりは今年で18年目となりました。私自身は美山にやってきて翌年の23歳の春からお米つくりを始めたので、私にとって今年は26年目のお米つくりとなります。
若かりし頃、知識もないまま果敢に挑戦した無農薬有機栽培は3年目で草だらけの田んぼとなってしまいまして・・・。
その翌年からは地域の皆の田んぼと遜色ないお米づくりができるまでこだわった素人農法をやめようとなって、いわゆる慣例農法で化学肥料も農薬も用いて、まずはしっかり獲れる農業を目指すこととなります。その方針は田歌集落に越してきた田歌舎の創生期も同じでした。新たに借り受けた圃場でまず地域の皆から認められる農業をしっかりやらなくちゃ、という思いでしたね。
(田んぼは排水の機能がとても大事、近年の気候に合わせ、長雨に備えて排水口を増設しています)
そうして田歌にやってきて5年目、反収平均520kgという地域一番の収量を上げることができたのですが、その翌年から自分の中でも納得し、満を持してそこまでに得れた経験や知識を活かしたアイガモ農法や有機栽培といった収量度外視のこだわりのお米づくりを再開することとなります。
田歌に移り住んでから、高齢により辞めていかれる農家さんから様々な道具を引き継ぎ、種蒔きから収穫までの全ての工程を田歌舎で行えるようになりました。水利の良い圃場ではアイガモ農法での無農薬有機栽培を続けて13年目になりました。そのために飼育する合鴨は初めの頃は雛を購入していましたが、今では親鳥が生む卵を自社で孵化させて命を繋ぎます。もちろん副産物としての鴨卵はとても美味しくて田歌舎の魅力ある食材の一つとして活躍しています。そんなアイガモ農法では玄米食となる赤米や黒米、玄米食用としてのキヌヒカリを育てます。
(小さなビニールハウスですが、冬は小さな葉野菜たちを育て、春になるとハウス一面に稲の苗床が広がります)
そして田歌舎の施設から少し離れた圃場では、特別栽培米と称することのできる低農薬の農法でのお米作りです。実際には自分たちで苗床を作っての種まきから始まり、肥料は購入する有機資材のほか、牛糞や山土、刈り草など投入し、除草剤は1回のみで、化学肥料を一切用いず育てています。
特に山土の投入はお米の味を変えてくれました。ですがとても重労働なので、数年に一度の作業、重機なども必須の作業となります。あまりに重労働なので費用対効果?的にも大変だなあ、という思いもあったり、「継続し難いことは=完成した農法とは思えない」で、いろいろ今も模索中ではありますが、美味しく安全なお米つくり、なおかつ経済もそれなりに成り立たせることは永遠のテーマですね。
そんな田歌舎の汗と涙(嘘)が染み込んだ特別栽培米は、うるち米のコシヒカリともち米ですね。
(田歌集落全体で協力し合いながら田んぼは維持管理しています。集落の皆の合意のもと人に安全も環境にも配慮し、集落全体でカメムシ防除などの強い農薬は使いません)
次は今回の記事を書くきっかけでもあり、是非とも伝えたいなと思う「とみヱさんの作るお米」田歌集落の清流米(商品名)のストーリーを・・。
とみヱさんは田歌舎からは小さな谷と挟んで100mくらい離れているし、杉林があるからほとんど見えないけど(笑)、でも一番のご近所さんですね。
もう5年ほど前に残念ながらご主人が亡くなったんだけど、それまでの半世紀以上もの間、常に夫婦ともに日々田畑に赴き、丁寧な農業をされてきたようです。私が移ってきて10数年彼らの仕事を間近で見ることができましたが、田んぼではいつも中山間地域特有の広い畔と土手の草を「えらい、えらい、」が口癖になりながらもそれは丁寧に刈り上げ、そしてその全ての刈り草を田んぼ毎にひと所に美しく積み上げられていました。そうしてシーズン4回、5回と刈られた草の全てを積み上げ、重石を置かれた状態で晩秋を迎える頃にはとても優れた緑肥(*この刈り草を発酵させてできる緑肥の素晴らしい効果については、今では科学的に実証されています)と変わるのです。
(脱穀後の籾殻は薫炭にして、優れた有機資材として翌年の苗床の土に混ぜて使います)
「空き地なく撒く」という言葉をとみヱさんから教わりました。
その出来上がった緑肥はまさに言葉の通り「空き地なく」圃場に撒きつくされます。そうして秋漉きを経て春になり土に還った緑肥は豊かな土壌を育みます。植物の成長を助ける有効な菌が土壌いっぱいに広って、元の土に残る有機物たちの分解も活性を与えるようなイメージかな。特別栽培米といった言葉が生まれる前から、その緑肥に頼り、化学肥料は慣例農法の半分から3分の1しか使わないと聞いています。そうやって育つ米は実際に病害虫に強く、収量も常に多い上に美しい粒が揃います。ご主人がなくなる数年前からは、自分たちでの苗づくりが厳しくなってきたけれど、農協の苗は使いたくないということで、田歌舎で十年近く苗づくりを引き受けていました。今のような情報が溢れる前からも慣例農法ではない自分たちの経験で積み上げた農法を確立し、信念を持たれていたことは尊敬以外の何物でもありません。
ですが残念なことに、そんなとみヱさんも今では80も半ば、思うように体が動かなくなってきました。今は遠くで暮らす息子さんご家族が定期的に帰ってこられながらとみヱさんの田んぼを守ります。そんなとみヱさんご夫婦が長年育んだ圃場で育つお米は今では慣例農法(低農薬ですが)に近い農法に頼らざる得なくなりましたが、それでも土の中の貯金は生き続けています。今年も集落のライスセンター(脱穀、精米所)で作業する皆が口を揃えます。
「今年も卯之助(屋号:とみヱさんの家のこと)の米が一番や」と。