今日の私

今日感じたことや出来事を書いてます

熊本県中央区帯山発・・

2016年04月28日 | 日記
本当は、14日の地震から詳細にブログに記録したかった。しかし、そんな状況ではなかった。今・・思い出したくない自分との葛藤のなかで、いつか違った私が思い返す事があり今後の災害に役立つ事もあればと思い残します。

確かに、、、あの時、家の中より外が安全です。避難場所へ委ねるのも多いと思います。しかし、物資が届くのに長い時間を要します。私達、近隣は、広場に車を持ち寄り車内生活の始まりです。地震の怖さは、皆同じです。交代で家に食料を取りに行きます。どこもある程度ストックがあります。外に見張りが居て『揺れたよ!』と叫ぶと飛び出し、少しの時間に食料を持ち出します。連携プレーこうして20人余りの食料を自ら確保して自炊し分け合って過ごしました。後で聴いた事ですが避難場所では、水も食料も2日余りなかったそうです。私達は、地震翌日から不自由なく生活出来ました。

車内で1週間余り夜を過ごしました。今思うと気持ちの余裕がなかったのか、3日目くらい経った頃、車内の老夫婦の名前を聞いた事を思い出しました。いかに頭も気持ちも並みを外れていたかと言う事です。

お店を昨日からオープン。来る人ごとに『生きとったねぇ~?』と言うと『まだ、死なるっかいた!!』と明るい返事が返ってくる。今日もお馴染みのお客様がひっきりなしに来てくれる。日頃のオバサンの溜まり場だけの事はある。お互い被害が無い人は居ない。無事であった事に喜び笑いで悲しみをぶっ飛ばす!!これがオバサンパワーなのか・・・・老い先に未練がないのか・・・・とかく私の周りはこんな人が多い^^;


熊本県中央区帯山発・・

2016年04月27日 | 日記
4月14日21時26分、、、その時から何もかもが大きく変わった!

ここ、2日程、大きな揺れがおさまったような気がする。いつの間にか地震がくると震度3・・・・とか身体で揺れ具合を判断出来るようになった。900回も揺れると自然と身体が覚えるのだろう。ただ怖いのは『また、揺れた』と安易な自分になる事。

思い出したくもないが・・・・4月16日1時25分
被災者が言われました。『悪魔の始まり』と・・表現出来ないくらいの恐怖感でした。

ご近所さんで色々持ち寄り、日頃会う事もない人もその日から家族です。卓上コンロを持ち込み別の人がガス、水、カップラーメンを集め、1個を分け合って食べました。『うまい!!』ラーメンの美味しさに始めて気付きました。

帯山は日赤病院の近くです。そのため、昼夜お構いなしに救急車、パトカー、消防車のサイレンが鳴り響いていました。最近、けたたましい音が減りました。

そんな夜、みんなでボンヤリと眺めていると誰かが・・・・『電気がついた!!』空き地の街灯がウッスラとひかり・次からつぎへと居ないはずの部屋に灯りが灯りみんな拍手です。日頃当たり前のように思っていた電気の灯りに涙しました。

水は思うように流れません。貴重な水はお米を洗っても、器を洗い、繰り返し使い最後にトイレで流しました。私は、思いました。資源を大切にしなかった神様のお怒かりかと・・

全てが稼働し始めた今日、お店もオープンしました。都市ガスが多いのですがまだ、普及が少ないらしい。うちはプロパンガスなのでお風呂の提供と、あったかご飯にお味噌汁・・オマケに私のおしゃべりを提供させて頂いております。(笑)

がんばれ熊本!!!


熊本県中央区帯山発・・

2016年04月18日 | 日記
日本中の皆さんがご存知のように熊本は九州でもマレにみる大地震を受けました。 本来なら実家のツツジ山に多くの方がお見えで山いっぱい笑い声が響く頃なのに、、自然災は時、所構わず押し寄せます。14日の夜と共に全てが変わり果てました。
まず、14日はお客様をおもてなす準備で母と山菜料理を準備して早めに床につきました。
安心して眠りに入るのと同時に生まれて初めて味わう恐怖の始まりです。ドーンと言う音と共にギシギシガタガタ・バリバリ・・とにかく、表現できない光景です。何が何だか理解できない状態で身を寄せ合い身体の震えが収まらないうちにまた、余震が起きます。
最高に長い夜が終わり朝を迎えました。散乱した部屋、、踏み場のない割れた器を片付け帯山へ帰りました。
よもや、その夜もっと大きな地震がくる事を誰が予想したでしょう。確かに余震はありましたが・・前夜以上の地震が来るとは微塵にも思いませんでした。
15日の深い眠りについた頃です。けたたましい音と、激しい揺れと、停電と共に火花が出たのだけをはっきり覚えています。それからは、長い揺れの中、、、光った携帯一つ握りしめ家から飛び出しました。それが、暗さみの玄関が遠い事。冷蔵庫は中から飛び出し重たいレンジが落ちて棚は倒れ道を塞ぎ、油がボトルからこぼれ、滑って前に進めなく外に出てご近所さんの姿をみて安堵はしましたが、長い事身体の震えがおさまらず、残してきた両親が心配でした。みんな元気いた事が救いです。
ここ数日、車にご近所のおばあちゃん達を乗せて夜を過ごしてます。いつも、救急車のサイレン、けたたましい消防車の音、いつも空から音をたててるヘリコプター。揺れた時の悲鳴・・・・終息のわからない日々です。私は、友人の差し入れや、ご近所で一緒に食べ物を持ち込み炊き出しで何とか生活出来てますが、今日近くの学校へ行きましたが、物質不足で哀れな状況です。益城や阿蘇に比べたら良い方だと思います。
一人でもこの状況を理解して頂けたら幸いです。まだ、気持ちの整理もできず、うまく伝える事もできませんが、熊本を助けて下さい。

さくら・・花吹雪

2016年04月03日 | 日記
今日は、お店のお客様とスポーツクラブの仲間でお花見です。心配された雨も何とか持ちこたえ花吹雪の中、、、映画のイチシーンかのようなお花見でした。
日本に生まれて良かったと思える一時です。



賑やかなオバサンメンバーです。スポーツクラブに行っているとは思えないそんな事ありません。みんな輝いております



桜舞い散る中、、、ギターハーモニカと歌声が響きます



もちろん、牡蠣や焼き芋、、、お肉とご馳走です。



そこのお姉さん!しあわせそうな笑顔*



〈オマケ〉たんぽぽがかわいくてパチリ



楽しい1日でした。モチお酒もおいしゅぅございました