悠のあしあと

過去に実際にあった思い出をを思いつくまま書いてます。小学生や中学生の悠はこんな感じです。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

リカちゃん人形

2005年02月24日 | Weblog
あれはあたしが小学6年生くらいの時だったかな。
当時2年生だった妹が「リカちゃん人形」を買ってもらった。あたしは確かカラー粘土で髪の毛が生える(伸びる)人形を買ってもらったと思う。妹も初めはそれぞれ夢中になって遊んだが、だんだん相手の物が気になってきたんだろう。「お姉ちゃん、あの人形貸して」と言ってきたが、常に妹に嫉妬していたあたしは「やだよ。あんたはリカちゃん買って貰ったやろ」と言うと「私も散髪してみたい」と言った。
今時こんなんで騙されんやろと思いつつ「リカちゃんも散髪できるで」とあたしが言うと「切ったら伸びへんやん」と言うので「あれ。知らんかったん?1回位切ってもまた明日になったら伸びるねんで。何回もしたらあかんけどな」と言うと「ふ~ん。」と黙ってしまったので、なんだか居心地の悪さを感じながら部屋に戻った。

次の日、学校から帰ると、妹が泣きながら「お姉ちゃんの嘘つき!」と自分の部屋に閉じこもってしまった。夕べの事などすっかり忘れていたあたしは「なんやねん。帰ってくるなり気ィ悪いなぁ」と思いつつ、妹の部屋を覗いてみるとそこには、見るも無残に短く刈られたリカちゃんが・・・!!

その騒ぎを聞きつけたお母さんにこっぴどく怒られながら「そんなん本気にする方が悪いねん」と開き直り、その後1度も謝って無い事に今、気づいた。

この話を最近、妹に話してみたら「私、子供の時、ほんまアホやったな。信じられへんわ。」と大笑いしてた。妹もすっかり忘れてたらしい。あん時はほんまにごめんな。
コメント

おじいちゃん

2005年02月24日 | Weblog
子供の頃、苛められっこだったのは前にも書いたが、あたしは家でも異端児だった。あたしはお母さんの連れ子でお父さん方のおじいちゃんと同居だった。このおじいちゃんとものすごく折り合いが悪く、いい思いでは1つも無い。お母さんによれば、妹が出来るまではすごく可愛がってくれてたらしいが、そんな事は1つも覚えていない。例えば、お正月、妹と2人、おじいちゃんの部屋に呼ばれ、行ってみると、目の前で妹にだけお年玉をあげたりするおじいちゃんだった。
ある日、あたしが学校から帰るなり、「お風呂の火、点けっぱなしで、火事になったらどうする」とおじいちゃんが怒鳴り込んできた。ムカッときたあたしは「今、帰って来たばっかりやのに、そんなん知るか。」と言い返した。逆上したおじいちゃんは、ホーローで出来た分厚いフタで殴りかかってきた。あたしはそれをどうにか防ごうとおじいちゃんの腕を必死になって掴んでいた。爪がおじいちゃんの腕に食い込み、肉がえぐれていた。痛みに耐えられなくなったおじいちゃんから解放されると、一目散に洗面所へ駆け込んだ。おじいちゃんの血が付着しているのが、たまらなく嫌だったのである。爪だけでなく、自分自身が凄く汚されたようでたまらなかった。吐きそうだった。それほどまでにおじいちゃんを嫌悪していたのである。憎んでいたと言っても過言ではないだろう。妹ばかりが可愛がられる事に嫉妬していたあたしは、些細な事で妹を苛める嫌な子になっていた。ものすごくひがんでいた。

そんなある日、おじいちゃんが亡くなった。定時制の高校に通ってたあたしは「お通夜もお葬式も出ないから。」と公言してその日も学校に行った。不謹慎だが、おじいちゃんの死で、舞い上がっていたあたしは聞かれもしないのに「今日、じいさん、死んでん。今日お通夜やねん。」と誰彼なしに言って回った。先生も「お通夜、出なくていいんか?」と言っていたが、「ええねん。」と聞く耳持たずだった。さぞ周りも困惑しただろう。学校から帰ると、お父さんが物凄く辛そうな顔で、あたしに「明日の葬式は何が何でも出て欲しい。」と言った。おじいちゃんはあんなだったけど、お父さんはあたしの事を、自分の本当の子供でもないのに凄く可愛がってくれてた。ただ、仕事が忙しく、いつも家にいない人だった。そんなお父さんに免じて、葬式だけ出ようという気持ちになった。いざ、お葬式に出てみると、あたし自身は全然悲しくないのに、周りにつられ、涙が込みあがってきた。それが悔しくて、意地でも泣くまいと、唇を噛み締めていた為にお葬式が終わる頃には少し唇が腫れていた。
後でお母さんから聞くところによると、お父さんの親戚たちが「お通夜にも出んと、学校行ってるってどういう事やねん。そんなんやからあの子は・・・・」と言う悪口に「そんなんちゃう。あの子にしたら、そんなもん出たくもないわ。」と啖呵をきり、あいつが悪く言われるのは耐えられないといって、先ほどの言動に出たらしい。自分のお父さんが高齢だったにしろ、本当は凄く悲しかっただろうにそんな事はおくびにも出さず、あたしの気持ちを優先して考えてくれてたお父さんが大好きだ。だが、家は別だ。もうとっくにあたしの居場所ではなかった。
17歳になって初めて1人暮らしをしている彼氏が出来、速攻で家に押しかけ、一緒に暮らし始めた。家出同然である。何日か立ち、お母さんが迎えに来てくれたが、家に帰るのがどうしても嫌で追い返してしまった。その後、彼氏と別れ、家に戻ったが、半年位でまた家出をした。お母さんがあたしにも妹にも平等だったのが嫌だったのだと思う。せめてお母さん位はあたしの味方でいて欲しかったんだと思う。それが叶わない事に腹を立てていた。
あんなに憎かったおじいちゃんだが、今ではほとんど思い出す事も無い。家族とも上手くいっている。自分の中の負の感情が浄化されホッとしている。
コメント

対人恐怖症

2005年02月24日 | Weblog
小学生と中学生の頃、あたしは苛められっこだった。原因は分からない。最初はほんの何人かだったと思うが気が付けばクラス中に嫌われていた。
最初の頃は泣いてばかりいた。それを見た女の子が「あんたっていっつもスグ泣く。イライラする。」と言ってきた。内心「お前が泣かしとんやん。」と思ったが、仕返しされるのが怖くて黙っていた。それから少しずつ他人が怖くなっていった。小学4年だか5年の時同じクラスの女の子(A子)が「今日、遊ぼう。」と誘ってくれ、その子の家に遊びに行った。その子は遊んでる間中、ずっと1人の女の子(B子)の悪口を言っていたが、あたしは逆らうのが怖くて「そうだね。」とばかり繰り返していた。次の日、学校に行ってみると、B子に「あんた、昨日ずっと私の悪口言ってたやろ。」と詰め寄られ「違うよ。言ってたのはA子だよ。」と言ったが信じてもらえず辛い日々が続いた。家に帰ってその事をお母さんに告げると「そりゃあんたが悪い。人の口車に乗ってうんうん言うからや。」と一言で終わってしまった。あたしは自分の味方が誰一人いなくなったと思った。小学校生活も無事卒業を迎え、これで苛められる事も無くなると喜んだが、世の中そう甘くなかった。地元の公立中学へ進学したあたしの同級生は約1/2は小学校の同級生だったのである。あること無いこと好き放題に言われ、あっと言う間にまた嫌われ者になっていったのである。あたしはもう「ちょっとやそっと苛められたって何ともないんだから。あんたら勝手に言っとけば?」と強がるのが精一杯だった。そんな態度が生意気に映ったのだろう。今までは影でこっそりだった悪口がおおぴっらに言われ、からかわれる事も日常茶飯事だった。
そんなある日、たまたま席が前後だった1人の女の子と少し仲良くなった。その子はものすごくハッキリしてて、相手がどう思おうが平気で自分の思ったことを口にする子だった。一番ビックリしたのがある男の子が「何で僕にはそんなにキツイ事ばっかり言うん?」と問いただしたら「だって、私、あんた嫌いやねんもん。」と言ったのだ。しかし、それがきっかけで仲良くなっていった2人はいつのまにか付き合うようになっていった。「なんや。言うたもん勝ちなんや。言わな損やん。」と思ったあたしは少しづつ対人恐怖症が治っていった。卒業後その女の子とは些細な事でケンカしてそれっきりだが、ある意味感謝している。その子のようになりたいと思った事は1度も無いが、変わるきっかけになったのは確かだ。

あたしの時は色んな事言われたり、仲間はずれにされたりしたが、それ以外の事は全くなかったが、今は陰湿な苛め方みたいで、TVとかで聞くたび心が痛む。よく「苛められる方にも原因がある」と言うが、果たしてそれは正しいのだろうか。確かに世の中には苛めたくなるような人もいるが、どんな理由にしろ、わざと人を傷つけるような事はしてはならないと思う。それでなくても多かれ少なかれ人は、誰かを傷つけて生きて行くものなのだから。気づくか否かはその人の器量次第だが。「いい事にしろ悪いことにしろ、回りまわって自分に跳ね返ってくる」という言葉を信じている。
あたしはまだまだ立派な人間には程遠いが、出来る限り優しい人間でいたいと思う。すぐ忘れちゃうのが難点だけどね。トホホ。
コメント

遠足

2005年02月24日 | Weblog
小学校の低学年の頃、遠足と言えば決まって「かぶと山公園」だった。学校から歩いて2時間位の道のりだったと思うが、いつも「なんぼ程、歩かせんねん。」とブーたれてばかりいた気がする。小さい時から歩くのが大嫌いだったのだろうか?  ・・・いや、まてよ。確かお母さんと買い物に行く時はそうでもなかったと思う。うちの家の周りは山ばっかりで、どこに行くにも徒歩で登ったり下ったりしなければならなかったんである。駅まで行くにも徒歩30分かけて下りていかなければならなかった。やっぱり、いつも同じ所だったからかもしれない。
3年生くらいっだったかな。クラスの誰かがふざけて知らない車に「お~い。」と大きく手を振り始めた。それを見たクラスメート達が次々真似をして全然知らない誰かにクラス中がまるでよく知ってる人のように「お~い。」と手を振りだした。振られた方もきっと面食らっただろうと思うが、そのうちの1台が「元気か~?」と手を振り返し、「今、こんなものしかないけど・・・」とあろうことかタオル等くれたのである。多分、どこかのガソリンスタンドでもらったものだろうが、奇特ないい人だ。その後、そのタオルがどうなったかは知らないが「遠足」と聞くたびにその事を思い出す。あの時のお兄さんが今でも元気にやってる事を心から祈ります。貴重な思い出をありがとう。
コメント

先生

2005年02月24日 | Weblog
幼稚園の時、大好きな女の先生がいて卒園の時先生と離れるのが嫌だと大泣きしてお母さんや先生方を困らせたくせに名前すら覚えちゃいない。小学2年の時、担任の久保田先生。大好きだった割りにエピソードも何にも覚えていない。2人共、顔なんて全く分からない。知らない人を前にしてあの人だよと騙されていても全く気づかないであろう。
高校生の時、副担任だった先生とは「交換日記」をしていた。何もあたしが特別な訳ではなく、初日に先生がクラス全員にノートを配り何でも書いてきていいぞ」と言ったので忠実にそれを守っただけだったがとっても楽しくてしまいには新婚家庭にまで遊びに行ったほど大好きになったのである。その他にも空手を教わったりしていた。「胴着ない」というと先生のを貸してくれたりした。大学を出て新任教師だったので張り切っていたのだろう。多分、先生の理想はスクールウォーズの山下真司演ずる滝沢先生だったのであろうと推測される。さしずめ彼女は岡田奈々か。似てはいなかったが美人だったのは間違いない。
その後、障害者の為の学校に転職し、生きがいを見つけたところまでは知ってるが、今もお元気にやってらっしゃるだろうか。
ただ、この先生の名前も一向に思い出せない。薄情なのである。
コメント

好きな人(その2)

2005年02月24日 | Weblog
中学生の時きっかけは忘れたが、何故か順番に好きな人を告白するってなった時があり、いないでは済まされなくなってしまったことがある。誰も思い当たる人がいなく、仕方なしに家の向かいに引っ越してきた横田君だと告げた。その後知らん振りしたたらいいやと思っていたのに、なぜか告白する羽目になり、面と向かっては言い難いのでラブレターを書くことになった。
しかし、本当は好きでもなんでもない横田君にラブレターなんてそうそう書けるもんじゃなし、いざ便箋を目の前にしても何にも浮かんでこない。そりゃそうだ。横田君がどんな人なのかもよく知らないんだから、書けるわけないのである。それでもなんとか書き始めてみると、何回やっても近況報告にしかならない。仕方が無いので横田君が髪を切ったばかりだったのでそれも書こうと思ったら「髪を切る前の方がかっこよかった」などと悪口みたいになってしまった。嫌気がさしたあたしはもういいとばかりそのまま彼に渡した。
その後、横田君から「俺の外見しか見て無いじゃん」と振られた。当然である。横田君全部嘘です。あの時はごめんなさい。
                                      
コメント

好きな人(その1 初恋編)

2005年02月24日 | Weblog
小学生2年の時、近所に大好きな男の子がいた。名前は長谷川君。
家も近く、クラスも同じで毎日一緒に遊んでいた。その頃、放課後男の子たちは学校のグラウンドで野球をするのが大流行だったみたいで、あたしも男子に混じり参加していた。もちろん、そんな女子はあたしだけである。毎日長谷川君が誘いに来るのだから行かなくちゃ、である。全然上手くないあたしはいつもあんまり玉が来ないという理由でライトばかり守らされていたっけ。今にして思えば、なんで誘われてたんだろう?? 他の人は嫌だと言わなかったのだろうか?疑問である。
長谷川君とはなぜか背の順で男子と女子に分かれて並ぶと隣同士だったので遠足などどこかへ行く時は手をつないで歩いてた。写生大会の時、長谷川君が「荷物持ってやる」と言うので「うん。ありがとう」と渡したら先生が「自分の荷物は自分で持ちなさい。」と怒ってたが、あたしだけ怒られるのは割りに合わないと心の中でぶつくさ言ってたな。
他のクラスメートが横で何かしら噂してたし、よく冷やかされたが気にも止めなかった。長谷川君も同じだったのだろう。それから後も手をつないで学校へ行ったりしてた。
雨の日、長谷川君が愛犬を連れて我が家へ遊びに来たが、お母さんが「家に上げないでよ!」と怒ったので長谷川君家で遊ぶことにしたが「あんな言い方しなくていいのに」とお母さんに腹を立てた。しかし初めてお邪魔する長谷川君家である。そんな事はスグに忘れた。優しいお姉さんがいて心底羨ましかった。
だが、学年の途中で長谷川家は引越ししていった。隣の小学校に転校である。その後しばらくしてからお母さんと買い物の途中偶然バッタリ出会ったのだが、なんだか恥ずかしくてつい無視してしまった。すごく後悔したが後の祭りである。
中学に入学したらまた長谷川君と再会したが、なんだか気まずくて声も掛けられず、同じクラスにもならなかったので一言も会話を交わす事も無く卒業していった。何か彼女と同棲してるとか、彼女が妊娠してい手卒業したら結婚するとか色んな噂がたっていたが、確かめてみたりもしなかったのでほんとの所は分からないが中学生でそれは無いだろう。多分長谷川君の周りを気にしない積極的な言動が噂を大きくしていったのだろう。あたしの中では彼女がいるって事の方が大問題でこっそり少し泣いた。初恋は実らないとよく言うがほんとだなぁと1人勝手に納得していた。今でも時々元気でやってるかなと思い出したりする酸っぱい思い出である。
コメント

給食

2005年02月24日 | Weblog
小学生の頃、あたしにとって給食の時間はあんまり嬉しくない時間だった。好き嫌いが多かったあたしはパンと牛乳が大嫌いだったのである。普通のパンでもおかずがあるからなんとか食べられたのにレーズン入りや黒糖パンまで出てはもうあたしの手に負えない。低学年の時は毎日クラスメートが掃除している横で、5時間目が始まる直前まで食べさせられていた。それでも牛乳もろとも残すので担任はぶち切れていた。1種の拷問だよね?これ。残って食べさせられるのが嫌でパンを机の中に隠し、帰り道の途中、人ん家の犬にやったりしていた。時たま、忘れて帰って机の中でカビていたこともある。それをクラスメートに見つかり、苛められたりしていた。もう踏んだり蹴ったりである。
しかし、その後はクラスメートにこっそりあげてしまう事で掃除の時間まで食べさせられる事から解放されたのである。先生が見てない時にパンを渡し、クラスメートが飲み終わった空の牛乳ビンと自分のを交換するのである。先生は自分のおかげで牛乳が飲めるようになったと思っていたみたいだが、んな事はない。ただの勘違いである。
今はアトピーとかあるし、残したいなら好きなだけ残していいよ、って感じみたい。ましてや1人だけずっと食べてるなんて事は全くないらしい。今の子供が羨ましいと少し思った。
コメント