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誕生日メッセージへの御礼

2023-01-28 21:25:45 | 日記

多くの方から誕生日のメッセージをいただきました。ありがとうございます。急な腰痛の中での加齢となっています。年始以来の激務が祟ったと言いたいところですが、それはほぼ嘘になるので、日ごろの不摂生が体に影響を及ぼしたと思われます。ロキソニンで痛みが和らいでいる今、お返事を差し上げる次第です。

さて、私の体調はともかく、先ほど行ったかかりつけ医がなかなかの御仁なのでちょっと書いておくと、医師以前に、人としての基本動作というか所作ができている。患者・職員の自転車が近隣の迷惑にならないよう縦1列に何度も整理している。古い診療所なので便所スリッパ風に履き替えなくてはならないが、コロナが流行る前から除菌をしている。受付にある飴が種類別に整然と配置してある等々。
何よりも「人の話に耳を傾ける」という、誰もが知っていてできる人は滅多にいないことができている。診察で「他に何かない?」と聞きたがるし、今日も聞かれた。「病気見ずして患者見よ」という医師の矜持もあるのだろうが、似たようなことはどの世界にも言える。労働者の悩み相談などそこそこに、自らの「正義」をしゃべり出す管理職や組合ダラ幹の群れ群れ。

おもしろいのが、その御仁は高齢サーファーなので、居眠りしていても入手できる学会認定医証よりもサーフィン協会の賞状やら認定証が貼ってあるとこ。診察と波乗りにどんな関係があるのか不明だが、患者との話のネタにはなる。それ以上に「自分がやりたいこと」と「やるべきこと」をきちんと仕分けできている。だいたい土曜の午後に急患対応がきちんとできちゃうところ、今時あるか。地元で何十年も開業できるには訳がある。

座り過ぎは腰によくないので、そろそろここら辺にしておきますが、とまれ、神は細部に宿ると言われます。実際に神様が見ているかどうか知りませんが、見る人はきちんと見ています。くれぐれも大言壮語や権威主義の虚仮脅し、即席幸福論にごまかされて壺を買わされたり、変な献金をしたり、評価上げようと過労死したりしませぬよう祈念しております。では。


「大臣」を聴く

2022-09-19 02:49:02 | 日記

【大臣】
官僚嫌いの国木田財務大臣の話。就任演説の原稿を官僚に頼まずに自分で書く。好きな芸者の名前などをそっと盛り込んだ、味のある、ふざけた原稿。ところが、官僚たちに馬鹿にされたあげく、きれいに添削されてしまう。そして、全くやる気のない就任演説が始まる、、、。
まあ普通の短編小説だが、清水綋治の無機質・無感情な朗読が、いい。政治の情熱なんぞ簡単に骨抜きにする官僚主義の冷酷さが伝わってくる。


中島みゆきのトラウマ

2022-09-17 22:06:54 | 日記

 今は昔、ある所に中島みゆき信者がおった。彼の下宿に行くと、ドテラを羽織った姿で「これ、泣けるんだよなあ」と言っては、私が同意していないにもかかわらず、中島みゆき何とか全集のカセットをラジカセに入れて、何度も聴かされた。トイレに立つことは許されない。「泣けるんだ」と言われるとかえって泣けないものだが、そんなことお構いなしに、彼は曲を聴きながら目をつむり、「うん、うん」とうなづいて陶酔状態に入っていた。その顔つきがあまりにおかしかったので、中島みゆきを聴くと、多くの人は感動したり元気をもらったりするのだろうが、私の場合、彼の顔つきが思い浮かんでつい笑ってしまうのだ。


本日も不眠症

2022-09-17 03:37:34 | 日記

 十数年前だが、完全夜勤の仕事をしばらくしていた。夜警ではない。一晩中、主に旧共産圏のテレビやラジオ放送を視聴し、その内容を原稿にまとめるという作業。今風に言えば「オシント(オープンソース・インテリジェンス)」だが、そんな言葉を知らなかった当時からジミな情報収集活動の重要さは変わらない。

 例えば一晩中、某国の政治家の演説をヘッドホンで聴いている同僚がいた。特に重要な演説というわけでもない。定例会などでのちょっとした話なんぞをじいっと聴いている。何をしているか。特定の言葉の言い間違えの回数やアクセントの変化をチェックし、定例会ごとにその増減や変化を比較分析する。去年は28回の言い間違いが今年は75回に増えた、ロレツが回っていない、、、その政治家の健康状態が予想できる。そして、ほぼ正確に死期を当てていた。

 そんな花形部署の横で、私はというとドイツの東半分の担当で、ネオナチがどこぞのユダヤ人墓地にハーケンクロイツの落書きをしたとか、丑三つ時にワープロに打ち込んでいた。記事を配信したものの、おそらく何の役にも立たなかったと思う。ただ、慣れれば楽な業務であり、希少な仕事と妙な陰謀加担感、そして何よりも人間関係のストレスがほぼゼロということで、楽しくなくはなかった。

 夜が明け、昼勤の連中が出社する前に仮眠室の3段ベットに潜り込み、昼前に起き、人目を避けるように社を抜けて帰宅する。地震がくれば倒れるようなベットを改善してほしいと上司に頼んだことがあるが、「ボスニアの子どもたちを見ろ」と妙な説教をされ、諦めた。労働問題に目覚めるきっかけになったといえばなったのだが。

 「もう社会に出るつもりはない」と言っていた同僚は出世したがために、昼の世界に戻り弁当屋の娘と結婚した。夜の私はというと、昼勤の中国担当の天理教徒の娘や庶務課の今から思うとかなりの美女と色恋もできたのだが、陽の当たる場所では呆然として気力も出ず。夜中に、タバコの煙を避けた窓際席で外を見ながら、片手間に孤独仕事を楽しんでいた。

 さて、そんな安楽な生活は長続きせず、栄養失調から帯状疱疹にやられたあげく、体調を崩して退職した。以降、いやいやながらも昼の仕事に従事し、それなりに生活は維持できているものの、やはり深夜の静寂な世界が忘れられない。こんなことを書き散らしているのもその名残。明日も昼から要件があり、実はこうしている場合ではないのだが、致し方ない。本日も不眠症。