困った時の神頼み(御朱印集め)

訪れた神社の紹介と御朱印をまとめてみました。関東圏、宮城、京都、大阪、福岡の神社を紹介しています。

小網神社 <日本橋七福神>(平成29年4月29日)

2017年08月07日 | 東京都の神社
東京都中央区日本橋にある小網神社に行ってきました。
合わせて、日本橋七福神巡りもしてきました。
日本橋七福神の福禄寿、弁天様も祀られています。

<神社>
小網神社
〒103-0016 東京都中央区日本橋小網町16-23
(HP)http://www.koamijinja.or.jp/index.html

<御由緒>
武蔵国豊島郡入江のあたりに万福庵という観世音と弁財天とを安置する庵がありました。
この庵は恵心僧都の開基で、観世音と弁財天も僧都の作と伝えられています。
開基の年代は明らかではありませんが、恵心僧都の歴史を考えれば、今からおよそ一千年前ということになります。

文正元年(西暦1466年)、庵の周辺で悪疫が流行し、人々は困り果てていました。
そんななか、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って庵を訪れ、数日間をこの庵で過ごしました。
ある夜、庵の開基・恵心僧都が当時の庵主の夢枕にたち、網師の翁を稲荷大神と崇めれば、村の悪疫は消滅することを告げます。
夜が明け、網師翁の姿は庵にはありませんでしたが、庵主は恵心僧都の託宣を村人たちに告げ、翁を小網稲荷大明神と称え、神社を創建して日夜祈願をつづけました。
すると間もなく村の悪疫は鎮まり、村人たちは歓喜したといわれています。

領主・太田持資公(道灌)も、この御神徳を聞き、折に触れて、当神社を詣でました。
そして土地を寄附し、小網山稲荷院万福寿寺と名づけたと伝えられています。
慶長年間(西暦1596~1615年)には、これらにちなみ周辺地域が小網町と名づけられ、当神社を氏神と崇めました。

明治維新後の神仏分離令によって社寺は分離、小網稲荷神社として明治6年7月5日、村社に指定されました。
現社殿・神楽殿は、大正期の明治神宮造営の工匠長・内藤駒三郎宮大工一門により、昭和4年に造営されました。
その後の戦禍を免れ、現在は日本橋地区に残されている唯一の木造檜造りの神社建築となっています。
特に、向拝に施された「昇り龍」と「降り龍」の彫刻は見事なもので、「強運厄除の龍」として拝されています。
戦後の宗教法人化に伴い、名称は「小網神社」となりました。社殿・神楽 殿などは現在、中央区の文化財に登録されています。
(出展:小網神社のホームページより)

<御祭神>
倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
市杵嶋比売神(いちきしまひめのかみ)
福禄寿(ふくろくじゅ)

<御利益>
強運厄除け、財運向上、縁結び、健康長寿・学芸成就


拝殿


鳥居


御朱印
3種類いただけます。




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