hiroコールソンの一喜一憂

古代史ムーブ
美濃・尾張の古代と大王家の正史を求めている
究極は忍壁皇子の謎とき

源博雅は博雅王

2021年03月21日 | 考察・発見

名草ぼにまる先生のブログ「聖徳太子の謎 (聖徳太子はふたりいた)」https://blog.goo.ne.jp/nagusa777

が大変興味深くて繰り返し繰り返し読んで、頭を整理するために大王系図をエクセルで作ったり、Wikipediaとぼにまる先生のブログを行き来してはその補強と知識を増やしている昨今。

ぼにまる先生とコネクションを持ちたい!とgooブログに加入してみたものの、いいねボタンは押せてもコメントができない…メールも宛先がわからん…gooブログの機能もよくわからん…

発見!かと思いきや読み返せばぼにまる先生ここでいうてはるがな、とかそんな毎日であるが、大王系図も行き詰まりの程で、ちょっと蔵書「陰陽師」を引っ張り出して気分転換した。漫画だが。

いや、晴明が「秦河勝んちさ」と」言ったセリフは一体どのあたりでどんな経緯でそれを言ったのかしらとか、系図作りや情報を漁っている中でずっと気にはなっていたから。

昨日から1巻を読み始めて…今7巻だが、うん、どこで出たかな、割と早く出たw。

もう興味はそこじゃなくて、何度も見たはずの源博雅のWikipediaを見たら、アレまあ「最初は博雅王を名乗るが」とあるじゃない?

いやそんな気はしてたのよ、楽狂いとはいえなんとなく不遇?※キャラ的に本人はそう思ってないが

これは系図を遡ってみましょう…となるとあれあれ、祖父の藤原時平が左大臣の時、菅原道真が右大臣。仁明天皇の孫の女王が嫁。

仁明天皇は諱が正良でまだ大王系のような気がするのだが?

面白くなってきたが、漫画の読み返しも面白いので今日はここまで。

でもきっと博雅は王家の血筋!