久しぶりに古くからの友人5人で集まった。
私と彼女だけが電車で、家の方向も一緒なので避けることもできず、
そうなるだろうと思ってはいたが、私はもっぱら聞き役で、心の中では何度もため息をついていた。
彼女は今一人暮らしで、足腰に問題があるので働くところが無いと言う。
そしてやりたいことがわからないと言う。
いくつか提案してみても、それはああで、こうで、なんで…と必ず否定から入る。
とにかく少しでもお金がかかることを嫌がる。
とにかくちょっとでも興味が湧いたら、取り敢えずやってみたら?
そろそろ聞き続けるのもしんどくなり返してみたら、
続けられるかどうか分からないのに、物を増やしたくないという。
ボランティアもいや、飲食店も絶対に嫌な客がいるから許せなくて嫌らしい。
偏食の激しい彼女は料理にも興味はない。
私はやりたいことがみつからないの。という。
友達は?近所にいないの?
と聞くとどうもいないらしい。
彼女は教育ママタイプで子供たちが幼い頃から成績がよく、それぞれがいい学校に進んだことが彼女の自慢あり、話しの隅々に登場した。
子供抜きのつき合いはないの?
私はついにいやらしい所をついてしまった。
これは私の考えなんだけど、彼女は身近な自分の交友関係を子供の学力で決めていたんではないだろうか。
そして誰もいなくなってしまった。
実のところ私達は彼女がどう育ってきたかを知っている。
両親に囲まれた豊かで安心できる家庭でなかったことは想像がつく。
私達がこんなにも長く付け会えるのは、
口には出さなくても、それぞれの事情を少なからず知っているからだ。
彼女は自分を不幸と思い、たまに私達を攻撃する。
言わないだけで私達もそれぞれどうしようもない問題を抱えているが彼女は気づかないし、
伝えたところで、自分の問題にすり替えるだろう。
こうまで言っておきながら、私は彼女が嫌いではない。
彼女は自分だなと思うからだ。
育った環境とか価値観とか、似ている所がないとは言えなくて。
こう生きると辛いのか…
そんな事を時々会う彼女に学んでいる。