ひさらのきまぐれ。

多趣味だけどどこかぼんやりな私(ひさら)の気まぐれブログ。
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鶴岡の大銀杏倒れる!

2010年03月10日 | ニュース!
鎌倉の観光名所、鶴岡八幡宮といえば、誰もが知る三代将軍実朝暗殺の舞台となった「隠れ銀杏」。
事の真偽は別とはいえ、その場に立つとその様子が想像されて、なんだか心浮き立ったものです。入り乱れた鎌倉武士たちの様がその場に見えるようで、幾度訪れても足を止め、しばし眺めずにはいられない景色でした。
枝ばかりとなった冬も、緑豊かな夏も、そして燃え立つような黄色に色づいた秋も、どんな季節も。
大好きな鎌倉の、大好きな光景の一つでした。

「~でした。」と過去形で書かなければならないのが、涙が出るほどさびしいです。

樹齢1000年ともいわれる大銀杏が、倒れてしまったことを報道で(2010年3月10日)知りました。
造園樹木の専門家からは「回復は不可能」というコメント。
それだけでなんかもう、胸が一杯になってしまいました。

鶴岡八幡宮の「大銀杏」折れる 強風が原因か(共同通信) - goo ニュース

鎌倉は私にとって、史跡めぐり旅の原点。
活字の上で知った歴史物語と、実際の土地とが結びついた最初の場所です。
古戦場や鎌倉五山、腹切り櫓や切り通しなど、まさに歴史の現場がそこにあることにえもいわれぬ興奮を覚えました。
特にこの大銀杏は、間近に近寄れることもあって、「あちら側に公暁が隠れていたのかな。どうやって飛び出せば行列にきり付けることになるだろう」と、頭の中でシミュレートしたことを覚えています。

過去の人たちと自分とが、一本の同じ時間軸の上に乗っていることを実感し、そこの存在する何かしらの繋がりに感動しました。
今学んでいる歴史というものは決して切り離された過去の一コマではなく、現在にまでずっと続いているもののことなのだと。そのどの部分を切り取っても歴史であり、どれか一つだけが歴史の全てではないのだと。
頼朝も歴史だけど、私も歴史の一部分なんだと。
それは、こまっしゃくれた子供だった私に何かしらの変化をもたらしてくれました。

今思えば、歴史を断片的な物語(一種の文学)ではなく、時間の流れ、人間の生き死にの連続として捉えるようになったきっかけの場所だったかもしれません。

鶴岡八幡宮に大銀杏がなければ話にならないので。多分そこにはまた新しい銀杏が植えられることになるでしょうが。公暁が触った(はずはないけど)その幹には、もう触れることが出来ません。

たった一本の木。されど一本の木。
私にとっては大きな大きな喪失となりました。


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