2007年2月16日(金)12:08
東京大学の竹原敬二副理事(53)がJR京浜東北線の車内で女性に痴漢行為をしたとして、警視庁に東京都迷惑防止条例違反の疑いで現行犯逮捕されていたことがわかった。竹原副理事は容疑を認め、逮捕翌日に釈放された。
痴漢をやるってのはどういうことだろう。痴漢を扱った小説は書いたことがある。痴漢行為とやらはやったことがないので、小説は想像で書いたものだった。
この頃はしばしばこういうのがニュースになる。なぜ、なるかと言えば、被害者(多くは女性)が冷静な対応を行い、関係筋に堂々と加害者を突き出すようになったからである。
昔の娘たちと違って、この頃の娘らはよくも悪くも陰にこもらない。ドライな娘が多くなっている。援助交際はしても、黙って触られるのはいやだというような考えも、お金優先の時節柄、身に付け出しているかもしれない。
上記の男性もお触りが出来て天にものぼる心地を味わったのかもしれないが、相手に与えたのは不快感だけであったようだ。被害者の方は冷静だった。しっかり男の手をつかみ、次の駅で駅員に突き出してしまった。
こういう時、地位やネームバリューは邪魔であろうな、と僕などはつくづく思う。地位も金もない人間なら、罰は受けてもこういう記事にはならないですむ。
男たちが痴漢行為を行ってしまうのは満員電車がいけないのだ、というような内容の小説が、昔は三流小説雑誌などに書かれていたりした。今はどうか知らぬ。たぶん、書かれてはいないだろう。文章にするにはもはや中身が見えすぎている。単純構造の男でない限り、こういうのを読んで新鮮さは覚えない。感じもしない。立つものも立たない。
しかし、AVでなら、引き継いでせっせとその種の動画を作っているかもしれぬ。映像でなら、見てくれのよい若い娘を登場させれば、それで補えるところもあるからだ。ムキムキにはならないまでも、少しくらいなら立つかもしれない。とはいいながら、内容の古めかしさ、陳腐さはつきまとう。いまだにこれをやっている制作現場があるとするなら、そこは時代感覚や才能が欠落しているからであろう。
若い娘を地位ある中年男が痴漢してニュースになるケースが増えている。いろいろの分野から出てくるところを見ると、ゴキブリ的計算でこの二十倍のワイセツ行為が眠っていると考えねばならない。
しかし、このワイセツ行為は実に不遇のように僕は思う。やる側とやられる側の間に物凄いギャップが横たわっているように感じるからである。
若い娘たちに向けてせっせとこの行為を繰り返し、発覚ないし捕まりもしないでいる中年諸氏に対して僕は言いたい。
もうよしたがいい。僕を含めてもいいが、あなたたちが青春時代に作り上げ、イメージした理想の女たちは現実のどこにもいない。時代はスキップしたのだ。あの時は君が若かったからそれは理想でありえた。しかし今はもうそれはない。地位をかなぐり捨ててまで感情移入するに現代の彼女らはあなたの心に応えてはくれない。同時に彼女らの心を知らないあなたは、横合いからいきなり飛び出してマネキン人形を抱きしめるようなことを行っているのですよ。
中年男の無軌道な性欲は何だか悲しい。そして寂しい。
この文章を書いている僕も寂しくなってきた。
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