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雨の記号(rain symbol)

ゴースト・カー

 職場あげての忘年会の日。二次会、三次会が過ぎ、Aたちは気の合った同僚数人でワイン・バーに落ち着いていた。
 酒が入って気分の乗った彼らは、ワインを飲みながら上司の悪口や趣味の話に花を咲かせた。
 やがてそんな話にも飽きた頃、一人が怖い話を始めた。
 切り出したのは怖い話が好きなB子である。彼女がしたのは人魂を見たという話だった。
 しかし彼女が話を始めて十秒も経たないうち、Aは小指で耳糞をほじくりだした。他の者も次々退屈していく絵図となった。
 彼女は短大時代、クラブの合宿でこの人魂を見たらしい。合宿先は寺だったという。だが彼女の話は前置きが長いうえ、本題に入っても、夜中に、しかも何人かで部屋から人魂とやらを眺め見たに過ぎない単調なシチュエーションなのだった。話を聞いている者の表情には苦笑がにじんだ。
 どんな話でも、とっぱじめはそんなものだろう。こういうのはつまらぬ前座があってこそ真打の話が生きてくるものだ。
 自分は最後にしようと決めてAは一人一人の話に耳を傾けた。みんなは互いの話に、ヘーッ、とか、ホーッツとか感心したような相槌やリアクションを示している。しかしその表情は緩んだままで、誰もが戦慄どころか背筋を撫でられた程度の<冷たさ>さえ感じていないのは明らかだった。
 やがてAの番になった。
「僕の話は実際に経験したことでゴースト・カーの話だよ」
「ゴースト・カーだ? そりゃあまた大層で興味をそそる話だな」
 一人の冷やかしに似た言葉にAはニヤリとした。
「みんなと同じように学生時代の話は話さ。僕が自動車同好会に身を置き、日本全国を一人クルマで走り回ったのは知ってるよね」
「何度か聞かされたね」
 一同は頷いた。
「僕が三年の時だった。夏が過ぎると就職活動で忙しくなるので、僕は東北地方へ最後のドライブ旅行に出た。高速を使わないローカル色豊かなドライブ旅行だ。その何日目だったかな、僕は陸中海岸に出ていた。そこから盛岡を抜け、秋田に向かおうと思ってクルマを走らせていた。夜に入っていた。どこかでクルマを止めて寝てもよかったが、近頃はそういうのも物騒なので夜中は走り抜いて昼間寝ることにしていた。それでもって山の街道を走ったわけだ。やがて夜は深まり、対向車はさっぱり来なくなった。前後にもクルマはいなくなった。点在する家々のわずかな明かりと道路上を照らす灯りの他はすべてが暗闇で埋まってしまっていた。こんな時の孤独感は味わった者にしか分からないと思う」
 一同は頷いている。一人が訊ねた。
「そこにゴースト・カーが出てきたってわけか?」
「いや、出てこない」
 Aは首を振った。
「周りが暗闇に支配されている時、それは出て来なかった。対向車がないといってもごくたまにはライトを照らしてやってきたさ。帰りを急ぐのか出かけるのかは知らないけど、通り過ぎる時、チラと目に止まった相手の横顔は、真剣さに満ちていて人間的だった。一人なのに笑っているとか怒っているとかだったら不気味だったけどね。僕も彼らから見れば真剣な顔でハンドル握っていたんだろう。だから僕らは行き交う瞬間互いの顔見てホッとし合っていたわけなんだ」
 一人がタバコを取り出して火をつけた。
「おっと話が逸れかかちまった。そうやって走り続けて白々夜が明け始めた頃、僕は別の街道に入った。そこは不思議な街道でさ。センターラインがセンターに引かれていない道路だったんだ」
「センターに引かれてない・・・・・・?」
「僕の走っている道路側が七割を占め、あとの三割を対抗側が埋めるって感じでセンターラインが引かれているんだよ」
「なるほど。それで三割の狭い方の道路をそいつは走って現れるってわけだな」
「そうだったんだろうね」
「だろうね?」
「前方から走って来るのを僕はまったく見ていないんだ。それは確信を持っていえる。バックミラーに映ったそいつらがただ遠くへ走り去るのをただ見ていただけなんだ。そういうクルマは何台も見たよ」
「何台も見たって、それはどういうこと?」
 みなは目を見合わせた。面々の顔は青ざめ、硬直してきた。
「お前は前を見て運転してたんだろう? だったらそいつが前から走ってくるのを見ていたはずじゃないか。それから自然とそのクルマはバックミラーの中に入ってくる・・・」
 一人が念押しするように同調を求めてきた。
「いや、僕は見てない。僕が見ていたのは白のセンターラインがただ一本の線でどこまでも続いていたことだけなのさ」
「白のセンターラインが一本の線というのも気味が悪いな。信号前などの特殊な場所を除いて、普通、それは飛び飛びに引かれているからね」
「だよな。だけど、確かに一本の線になっていた。後から考えると、僕はあの時、異次元の世界にでも迷い込んでしまっていたようにしか思えないんだ。7対3で区分されたセンターラインのずっと続く道路の記憶しかない。他の連続的な風景や時間は全然ここにつながってこないんだ。僕はどういう状態に置かれてクルマのハンドルを握っていたのだろう」
「だからゴースト・カーか」
 一人がため息をつき、ビクっと身を震わせた。彼らのAを見る目はたちまち焦点を失ってきていた。
「俺はそんなお前の運転で今まで営業回りしていたわけなのか」
 一人の声には力がなかった。
 C子も唇を震わせて言った。
「私、いくら誘われてもAさんとドライブなんてしないから」
 それを聞いて、B子はキーっとAを睨みつけたことだった
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