カラスの妹からだった。
「頼みごとがあるんだけどいい」
「何の頼みだ」
「娘のドラマをまた録画してほしいのよ。私の使ってるのが調子悪くて・・・」
「またか・・・レコーダーまだ買ってないのか。お前のがダメなら、彼女の使ってる練習用のビデオに録ったらどうだ」
それができない、と妹は答えた。
「デジタル放送のアンテナになっちゃってるからビデオからは録れないの。あの子はそう言ってる」
「アンテナじゃなしに、テレビの方からAVの出力端子が出てなかったかな・・・そこからつないで・・・そうか、旦那はそういうことはめんどくさがってやりたがらないのだったな。話はわかった。で、何を録るのだ。また韓国ドラマか」
「今度は違う。アニメの方」
「アニメ? それはまた珍しい。いつで、どこのテレビだ」
「それが・・・急で悪いんだけど、明日の朝」
「何だ・・・早く電話もらってれば予約しといたのに」
妹が弁解するには、当人も最初はその気がなかったらしい。
女の子向けのアニメーションで、ゲームではすでに相当の人気キャラらしい。
テレビ局と時間と番組名を聞き終え、カラスは携帯を切った。
対局を再開する。
トビが訊ねた。
「妹さんの娘って、声優でもやってるの?」
「うむ、やっている。最初はナレーション専門だったんだけどね。最近は外国ドラマ、特に韓国ドラマの吹き替えなどをやっているようだ。吹き替えたドラマをいくつか見たが、大したものだ。キャラをきっちりとらえて声を出しているといつも感心する。しかし、アニメとはめずらしい。アニメ向きの声じゃないと当人も言ってたし」
「向き不向きは確かにあるからな。アニメに向いてないとなると、女の子らしいキィの高い声が出せないってわけか」
「厳密に言えばそうかもしれない。しかし我々素人から見てるとそうは感じられないんだ。僕は休みの前など妹のところへ泊り込みで出かけたりするが、たまに練習に熱が入ってる彼女に遭遇することがある。それを隣の部屋で聞いてるとそこにいったい何人の女がいるかわからなくなってしまうぞ。彼女は台本を手に相手役の分まで声を出すんだが、小さな女の子から老女の声まで使い分けてしまうんだ。そらあ、すごいもんだ。それでアニメが不向きだって言ってるんだから、それ以上の声優はウジャウジャいるってことになる」
「不向きでも採用されれば実力があるってことか。明日やるアニメは何という番組なのだ」
女の子向けのアニメじゃ見る気にもならない、どうせ依頼してくるなら韓国ドラマにしてほしかったもんだ、韓国ドラマなら関心も高い、それなら楽しみながら録画してやれるってものなのに、とカラスはぐちっぽい口調で番組名をトビに教えた。
「こういう伯父を持って、その子もかわいそうなものだ。彼女は必死に自分のグラウンドを広げてるっていうのに。俺なら女の子向けのアニメだって喜んで見てやるがな」
トビはそう言って飛車をパチンと打った。
「韓国ドラマってそんなに面白いか。単純でただねばっこいとしか思えない内容のものにしか俺には映らないがな」
「いや、面白いね。ハリウッド系の映画を好むあんたには相容れないシロモノかもしれないがね。キムヨナとフィギュアスケートに情熱を注いできた分、韓国ドラマを見る機会はほとんどなくなってしまっていたのだが、バンクーバーオリンピックが終わった後、またぼちぼち見るようになってきたんだ。彼女が金を取って、肩の力が抜けたというか、気が楽になったというか、世界選手権が終わってからの空虚な思いは何とも言えないものがある。彼女が引退しそうな雰囲気にも影響をされてるんだけどね。逆におかげで、キムヨナもフィギュアスケートもこれからは少し距離を置いて見ていける気がしてるんだ」
「距離を置くって、キムヨナがそのとおり引退して、ひのき舞台から消えちまったらどうするんだ。少し距離なんて固定した言い方をしてるが、おたくのキムヨナやフィギュアスケートへの関心はどんどん遠のいていってしまうんじゃないのか」
「いや、たぶんそれはないよ。アイスショーでやってくるかもしれない彼女を見るまではね。その後は何とも言えないけど・・・それよりは競技に出続けている彼女をやっぱり見ていたい。試合に出てきた彼女と、プレッシャーやいろいろの思いや演技世界の緊張感を共有したいって感じかな。それが無理となると、僕もこれからに対して気分を一新しなければならないね」
「どういうことだ」
「彼女のように新しい姿勢でこれからの日々に臨むってことさ。彼女のように大きな変化の訪れる毎日ではないかもしれないが、自分なりにやりたいことを少しずつ切り替えていきたいって思ってる。ブログもそのひとつだが、しばらく封印気味だった韓国ドラマも少しはまとめて見始めようとも思ってる。ぺ・ヨンジュンやイ・ビョンホンは知っているが、イ・ソジンってのはどういう俳優なのかな。いつかどこかの県庁を訪れているシーンが確かニュースかなんかで流れていたりしたな。カン・ジファンってのも今すごい人気らしい。イ・スンギというのもテレビの(笑っていいとも)に出てきて、スタジオのファンにキャアキャア言われてた。彼の出てたテレビは視聴率がよかったらしいね。ソ・ジソプまでは知ってるが、しばらくご無沙汰の間に新しいスターがとんどん輩出し、韓流もだいぶ様変わりしてきているみたいだ。とはいいながら、フィギュアスケートを見放すわけではない。キムヨナの演技を引き継ぐような選手が出てくれば、その選手を応援したいと思っているが、彼女を知り、フィギュアスケートにのめりこんでいった自分だから、それはないだろうな、って感じているわけなんだ。卒業と始まりのシーズン、地味ではあるけど僕のような年寄りにだって再出発はあるってわけなのさ」
この日、カラスはトビに続けて負けた。そのひとつは二歩での負けだった。
