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耳が切れそうな風が吹いていた。暗く冷たい空と冷蔵庫の中のような寒さが続いていた。
しかし辺りには終わったコンサートの熱気があぶくのように残っている。
観客の多くは会場を出て寒さの中を駅に吸収された。列車で足早に帰路をとった。
だが、コンサートのあったその街から去りがたくしている者たちもいる。彼らは街にとどまり、惜しむようにコンサートの余韻を楽しんだ。
敦と功治もそうだった。頭や身体の奥に染み込んだステージの律動や映像を遠い思い出に浸るように楽しんだ。女の子たちのようなたくさんの言葉はない。しかし訥々としたやりとりでもお互い気持ちが通じ合った。
「スタンドからステージは遠かったなあ・・・アリーナで乗りまくってる連中が羨ましかったよ」
「ああ」敦は同調した。「テヨニと目が合ったと言っても、やっぱりオペラグラス越しじゃ寂しいもんだ」
二人は中学の同級生だった。何年か経って工事現場で再会した。スマートフォンに放り込んで視聴してる音楽の大半が互いにSNSD(少女時代)と知って意気投合した。
そしてこのツアーにやってきた。チケットは運よく手に入れた。宿は取らず、適当な時間に夜行列車で帰ることにしていた。
敦は、”テヨニ愛してる(데요니 제시카 )”、功治も、”ジェシカ(제시카 제시카 )”と書き入れたプラカードをスタンドからかざしコンサートに熱狂した。ただ、熱狂はしたが声を思い切り出せなかったもどかしさや悔しさはちょっぴり残る。
「テヨン!」
「ジェシカ!」
女たちの声に混じってそう叫んでる男たちもいた。だが、圧倒的だったのは女たちの悲鳴に似た声援だった。女たちの圧倒的な声の物的数量に二人の意気込みがひるんだのは否めない。
どんな風にステージは流れていったのだったか・・・音楽もダンスも夢のような現実をつむいで――完全な熱狂でなくても、それが濃厚で熱っぽい時間の連続であったことは確かだ。
会場を出たらモーレツに空腹を覚えた。
「めし食うか?」
「そうだな」
顔を見合わせ二人は苦笑した。
この街に着いた時、「とりあえずめしだな」そう言って食事をしたからだ。
二人は駅の近くで食事をすませ、街中に繰り出した。
どこの都市にもあるビルの見なれた景観だが、彼女たちがやってきて足を踏み入れたというだけでこの街には親しみが加わっている。
ステージの熱狂は冷たい耳たぶの芯にまだとどまっている。そのへんの街角からテヨンやソヒョンがふいに姿を現すかもしれない。そうして顔を合わせる機会のゼロではない確率が二人の心を浮き浮きさせていた。
通りのショウウインドウもふだんより明かりが強く感じられる。
「ユナは元気がなかったな」
「そうか? そうは思わなかったけどな。俺が気にかかったのはむしろサニーの方だ」
「・・・ユリやソヒョンが元気だったからそう見えたのかもな。それにしても俺たちの場所は遠かった。オペラグラス買っておいてよかったよ。下手したら悲劇だった」
前方にコンビニが見えた。車からおりたハイヒールの女がまっすぐ店に走りこんでいく。
功治の脳裏を予感めいたものがかすめた。店の前までやってきた。功治が言った。
「帰りの長い時間が退屈だ。雑誌でも買ってゆこう」
「そうだな。俺も買いたいものがある」
「爪切りだ。仕事柄、手が汚れるだろ? 爪が伸びて爪の間が汚れてるのに会場に入ってから気付いた。後悔したよ」
二人がコンビニに入ろうとしたら、さっき飛び込んでいった女が袋を提げて出てきた。薄いサングラスをかけている。
道をゆずると女は小走りに車へと消えた。
功治が雑誌売り場にいる間、敦は爪切りを探して回った。
ふだん目にする日常品はほぼ揃っている。しかし、今必要な物を探すとなるとけっこう神経を集中しなければならない。みんな少しずつ置いてある感じだからだ。
爪切りを探しあぐねながら通路を移動する。単三の乾電池も買わなければいけないのだった。乾電池を手にして立ち上がった時、後ろを通りかかった者の肩が敦の背中にぶつかった。ふいをつかれて敦は前によろめいた。
「すみません――」
女だった。イントネーションに違和感があって敦は振り返った。女は野球帽を横手にかぶり、サングラスをしていた。敦の目は自然と口もとにいった。
敦は一瞬、我を忘れた。
唇にはピンクのルージュ――この時、背筋を貫いた電撃は一生忘れないだろう。
「ティパー・・・」
口にしかけた言葉をあやうく思いとどまった。
彼女の口もとが動いた。笑みを浮かべたのがわかった。どんな笑顔なのかは想像するまでもない。
彼女は軽く挨拶を残すようにして傍らを通り過ぎた。用向きをすますとさっと店から消えた。
敦は出て行った女を確かめるべく通路の反対側から雑誌コーナーに回りこんだ。
出て行った女はスニーカー姿でシャドーのかかったバンに乗り込むところだった。
「おい」
敦は功治に声をかけた。功治はグラビア雑誌を開いて見ていた。めんどくさそうに応じた。
「何だ?」
「ティファニーがいたよ」
「どこに?」
功治は顔を上げた。
車は走り出し、街中に消えようとしていた。
「あの車」
敦は外を指差した。
「何言ってる? 夢でも見たか?」
「夢ねえ・・・」
敦は走り去った車の方角に目をこらした。
「夢だったとしたら、俺が運命的に鉢合わせした相手はテヨンであってほしかったなあ・・・」
「何をゴチャゴチャ言ってる」
功治はお目当ての雑誌を握った。
「爪切り見つけたならそろそろ出ようぜ」
「お姉さん、お目当てのルージュあった?」
ソヒョンが訊ねた。
「あったよ。あわてて買って、ほんとはこの色じゃないけどこれでもいいわ」
「行く先々のコンビニでルージュを買い求めるって変な趣味が始まったね。いつから?」
とヒョヨン。
「今からよ」
みんなは笑った。
「私はピンクよ。買ってきてくれた?」
「買わないわよ。誰が人の物を買うもんですか」
テヨンの言葉にメンバーは爆笑した。
「ティパーもおりて買えばよかったのよ。今、あなたのファンに会ってきたわよ」
「そんなことがどうしてわかるの?」
「わかるわよ。だってその人、”ティパー”って確かに口にしたもの」
帰りの列車の中で敦は夢を見た。
コンビニの中でテヨンに出会った夢だった。