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雨の記号(rain symbol)

連載小説 ラブレター(11)

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夜のデート

  
 デパートの書籍売り場で時間を潰し、下におりて駅前の喫茶室に出向くと、彼女は先に来て待っていた。
「七時半ぴったりに来るつもりが五分も過ぎてしまった。すみません」
「いいのよ。私もついさっき来たところだから」
 しかし見ると彼女は紅茶を飲み終えていた。
 運ばれたコーヒーに軽く口をつけてから僕はオーダーを握り取った。
 僕らは並んで駅前通りを歩き出した。ふだんはそうも感じないのに、若いカップルの姿がやけに目についた。夕暮れの街に溢れているのは大半が若者たちであることに気づかされた。
 年配男の腕に巻きつき、腕や脚を露出させた若い女のキンキン声を前にやり過ごしたところで、伊藤女史が僕の腕を軽く小突いた。
「じっと見ちゃったりして・・・羨ましいなんて思ってるんでしょう」
「まさか・・・いくら若いなんて言っても、ああいう露出タイプの女性は苦手です」
 僕は顔をしかめた。
「やっぱり好みは若い女性なのね」
 彼女はおかしそうに僕を見てから、
「冗談です、もちろん」
 そう言って真顔に戻った。
「で、どこにします?」
 腕を取ってこようとする彼女をやんわり拒みながら僕は言った。
「伊藤さんが言っておられたところでいいんじゃないですか」
「いいんですか、あそこで? 地中海なんて冗談のつもりだったのに」
「構いません。太平洋でも地中海でも料理や食べ物に好き嫌いはありません」
「太平洋料理ってありましたっけ」
「はずみで言ってみただけです」
「私みたいに太ったりしても責任持ちませんからね」
「そんなに美味しい店なんですか。まあ、少々は太った方が長生きするそうだから望むところではあります」
「いやだ」彼女は僕の肩を押す。腕を叩く。「私のことからかってんでしょう?」
 人目をはばからない彼女の大らかな行為に戸惑いつつ、僕は悪い気分でもなかった。
 若い頃、優美子と街や公園を歩いた時、彼女がこんな風に大らかだったのをふと思い出した。彼女といろんな場所を歩いた時間が懐かしかった。
「からかうなんてとんでもない・・・少しだけです」
 今度はシャツの腕をつねられた。
「いてっ!」
 三メートルばかり走って痛そうに振り向いた僕を彼女は呆れて睨みつけた。
「男のくせに大げさです。何だか不愉快。今夜はみんな久地原さんの奢りですからね」
 再び並んで歩きだしながら、しかし、あの時の自分なら彼女がそうしたとしても、たぶん、走りだしたりはしていないだろう、表情もほとんど変えなかったに違いない、と後悔にも似た感慨に耽りだしている自分がいる。
「そんな自分だったから、彼女は去ったのだ・・・」

 十分後、僕らはガード沿いから横路地に入って地中海料理の店に落ち着いている。
 店内は若い人たちの熱気で溢れていた。伊藤女史は店内を見回し、ため息まじりに言った。
「若い人たちに圧倒されそうだわ」
「いや、何のその・・・年寄りらしく堂々としていましょう。年齢と経験が臆する場所なんてどこにもありません」
「うふふふ。ご自分は彼らのようにお若いつもりでいるくせに」
 彼女のリードでワインや料理をオーダーする。オーダーし終えて彼女は手洗いに立った。
 ウエイターがワインを運んできた。彼女が戻らないのでワインの栓を開けるのを待たせた。彼女はしばらく戻ってこなかった。
 ウエイターを行かせ、待ちくたびれた頃、彼女は戻ってきた。
「ごめんなさいね」
 香水の匂いが発った。僕は目をしばたいた。彼女からふだんの姿が消えている。今まで見たことのない彼女が目の前に立っていた。厚い化粧をほどこし、彼女は戻ってきたのだ。
 アイシャドウの目。真っ赤な唇。眉毛や額、髪の中にも何やら細かい粒を散りばめている。
 僕はそんな彼女にしばし目を奪われた。
 
「その・・・・・・額とか髪の中できらきら光ってるのって何?」
 我に返って訊ねた。
「これ?」
 彼女は、気がついた?とばかりに目を細めた。
 僕はそれが礼儀だと思って頷いた。
「夜空のお星様。うふふ、可愛い星たちを私の宇宙にちりばめてみたのよ」
「宇宙か。なるほど、君の宇宙の子供たちってわけね」
「あら、おかしい?」
 強く見つめられて狼狽する。軽口を叩いたわけじゃない、と彼女を見つめ返すと、彼女の思いがけない美しさが目に迫ってきた。職場でこんな彼女に出会ってないのに思い至った。
 一瞬、魅惑の唇に触れたいと思った。しかしすぐ目を背けた。
 どうせまた同じだ。自分でも分かっている。昔の恋人の代替を彼女に求める結果になるだけなのだ。そうやって寝た女との別れを繰り返し、何十年かが無為に過ぎてきたのだ。
「いや、おかしくないよ」
 僕は彼女の目を見て答えた。
「嘘。気持ちの全然入ってない言い草。久地原さん、私みたいな女を冷めた目で見てるんじゃない?」
「僕が? そんなことは考えたこともない」
「ほんと? なら、いい。私は深く追求しないタイプだから。それより始めましょう。わざわざ、お腹空かして出かけてきたのだもの」
 彼女はワインオーブナーを握った。僕は笑いを噛み殺しながらウエイターを呼んだ。
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