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KARAとハラとソルリ

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KARAとハラとソルリ




故・ソルリの愛猫、親友の女優 キム・ソナのもとへ 「先にお世話をしてくれていたSUPER JUNIOR ヒチョルに感謝」



  ソルリは子役タレントとして芸能活動を始めている。
 イ・ビョンフン監督の手になる歴史ドラマ「薯童謠(ソドンヨ)(2005年→SBS)」にソルリは王女の子供時代を演じて登場している。このドラマを見て彼女を知った。屈託のない初々しい演技が強く印象に残り、芸名を調べた覚えがある。
 その後、数年が経過し、もう一度「薯童謠(ソドンヨ)を鑑賞する機会が訪れた。あらためてこのドラマに感動し、新羅国の王女を演じたイ・ボヨンとともに子供時代を演じたソルリもお気に入り女優の一人となった。


 2010年代を迎えた頃、K-POPブームが発生した。
 これより2〜3年前、チャン・グンソクとパク・シネ、CNBLUEのチョン・ヨンファ、FTISLANDのイ・ホンギらの共演になる韓国ドラマ「美男(イケメン)ですね」が、日本の地上波テレビ(フジテレビ)で放送された。
 これが高視聴率をマークして韓国ドラマの再ブームを招来した。 
 韓国ドラマは2000年代初頭、ペ・ヨンジュンとチェ・ジウ共演の「冬のソナタ」が日本で大ブームとなった。
 その後、「チャングムの誓い」や「朱蒙」などの歴史ドラマが話題となって人気は継続するものの、全体として尻すぼみの流れを呈していた。
 もう一度息を吹き返すきっかけをもたらしたのがチャン・グンソク主演の音楽ドラマ「美男(イケメン)ですね」だった。
 「美男(イケメン)ですね」はドラマとして人気となっただけでなく、このドラマに登場する主人公らのロックバンドのキャラたちが、日本のサブストリートで活動していたK-POPグループを彷彿とさせる流れに影響を及ぼしたのだ。
 CNBLUEのチョン・ヨンファもFTISLANDのイ・ホンギもここから抜け出て人気者となったし、チャン・グンソクも「美男(イケメン)ですね」をきっかけに俳優とミュージシャンの二足の草鞋をはいての活動を開始した。
 ヒロインを演じたパク・シネも一気に人気女優となり、歌が歌え、ダンスも踊れる女優として知られることになった。

 サブストリートのライブハウスや小さなホールで点の活動を行っていたK-POPグループのファンも通りに溢れるようになり、マスコミも彼らにスポットを浴びせるようになった。
 日本でのこういう変化を韓国内の活動に留まっていた音楽グループが見逃すはずもない。ボーイズグループだけでなくガールズグループも同様だった。
 ハラのいたKARAも同様だった。
「日本に進出しようと思う? どうだお前たち…?」
 人気が出ても国内での稼ぎは知れている。
 KARAの面々は相談し合い、一大決心をする。
「私たち日本へ行きます!」
「よし、行こう」
”クレオパトラの鼻。もしもそれがもっと低かったら、大地の全表面が変わっていただろう→パスカル”
 日本に向かうことによってハラの運命は変わった。ソルリの運命も変わった。大地に生きる者のすべての者の運命が変わっていた…?

 日本に進出したKARAの活躍は凄まじいものだった。少女時代でさえ日本においてはKARAの活躍に及ばないほどだった。

 ただ、韓国内でのKARAの存在感は大したものではなかった。日本での活躍が続いていた時は確かに韓国でも人気だった。日本と行き来して活動しながら活動する彼女たちは、本国でも引っ張りだこだった。日本でのエピソードについてテレビで話すハラたちや、テレビや各会場でステージをこなすKARAに対するファンの声援は誰よりも大きかった。
 しかし、2016年1月にKARAが解散した時から、メンバーらの人気は潮が引くように熱気を失っていく。メンバーの去就などで話題は続いていくが、解散前と比べると音楽で活躍するメンバーはいなくなった。
 韓国ではスンヨンが少し目立つ程度。ジヨンは活動の場が日本だからまあまあ目立っている。さっぱりなのはハラだった。ドラマに主演するとか、日本で音楽活動するとかの話は飛び出してくるが、それらは一向に具体化しない。

 しかし、プライベートでのハラはけっこう弾けていたようだ。楽しくやっていけてたのはソルリやゴブリンがそばにいたかららしい。2人が楽しそうに過ごしているのは、インスタグラムの画像で自分たちは知ることが出来た。

 KARAの日本での活躍はすさまじかった。彼女たちの活躍で稼いだ人たちはたくさんいるはずだし、KARAの面々にもたくさんの稼ぎが流れ込んだはずだ。ハラはその金でビルを買い取った。遊びにも多くの金を使っただろう。家族も喜ばせたに違いない。
 多くの金を稼いだのにハラのその後は決して幸せでなかったのがなぜか伝わってくる。
「仕事がない。仕事をしたい」
 とハラは口にしていたそうだ。
 ハラに仕事がない? 不思議だ。あれほどの活躍を見せたKARAのハラに仕事がないなんて…仕事を選び過ぎてそうなったのか? KARAの活動をしている時、それほどにわがままな性格とは感じられなかったが…
 ひとつ考えられるのは、ハラはKARAの続きの仕事がしたかった。すなわち音楽の仕事を続けたかった…?
 しかし、戻った場所に自分を迎えてくれるステージはなく、結局は日本を目指すしかなかった…?
 ハラ中心のガールズ構想もキーイースト時代には降って湧いてる雰囲気があったりもした。ハラはソロの力が弱い。キーイーストはハラをガールズでもソロでも使えず、結局、遊ばせてしまったのかもしれない。
 身近の韓国で音楽活動は出来ない(ファンダムが乏しい)。日本に進出するには資金がいる。ハラ人気は信用できるもののステージ力で採算が見込めなかった。

 最後の最後、ハラは日本の事務所と契約して活動を行った。だが、活動を続ける中、仲良しのソルリがこの世を去った。
 二人は別々に死の道を選んだ。
 しかし、墓前でソルリを弔うハラの言葉からはすでに彼女の後を追う決意が見て取れる。
 2人は”一緒に死のう”の約束をしていたような気がしてならない。
 だとすれば、ハラはKARAの思い出のコンサートをひとりでやったことになる。ハラはKARAの中でも孤独だったのかもしれない。

 




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