それまでは、離婚そのものは認められてきたんだが、三行半など男性からのみの離婚であって、女性は江戸時代までは尼寺に逃げこみそこで、一定の期間いれば、寺の権威で離婚できた(縁切り寺)制度だったらしい。
そうなると、女性蔑視でとかなるんだが、日本は家制度が中心で、個々の問題ではなく家の問題として婚姻が考えられていたので、こういう結果になるんだろうと思う。明治時代に欧米の考え方が導入されると、女性の人権が認められ、というか個人の人権も認められだろうと思うけど、個々に目が向けられるようになってきたんだと思う。
あれ? 朝から難しい話・・・・うーん、熟年離婚の準備かな・・・(笑)
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