ここ一月の間に目立つのが山火事の話題だ。
大船渡、岡山、愛媛、宮崎などなどで大きな山林火災が発生して自然の破壊だけではなく、人家も被害にあい農業などの産業にも打撃を喰らってしまた。
ほんとうに日本じゅう飛び火しているのか?と思うほど多発している。明日から日本全国雨模様なのでなんとか鎮火てほしいが…
家を焼かれた人にとっては今年が人生のターニングポイントになってしまった。なんとか命だけは助かっても、家財想い出などみんな灰に・・・
ただ命が助かったのなら、なんとかやれるよ‼ 大丈夫! 生きていれば、大丈夫!
軽々にいうなよ! と思うかもしれんが、おらも15歳の時、それも高校受験の2週間前に家が全焼…おらも火災の被害にあった一人! 急に家もなくなり、思い出の品も、幸いアルバムは残り、写真は無傷だったが…教科書もノートも参考書も、学生服も、そして高校受験の知識も意欲も一瞬でとんだわ…
2週間後もちろん、県立高校は不合格、受験していても心ここにあらずってのは、今でも覚えているよ…当初の志望校は変更せず受験したけど、ま、合格間違いないって言う判定だったからね…けど、どの問題みてもまともに解けないってのがなんとなくわかって、不安感ももったままだった。奇跡を信じていたけどね。
合格発表の時中学校に職員室に一人一人結果を聞きに行くんだけど、廊下で おめでとう! やったね!などという同級生たちの声が聞こえる中で、担任の困ったような顔、隣の先生と顔を見合わせてからオラに、ア(カン) という言葉を聞いて頭が白くなって、気づいたら家の布団の中で泣いていたわ…ものすごいショックだったよ。もう何もかもが嫌になったよ…死にたい!なんても思ったよ。家の外では、同級生たちがおめでとう!よかったね!などと大声で…もう無神経な奴ら目! たたき殺してやる!などども思ったよ…その夜担任がやってきて、私立高校の二次募集に応募するからともかく受験しなというが、そんな気にもなれず、ただぼーっと…
田舎の県では、県立高校至上主義で今でも県内で就職する時の学歴は、出身大学よりもどの高校を卒業したかが優先なんだよ、それほど高校受験が人生のターニングポイントになるわけだ…さらに、当時の私立高校は、県立に行けない阿保・馬鹿・ヤンキーか県立受験を失敗した落伍者が行く高校だっていう評価(今は違うぞ!)だったから県立の進学校へいって国立大学にはいって将来は貿易関係で云々などと考えていたいたオラには、これで人生終った…おらは落伍者、人生の底辺で生きていかなきゃならない…もはやどうでもいい、飯も食えない人生だ!早く死にたい! などと思っていたわけ。
けどね、今思うと人生のターニングポイントっていうのは、悪い意味でもいい意味でもあるわけで、某私立高校の二次試験にパスして当時進学に力を入れ始めていたその私立高校の特進クラスに入ったんだが…ま、暗い青春だったその高校生活は別の機会に話すが、ともかく県立高校に入った奴等には絶対に負けたくない!という一念でいわばゼロかスタートしたがなんとか3年後に某国立大学法文学部(あ)法学科に入学できたんだよね。
知識を蓄積せず、容量と摺賢さとコミュ力を学んだ学生生活を過ごし、生涯の友もでき、社会人として38年ほど勤め定年退職して年金受給者になって、今こうして普通の人生を歩んでますよ。
火事で命以外はほぼ全てをなくしたけども、人生なんとかなったんだよね…命さえあれば、なんとかね…晩婚だったけどいっちょ前に結婚もできて3人の子供に恵まれてまともに成人を超えて2人は社会に出して…ま、親の役目も一区切り…あとは末っ子を来年社会に出したら、それから先は本当の余生…
俺よりももっと悲惨な目にあった方々、東北大震災や阪神淡路大震災などなどで大勢いるけど、命さえあれば、なんとか生きていけるし、きっと良い方向へのターニングポイントもある…
命さえあれば、なんとかなる。頑張れとは言わない…ただ、希望を捨てずに明日も捨てずにいただいた「命」を大切にしてほしい…
災害特に火事の話題が多い今朝、なんとなく思ったことでした。