前の記事内容なんだが、気になるというか、歴史の必然なのか・・・。
江戸時代からこの街は宿場町として藩も重要視していて、本陣があったりしているんだが、町の中にはいろんな商売が成り立ってそれがずーっつ続いていて、昭和50年代までこの街ですべてが完結していた、そう生活が成り立っていたと書いたんだが、その影響を考察してみた。
ま、一言でいうとちょっと閉鎖的だな・・・。
この街にはその昔宿場町としていろんな人がとーったんだが、それで開放的かというとそうじゃなく、旅人なんてそりゃ一過性だから・・・、
それよっか、ここに住んでいる人が、近所で買い物して、飯食って寝て・・・仕事もそれなりにあって、一部は出稼ぎに行ってたんだろうけど、江戸時代に隣町まで毎日仕事には行かないんで、やっぱり、四六時中この街にいるわけだわ・・・。
そうすりゃ、この街のものは信じられるがやっぱり他所者は最初に探りを入れるわな・・ま、冷たく当たるわな・・・。
旅人なんぞ、朝を迎えりゃいなくなるんで、いいんだが、よそ者がここ生活するにはちょっと最初は難しいかったんだろうと思う。
ところが、とっつきにくくても、田舎人の優しさというか、仲間と認識されるとそれはそれは面倒見がよくなる。とってもフレンドリーに・・・街に溶け込んでいく。
そんなこんなでこの街は歴史を重ねてきた。
これからも、そうなっていくんだろうけど、そういう人が少ないんだよね・・・誰も来ないんだよwwww
住民は暖かいです。優しいです。
こんな町で住んでみませんか?
って、ここどこよ?
・・・・・・・・・すいません、教えられないですけど・・・探ってみて下さいwwww.