八丈島の方言で遊ぼう 

方言だけだよ わかりんのうこともおじゃるのうが!?あんでもかってみればよけどうじゃ

わや まんくにげーあろどうが

2024-06-03 22:12:37 | つぶやき
むかしのいいかただあば、旅館てよどうかのう、ほてるーて、よとこに、泊まってあろわ!
しまげーあれば、焼酎よのんだあろが、きねい、やえつばきの社長がおじゃって、島酒のはなしょ、しっかりしたら!
そいでもふるーけことおわ,ちーとどうが、しょけじゃ!たんそうしょうえもん!焼酎のはなし!
社長のおやじさん、じいちゃんから、 きいたあろわ!



けいわ休業日だらよ!

2024-05-20 20:30:59 | つぶやき
毎日休業だらよ!
としょりどうて、あんでもよけどうじゃ!
さっきもわがおもいよ、ようとしたんねいや、どこうか、へんどうとうとこお、おしたんのうわ?
わがえの「さぼう」めがよにわ、はや、あのよげい、いけばよけどうじゃーて、ひっびいわれてあろどうじゃ!
われも、はや八十のとしょりどうて、あんでも、よけが!
そいでもよう!「かうぇいらしけ」、めならべーわ、好きだらよう!
これーよんだあろ、おのこごも、ぜったいそごんだらのう!
おのこごの、あんてよどう?気持ち、おんなごに、もったあろきもちだら。
おのこごは、おんなごが好きどじゃのう

こげーてしんで

2024-05-15 21:41:17 | つぶやき
くにわ、27度 28度
ホイデモしまわ、20度だららよ!
こげーて、こげーてしんで、ひっかじもじゃ!
ひょうらがなっけんて、そばのみせげい、買いにいかららよ!
あんまりうんまそうどう物がなかろうが!
かめそうどうものう、買ってもどらら!
あすわ、あだんなるだかのう?
あめのしっかりふろどうて、あだんにも、なりんなか!
びしょぺーだらよ。ゆわくなろめが、やどうてのう!
あんでも、かめろめーかもどうじゃ!
くのひとらわ、あにょかんだあるかのう?


江戸時代の終わりの頃

2024-05-13 20:44:58 | つぶやき
昨年11月、小笠原訪問ツアーに参加しました。
私が母親のお腹にいたのは父島です。
強制疎開で東京から栃木県の馬頭町へ疎開しました。
敗戦後すぐに八丈島へ渡りました。
小笠原に一番近い所へ渡ったのだそうです。
小笠原の開拓には八丈島の若い人たちが行ったそうです。
私の祖母は明治元年生まれです。
祖父と一緒に小笠原開拓団に入っていたそうです。
八丈島出身です。
続きはまた後で!
八丈弁の話は続きます。


菊池作次郎さん

2023-12-25 20:27:34 | つぶやき
江戸時代に作次郎さんは小笠原を調査に行った。
作次郎さんの話を聞くのを忘れました。

今年(小笠原訪問並びに交流ツアー)です。
2023年10月31日(火)午前11時に竹芝桟橋から船に乗った。小笠原丸です。
11月1日午前11時父島着 とても静かな船旅でした。
船に弱い私でも船酔いしなかったのです。
上陸したとき何とも言えない。何も言えない!ただボートとしていた。
私の先祖が小笠原開拓に行ったときは、、、、、、。
私の母が父島に上陸したとき何を思ったのでしょう!
父島に私の従兄の子供が(女性)いました。
生まれて初めて会えることができました。感激しました。
私の父は小笠原、沖縄の 返還運動を先頭に立って活動していました。
私も中学2年の時 昭和34年(1954)です。
今の銀座(数寄屋橋の交差点だと思います)で話をしたのを覚えています。
その頃私に家には小笠原の引揚者の方が毎日のように訪れてきていましたよ。
「良いところだところだ」「早く帰りたい」何とか海岸、なんとか浦、何とか山
ナサニエル セーボレー 等々
等々、たくさんの言葉が耳に残っています。



私の HP です