7年前にJerezに3ヶ月滞在した。
それこそフラメンコってどんなものだろう、という思いで。
Jerezの踊りの感覚はぼやっと分かった。
だけど、私にはピンとくるものではなかった。
その後帰国してあるDVDを見た。
「凄い、この踊り手!」と号泣した。
それからは彼女の踊りを絶対生で見たい!と思い、1年後Sevillaに行った。
すぐに彼女の踊りを生で見る機会に恵まれ、想像以上のものだった。
「凄い!これが私がやりたいものだ」と実感した。
だけど、私は彼女ほど若くないし、あんな激しいZapateadoはできないと思い、決して彼女に習うことは無かった。
その後も彼女が出る公演には行けるだけ足を運んだ。
周りの評価はどうあれ、いつも私は感動した。
「彼女のような踊りは私にはできない。目指すものは彼女の踊りだけど、無理だから観賞することで我慢しよう」と決めた。
だけど4年半滞在した後帰国して、後悔の日々だった。
「できなくても習うべきだった」と。
その頃には、ある地方のフラメンコに集中してた。
今回またSevillaに来て、思い切って彼女のクルシージョを受けに行った。
彼女には6年前に色々話しをしてサインしてもらってたので、顔は覚えてた。
いざレッスンを受けて・・・。
毎日が夢のようだった。
「これがやりたかったんだ!」
彼女のZapateado,Soniquete,Marcaje,Cierre,Remate、どれを取っても違和感無い。
決してできないし、こなせないけれどもぴったりくるものだった。
彼女はレッスン中真剣に踊る。
それを間近で見ることができ、感激の日々。
彼女に憧れ、渡西し、少しでも彼女の踊りに近づきたいため、色んな先生に学んできた。
今回彼女に習って、それは少しの無駄も無かったと実感した。
長く、とっても長く時間は掛かったけれど、この時間が無ければ、彼女のクラスを受けても何も取れなかったと思う。
今まで色んな先生から色んな指導を受け、その先生の最も優れている点に触れてきたからこそ、クラスを最後まで取れたと思う。
それは見事に全部の点に置いて実感した。
「ここはあの先生の柔軟性を使って。これはあの先生の耳の良さを駆使して。この爆発はあの先生のRemateで」と。
今回のこのクルシージョはもう終わった。
まだまだ未熟な私は数多くの先生に習うべきだと思う。
だけど、「もうその必要は無い。彼女が私が欲してたもの全てを持ってる」と実感した。
もう迷わない。
自分がずっと求めてたFlamencoは、以前と同じもの。
何一つ変わってはいない。
勇気が無く、いつも逃げてた。だけどもう逃げない。
ずっと欲しかったFlamencoはそこにあるのだから。
それこそフラメンコってどんなものだろう、という思いで。
Jerezの踊りの感覚はぼやっと分かった。
だけど、私にはピンとくるものではなかった。
その後帰国してあるDVDを見た。
「凄い、この踊り手!」と号泣した。
それからは彼女の踊りを絶対生で見たい!と思い、1年後Sevillaに行った。
すぐに彼女の踊りを生で見る機会に恵まれ、想像以上のものだった。
「凄い!これが私がやりたいものだ」と実感した。
だけど、私は彼女ほど若くないし、あんな激しいZapateadoはできないと思い、決して彼女に習うことは無かった。
その後も彼女が出る公演には行けるだけ足を運んだ。
周りの評価はどうあれ、いつも私は感動した。
「彼女のような踊りは私にはできない。目指すものは彼女の踊りだけど、無理だから観賞することで我慢しよう」と決めた。
だけど4年半滞在した後帰国して、後悔の日々だった。
「できなくても習うべきだった」と。
その頃には、ある地方のフラメンコに集中してた。
今回またSevillaに来て、思い切って彼女のクルシージョを受けに行った。
彼女には6年前に色々話しをしてサインしてもらってたので、顔は覚えてた。
いざレッスンを受けて・・・。
毎日が夢のようだった。
「これがやりたかったんだ!」
彼女のZapateado,Soniquete,Marcaje,Cierre,Remate、どれを取っても違和感無い。
決してできないし、こなせないけれどもぴったりくるものだった。
彼女はレッスン中真剣に踊る。
それを間近で見ることができ、感激の日々。
彼女に憧れ、渡西し、少しでも彼女の踊りに近づきたいため、色んな先生に学んできた。
今回彼女に習って、それは少しの無駄も無かったと実感した。
長く、とっても長く時間は掛かったけれど、この時間が無ければ、彼女のクラスを受けても何も取れなかったと思う。
今まで色んな先生から色んな指導を受け、その先生の最も優れている点に触れてきたからこそ、クラスを最後まで取れたと思う。
それは見事に全部の点に置いて実感した。
「ここはあの先生の柔軟性を使って。これはあの先生の耳の良さを駆使して。この爆発はあの先生のRemateで」と。
今回のこのクルシージョはもう終わった。
まだまだ未熟な私は数多くの先生に習うべきだと思う。
だけど、「もうその必要は無い。彼女が私が欲してたもの全てを持ってる」と実感した。
もう迷わない。
自分がずっと求めてたFlamencoは、以前と同じもの。
何一つ変わってはいない。
勇気が無く、いつも逃げてた。だけどもう逃げない。
ずっと欲しかったFlamencoはそこにあるのだから。