Flamencoの迷子

Sevilla滞在中に感じたこと・学んだことを綴ります

原点

2011-08-21 00:04:03 | 日記
7年前にJerezに3ヶ月滞在した。
それこそフラメンコってどんなものだろう、という思いで。
Jerezの踊りの感覚はぼやっと分かった。
だけど、私にはピンとくるものではなかった。

その後帰国してあるDVDを見た。
「凄い、この踊り手!」と号泣した。
それからは彼女の踊りを絶対生で見たい!と思い、1年後Sevillaに行った。
すぐに彼女の踊りを生で見る機会に恵まれ、想像以上のものだった。
「凄い!これが私がやりたいものだ」と実感した。
だけど、私は彼女ほど若くないし、あんな激しいZapateadoはできないと思い、決して彼女に習うことは無かった。
その後も彼女が出る公演には行けるだけ足を運んだ。
周りの評価はどうあれ、いつも私は感動した。
「彼女のような踊りは私にはできない。目指すものは彼女の踊りだけど、無理だから観賞することで我慢しよう」と決めた。

だけど4年半滞在した後帰国して、後悔の日々だった。
「できなくても習うべきだった」と。
その頃には、ある地方のフラメンコに集中してた。

今回またSevillaに来て、思い切って彼女のクルシージョを受けに行った。
彼女には6年前に色々話しをしてサインしてもらってたので、顔は覚えてた。
いざレッスンを受けて・・・。
毎日が夢のようだった。
「これがやりたかったんだ!」
彼女のZapateado,Soniquete,Marcaje,Cierre,Remate、どれを取っても違和感無い。
決してできないし、こなせないけれどもぴったりくるものだった。
彼女はレッスン中真剣に踊る。
それを間近で見ることができ、感激の日々。

彼女に憧れ、渡西し、少しでも彼女の踊りに近づきたいため、色んな先生に学んできた。
今回彼女に習って、それは少しの無駄も無かったと実感した。
長く、とっても長く時間は掛かったけれど、この時間が無ければ、彼女のクラスを受けても何も取れなかったと思う。
今まで色んな先生から色んな指導を受け、その先生の最も優れている点に触れてきたからこそ、クラスを最後まで取れたと思う。
それは見事に全部の点に置いて実感した。
「ここはあの先生の柔軟性を使って。これはあの先生の耳の良さを駆使して。この爆発はあの先生のRemateで」と。

今回のこのクルシージョはもう終わった。
まだまだ未熟な私は数多くの先生に習うべきだと思う。
だけど、「もうその必要は無い。彼女が私が欲してたもの全てを持ってる」と実感した。
もう迷わない。
自分がずっと求めてたFlamencoは、以前と同じもの。
何一つ変わってはいない。
勇気が無く、いつも逃げてた。だけどもう逃げない。
ずっと欲しかったFlamencoはそこにあるのだから。

突き動かすもの

2011-08-08 01:10:01 | 日記
「人を突き動かすもの」を探して、探して、でも分からない。
好きだったCantaorは、今回来て聞いてびっくりした。
歌が荒んでた。
でも最近、少しずつ以前のように戻ってきている。
「彼の感性を突き動かすもの」の正体をずっと探してたわけだけど。

最近、ある公演を見た。
そこで踊り手がギタリストを突き動かす瞬間に遭遇した。
彼はそれまでギターを弾いてたけれど、あるCantaorが「Ay-」と言い出したにも関わらず、ギターを片手に歌いだした。
「これだ!」
物凄い瞬間に遭遇できた。
踊り手がギタリストを突き動かす瞬間。

乗り気じゃないクアドロだと、各Artistaがバラバラなのでよく分かる。
踊り手は完全に自分だけの世界。
歌い手は「お仕事」として覇気無く歌ってる。
ギタリストはただ黙々と弾いている。
Palmeroは気のないJaleoをかけ、精彩に欠くPalmaを叩く。

今までたくさんのクアドロを見てきたけれど、Artistaが一丸となったクアドロは本当に少ない。
今回は本当に良い公演を見ることができた。
と同時に自分の方向性がやっと見えてきた。

時々うんざり・・・

2011-08-08 00:41:31 | 日記
前からよく感じてること。
その場面に遭遇するとうんざりする。
振り付けのクラスに途中から入ってきて、「振りを教えて」と言われること。

その人が一生懸命ならば、努力家ならば問題は無い。
あるスペイン人の子は、どこのクラスにも出没する嵐屋。
すぐパソが取れない、振りも覚えられない、録音もしない。
そして練習しない。見れば分かる。
先生が彼女に構わないと、ふてくされ、クラスの雰囲気をぶち壊す。
彼女とはいくつかのクラスで一緒になったけど、毎回同じことの繰り返し。
彼女の問題なので、どうでもいいけど、絶対私に「振り、教えて」と半ば切れ気味に言ってくる。
「何でいつも私なのか」とうんざりする。
いくら彼女に教えても覚えてこないから、教える意味がない。
もう最近はささっとスルーするようにした。
終いには、「15ユーロ払うから教えて」と言ってきた。
お金の問題じゃない。
彼女に費やす時間と体力の無駄。

日本人も含めた外国人もそう。
クラスに入って2,3日振りに追いつくよう努めて、それでも分からないところを聞いてくるのは全く問題ない。
だけど、初日のレッスン後に「今までやった振り付け、全部教えて」と言われると、うんざりする。
以前は馬鹿のように言われるまま教えてた。
だけど。
ある子は、私が何時間も教えたにも関わらず、結局覚えてなくて、先生に「この部分は私、習ってないから踊らない」と言いやがった。
これがきっかけで、見知らぬ人に教えるのは止めた。
まあ、その子はお茶の一杯も奢ることなく、礼を言うこともなく、さっさと帰国していったけど。

学び方というものがあると思う。
短期で来ると、どうしても焦りがあると思う。
振りは進んでる、でも何かを「持って帰りたい」と。
でもいくら短期で来てても、どかんと構えてる人はクラスの中で少しずつ押さえていく。
分からないところを後で聞いてくる。
人それぞれの考えがあってのことだけど、あまりにも「振り、教えて」とビデオカメラ持って言われるとうんざりする・・・。