Flamencoの迷子

Sevilla滞在中に感じたこと・学んだことを綴ります

時代

2016-06-19 00:06:54 | 日記
時代の変遷をよく感じる。

この間居た土地で、chinaと言われたのは片手で足りる。
記憶に無いくらい。
あそこは観光客が多いし、今は中国人、韓国人が沢山旅行に来て大金を落として行く。
1人1人にchinaと言ってたらキリが無いし、地元民は東洋人に慣れていた。
ここに戻る前、また毎日毎日言われるんだろうと覚悟していた。
今の所、無い。
あり得ない。
10年前は、毎日四六時中言われた。
ストレスで引きこもりになり、外を歩く時は顔を上げて歩けなかった。
東洋人と分からないよう、金髪に染めた時もあった。
クラスでは、あからさまに先生から差別される事もあった。
今はもう無い。

あるだろうけど、圧倒的に減った。
ただ、差別は確実にある。
言ってこないだけで、差別丸出しの目で見られる事はある。
こっちも慣れてきたから、見返す。
相手が視線を外す迄、逸らさない。
昔なら、その視線に打ちのめされていた。

彼等は全身舐め回すように見て、価値観を図る。
靴を特に重視する。
だから、今は靴に気をつける。
全身舐め回すように人をチェックするから、私もやり返す。
これはばばあに多い。
スペイン人同士でも、人の価値を図るように全身ジロジロ見るのは普通。
女同士が多い。

インターネットの普及のおかげとしか思えないが、スペイン人の日本人への理解が急速に増している。
先日、日本で男の子が山に、、と言う件があったが、当初、スペイン人は両親を批判していた。
躾が全く両国間では異なる。
で、男の子が発見され、お父さんが会見に応じた際、世間の皆様にはご心配、ご迷惑をお掛けしました、と謝罪された。
日本人には至極普通。
でもスペインではあり得ない。
何で父親は世間に謝るのか?何で誰かのせいにしようとしないの?と。
で、その疑問にスペイン人が詳しく解説していた。
的を得た解説であり、複数人答えられた。

昔なら日本人は意味不明、で片付けられた。
今は彼等を見習うべきだとまで考えている。

フラメンコにおいて言えば、コピーばかりして振り付けばかり盗もうとする、とよく耳にした。
今は、フラメンコを愛する国と受け入れられつつある。

ただ絶対変わらないものは、インターネットで幾ら手軽にフラメンコが見られるようになったとはいえ、生で見る事には叶わない。

F

2016-06-18 14:20:26 | 日記
先日、Fの公演を見に行った。
今迄何度か見たし、2カ月前にも見た。
凄いartistaであり、完璧。
でも、感動して涙するという事は今迄無かった。
なので是が非でも見たい、と今迄思う事は無かった。

最近、その踊り手のビデオを見てて、ある歌い手に魅了された。
確か何度か今迄にも聞いている。
でも、その踊り手に対しては歌い方がまるで違う。
聞きたいな、と思ってたら、近郊の村でFの公演に彼が出ると聞き行った。

都市部で見ると、劇場で値段が高いし、良い席は取れない。
でもそこは安い値段設定されており、1列目が取れた。
客席と舞台がとても近く、間近で見れたので、細部までよく見れた。

凄い、素晴らしいとしか言いようが無い。
流れる動きで、よどみが無い。
全てが自然であり、どのマルカへもブエルタも、とにかく全てが完璧。
見てて溜息しか出ない。
決して受けを狙った動きなんかない。
表情、視線、目力、全てが自然に湧き出てくるもの。
筋肉のしなやかさに、豹みたいだな、と感じる。
呼吸。
長い、激しいzapateadoをしても、息が決して乱れない。
とにかく全てが自然。
心拍をコントロールするのに、相当鍛えているんだろうな、とただただ頭が下がるばかり。
踊りが歌とギターと一体化している。
F自身がもうフラメンコ。
Fは常に舞台全体の空気を動かしている。
それぞれのパロに合わせて、がらっと空気が変わる。

あるzapateadoで、え?と感じた。
話しかけてきたから。
ポーッと目を奪われてたから、そのzapateadoにギクリとした。
こんな感覚は初めて。びーっくりした。


ああ、これがpuroと呼ばれるものなんだ、とようやく分かった気がする。
歌を感じ、感じたままに踊る。
だから当然jajeoを歌い手に掛ける。
何度もその瞬間があり、とても心地よい瞬間だった。
超一流のartistaだと心から尊敬する。

もし一つの公演どころか、一つのヌメロでイマイチだったという評価がなされようものなら、徹底的な打撃となるだろう。
他のartistaではよくそういう評価の声を聞く。
でも彼に関しては殆ど聞かない。
という事は、私なんかが計り知れない努力をしているのだろう。
フラメンコ界の第一人者であり、トップを走り続けること、その上Familiaの名声を保ち続ける事が求められている。その重圧を微塵も見せず、更に進化する。

心から敬意を表する。

自分は今迄何やってきたんだ!と見ていて痛感した。
肝心の歌い手はやはり良かった。

この公演は一生忘れられないだろう。

2016-06-11 21:56:39 | 日記
以前、この土地で根も葉もない噂を立てられ、複数の人間と縁を切った。

私は言い訳はしない。
私の人間性を知っていれば、そんな噂を信用しないはず。
だから、噂を信用するという事は、私はそれだけの生き方しかしてきてなかったという事だし、信頼に値する人間ではないという事。
私は彼らに誠心誠意尽くしてきたけど、私を信頼しないならばそれまでだと縁を切った。

ある期間を置いて、状況が変わり、私の潔白が保証されつつあった。
彼らとの断絶していた縁も回復しつつあった。

またここに来て、有りもしない噂が立っている。
その情報発信源が私だと。
はあ???

その噂は全く嘘で、状況を私は知っている。
よりによって何で私が情報発信源なの~?
つい2カ月前まで、違う土地に居たんですが?

この土地の誰かがいつも私を落とし入れるようにしているとしか考えられない。
その新たな噂は、以前断絶した彼らにも関係することだから、こんな噂が立ってて私が情報源らしいよ、と伝えた。

ほんの少し前にあるスキャンダルらしきものが、全く関係無い私に降りかかりつつあった。
でも私はそれに関し部外者であり、知り合いの個人的な事を無闇に口外すべきでないから、誰にも言わない。
彼らにだけ相談していた。
その知り合いとは、私と彼らの共通の友人だから。

なので、彼らに、もし私が噂を掻き立てる人間ならば、そのスキャンダルはとっくに出回ってるはず。
もうここからは何も言わない。
私を信頼しようがしまいが、噂の発信源を私だと思っても構わない。
そう伝えた。
彼らは、今回私を信じた。
時を経て、以前の噂がデタラメだと判明したし、何よりスキャンダルが出回っていない。

事なきを得た、と思いたいけど、油断ならない。
日本人同士が足の引っ張り合いをする土地だから。


Politico

2016-06-06 22:51:32 | 日記
Hoy he visto una programación de la televisión.

Un líder de un partido ha salido y contestaba todas las preguntas por los niños.
Los niños tienen entre 6 y 12 años.
Me ha sorprendido mucho porque ellos saben bastante del político.
Saben el nombre de los lideres de cada partido y la diferencia de ellos.
Ya ellos tienen su opinión claramente y pueden opinar en el político.

Cuando no está acuerdo de los prospuestas del líder,pueden aclarar su idea y opositarlos.
También ese líder les explicaba muy bien a ellos a qué pretende en su futuro y la razón que no llegan a acuerdo de todos los partidos.

En Japón los lideres de los partidos casi nunca nos explica cómo España,en especial a los niños.
Me parece estupendo que hay este tipo de programación de la televisión.
Entender el político es importante desde es pequeño.