原爆投下から65年目となった今年、
初めて広島へ行ってきました。
長崎へは10年程前に、旅行で訪れた際に
原爆資料館へ立ち寄ったのですが、
広島に行く、という気持ちは今年に
入るまで湧いていませんでした。
きっかけとなったのは、憧れの男である
チェ・ゲバラ氏が1959年に来日した際、
広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花し、
原爆資料館と原爆病院を訪れたのを知ったからです。
ゲバラ氏は、
「これからは広島を広島の人を愛していこう」
という言葉を残しています。
そしてゲバラ氏と同行したかつての部下の方が
「私は今でも世界の人々に訴えたい、広島に行きなさい、と」
と語っていたのを受け、
日本人である自分が、
行ってこれない距離であるにも関わらず
広島へ一度も訪れたことが無い、
という事がとても歯痒くなり、
帰省を利用して、広島行きを決めました。
とても単純なきっかけと理由でお恥ずかしい限りですが、
こうして広島へ足を向けることが出来た事は、
日本人として意義があったと思っています。
行ってみて驚いたのは、外国の方々がとても
多かった事です。そして皆、資料館でも
パネル一枚一枚にしっかりと目を向けていることです。
広島・長崎は日本人の平和の象徴ではなく、
世界の平和を願う全ての人々にとっての
象徴であることを認識しました。
原爆だけが戦争の全てではありませんが、
広島・長崎を通して、もう二度とあってはいけない事だ、
という事は容易に理解できると思います。
この歳になって、素晴らしい経験を得られました。

初めて広島へ行ってきました。
長崎へは10年程前に、旅行で訪れた際に
原爆資料館へ立ち寄ったのですが、
広島に行く、という気持ちは今年に
入るまで湧いていませんでした。
きっかけとなったのは、憧れの男である
チェ・ゲバラ氏が1959年に来日した際、
広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花し、
原爆資料館と原爆病院を訪れたのを知ったからです。
ゲバラ氏は、
「これからは広島を広島の人を愛していこう」
という言葉を残しています。
そしてゲバラ氏と同行したかつての部下の方が
「私は今でも世界の人々に訴えたい、広島に行きなさい、と」
と語っていたのを受け、
日本人である自分が、
行ってこれない距離であるにも関わらず
広島へ一度も訪れたことが無い、
という事がとても歯痒くなり、
帰省を利用して、広島行きを決めました。
とても単純なきっかけと理由でお恥ずかしい限りですが、
こうして広島へ足を向けることが出来た事は、
日本人として意義があったと思っています。
行ってみて驚いたのは、外国の方々がとても
多かった事です。そして皆、資料館でも
パネル一枚一枚にしっかりと目を向けていることです。
広島・長崎は日本人の平和の象徴ではなく、
世界の平和を願う全ての人々にとっての
象徴であることを認識しました。
原爆だけが戦争の全てではありませんが、
広島・長崎を通して、もう二度とあってはいけない事だ、
という事は容易に理解できると思います。
この歳になって、素晴らしい経験を得られました。
