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問はず独り語り

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自己啓発本はもういらない

2006-11-14 | 『スピリチュアル』について考える
巷にあふれる自己啓発本。こういうのは読んでもあまり意味が無い、と最近は思う。

人の抱えている悩みの原因は多種多様であり、決まりきったパターンで何とかなるものではない。こういった本は、どれもこれも、心の持ち様や考え方を変えればうまくいくといった話ばかりで、読んだ時にはああそうかと思わせられても、実際には上手く行かないことがほとんどだ。


悩みを「適応」という面から考えれば、周囲の状況に適応不良を起こしているから悩むのだという見方が出来る。

それに対する解決法は、逃げるか、周囲に適応するか、ふたつにひとつである。よく、逃げたらダメだと言う人がいるが、それは時と場合による。逃げるべきときは速やかに逃げないと、後で大変なことになることもある。

では、周囲に適応するためにはどうすればいいのか。それは、自分が周囲にあわせて変わることである。心の問題とは異なるが、生物も環境の変化に合わせて自らを変え、上手く適応した種だけが生き残ってきた。あるいは、自分に合わない環境から脱出し、移動した種が生き残ってきた。

もちろん、脱出すれば全て上手く行く訳ではない。脱出した先でも同じ問題が待ち受けている可能性があるからだ。要は、その問題が局所的なものか、普遍的なものかと言うことである。普遍的な問題であれば、何処へ逃げても解決しない。そういう場合は、自分が変わるしかない。あるいは、自分の力で周りを変えるしか無い。

周りを変えることは莫大なエネルギーを要する。普通これは成功しないと思っていい。これは、多くの人の協力が無ければ上手く行かない。自分一人の考えだけで周囲の状況を変えるなど、とうてい出来ないのだ。「革命」は多くの犠牲と、血のにじむような努力が無ければ成就しない。

そこで、その、自分を変えるということに関して、アイデアを提供しようというのが自己啓発本という訳だが、そこに書かれていることの本質は、「自分を変えましょう」ということだけである。後はほとんど役に立たない。

というのも、そういう本は、著者の経験談でしかないからだ。そこにかかれているノウハウのようなものは、その本の著者には有効であっても、全ての読者に効果がある訳ではない。だから、ただの読み物にしかならない。ポジティブ思考なんてことがよくいわれるが、そんなことで問題が解決するのは極少数の人だけなのだ。

そして、大事なことは、そういう本を書いている人たちは、かつて自分も悩み苦しんだ人たちであって、自らを変えることがなかなか出来なかった人物であるという点だ。そして、結果的に自分を変え、周りに適応し、人生を謳歌することが出来るようになれば、もうそういうことに用はないはずなのに、なぜそんな本を書く必要があるのかと言うことだ。つまり、色々と悩みはしたけれど、やっぱり実社会に戻って苦しむのは嫌だから、自分が得たノウハウを公開してそれで生活していこうという考えを持った人たちがそういう本を書いている可能性が高いのだ。

仕事を全うして、老後の余暇に時間を持て余して仕方がないので、ちょっと自分の人生でも振り返ってみようかと言う本なら別かも知れないが、自己啓発本の著者たちは、たいてい、それで収入を得ている人たちではないかと思われ、そういう人たちは実社会に適応して頑張り抜けなかった人たちだと言える。そして、彼らが相手にしているのは、それなりに悩み苦しみながらも世の中に適応して普通に生活している人たちではなく、上手く適応できずに悩んでいる人たちである。

つまり、どちらも同じ穴の狢なのだ

だから、同類相哀れむということはあっても、そういう人の書いている本を読んでいれば、そこから脱出することがかえって難しくなる可能性が高い。どういう人がその本を書いているのか、それをまずチェックすることなくその種の本に手を出してはならない。専門医の学術的な著作は別にして、悩む人たちをターゲットにしたその場限りの本はむしろ有害かも知れない。

もちろん、そうでない人も多いとは思う。実社会でもなんなく適応していける人が突然仕事を辞めて物書きになったりすることもあるようだし、一概には言えないが、それを見分けるのもまた難しい。


普遍的な問題に適応できない場合は、自分が変わらなければ問題はいつまでも解決しない。その場合は、逃げても無駄である。どうやって自分を変えていくか、とことんまで考える必要がある。

そこで、宗教の道に入る人もいるだろう。それはそれでかまわないと思う。ただ、そこに逃げ込むつもりで入るのならば、やめたほうがいいということだ。確実に食い物にされるのは間違いないだろうから。

今流行の前世療法というのも、これはある意味で裏技である。前世でこういうことがあったから今こういうことになっているという見方で認識を改めさせ、脳内の「認知、解釈、実行」プログラムを一気に書き変えてしまうのがこのやり方の特徴なのだが、これには、前世と言うものが存在すること、霊というものの実在を信じさせるための様々なテクニックが必要である。だから、これは一種の宗教だと言ってもいい。だが、それを信じて問題が解決するなら、それはそれでかまわないということだ。それが宗教というものなのだ。

普通は、自分というものとじっくり向き合って、自分の意思の力で変えるべきところを見つけ、それを変える方法を考え、実践して行く。人生はそういうことの積み重ねである。誰でも、心にある程度の負荷がかかっていて、それに耐えながらゆっくり進んでいるのだ。

それが限界を超えた時、様々な病状を呈することがあるだろうが、それを乗り越えた時に得られるものも大きいはずだ。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番もそうやって生まれた。この曲の第2楽章ラストの部分は最高にすばらしい。とても静かな変化ではあるが、人生への希望を取り戻したときの気持はきっとこういうものを言うのだろうと思わされる。そして、それは第3楽章の生き生きとした曲調へとつながっていくのだ。


人間の脳は、強烈な体験をして長期記憶と化したものは決して忘れないという。そして、その上にさらに同種の記憶が積み重なっていくらしい。それが否定的で不快な記憶であったとしても、それ自体を消し去ることは出来ないように出来ているのだ。

それを変えていくためには、記憶を上書きしていく必要があるということであり、もとの記憶の影響を受けないほどに修正を施していく作業が必要なのだ。これが、悩みの実態であり、悩まなければ上書きが出来ない訳だから問題は解決しない(これをあっという間にやってしまおうというのが前述の前世療法な訳だが、これはやっぱり裏技であり、宗教であるから、宗教的信条が薄れれば効果もなくなる)。

だいたい、人は悩みを無くそうと思って自己啓発本や宗教に手を出すのだろうが、実は、悩んでいる事自体が悩みを解決する手段であることに誰も気がついていないのだから笑えてしまう。

それで、悩みから逃げようとしてしまうのも完全に矛盾しているように見えるが、人間の内面からは、常に「向上せよ」という信号が出ているのだから仕方が無い。脳科学の面から見て、脳のアルゴリズム(つまりコンピュータのプログラムのようなもの)は常に進化することを求めるように出来ているらしい。

逆に言えば、悩まない人は進化が止まった人だと言うことだ。そういう人はもはや神か仏ということにでもなるだろう。

ただ、何を求めて悩んでいるのかということを見損なうと、失敗してしまう。だからこそ、自分と向き合うことがまず第一であって、それが出来ないと、それ自体が悩みになってしまい、現実の生活の中で自分と似たような人間に何度も出会うことで、自分の否定的な部分を見せつけられるというような経験をすることになる。

それは、脳がことさらに意識をそちらに向けさせるように動くから、やたら特定の人が気になったりしてしまうという形で現れる。あいつは虫が好かないとか、何か嫌な感じがするとかいうのは、脳がそれを教えているからなのだ。そして、その人の嫌な面は、自分の欠点でもあるという訳だ。脳はそれをどうにかしろと言っている訳だ。

だからどうすればいいのかと言われても、それに対する答えは自分で見つけるべきものだとしか言いようが無い。人から与えられた答えは、自分が見つけ出した答えではないから、おそらくそれでは脳のアルゴリズムは書き換えられないだろう。

占いだの、霊視だの、お祓いだの、お守りだの、まじないだのやってみたところで、それが自分自身の心を変えるほどの効果を得るためには、完全に信じなければ意味がない。それがもとで人生観が変わってしまうほどに信じなければ、何の効果もない。そうなったらそうなったで、別にかまわないのかも知れないが、本当にそこまで望んで信じる人もそうはいないだろう。ましてや、それが依存心から出たものであれば、最後には必ず破綻するはずだ。

今の自分も、どうやったら自分の考えが上手くまとめられるか悩みながら書いている。それがなかったら、そもそも書こうとも思わないだろうし、書いても支離滅裂な文章になってしまうだろう(この文章が支離滅裂でないとは言い切れませんが(笑))。

だから、そうやって試行錯誤しながら、自分なりの答えを見つけていけばいいのだ。とにかく本気で考え、本気で実践する。そのうちに答えは見つかるだろう。それでも解決しないときは、悩みの原因を見損なっているのだ。という他は無いのである。

そして、人生をそれなりに楽しんで生きている人は、それが当たり前だと思っている人たちだということなのだ。

悩みとともに生きる、それが人生というものなのだ。


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