川のほとりで

個人的な備忘録

好事魔多し 夢のために何を切るか

2005-12-12 16:46:26 | Weblog
「100年の孤独公演」、職場の忘年会、「朝日杯」ーーー
結局予定通り進まなかった。2兎を追うものは一兎も得ずというが、やりたいことをやっていたのでは、永久に夢は夢で終わる。今週のチャングムはそういうことで、断念することにした。でもトヨタカップは見るぞ。

母が亡くなって

2005-12-06 16:14:15 | Weblog
早いもので母親が亡くなって10日が過ぎた。刑事訴訟法2回目少しピッチが上がってきた。今週中に2回目終了が目標。

ちょっと心配

2005-11-16 16:55:48 | 受験
なかなか申し込んだ講義資材が送ってこない。ロッテの応援に夢中で忘れていたのだが。
いま一回目が終わって、刑訴法二回目に入っている。さすがに頭の中に入ってくる。
20日のパレードが終われば集中できるかな。

刑事訴訟法一回読了

2005-10-25 09:56:48 | 受験
接戦、逆転とプレーオフはスリリングで野球の面白さを堪能した。
おかげで机に向かう時間が減って、目標達成が困難になってきた。
今週は日本シリーズである。何とか合間を縫って刑事訴訟法のテキストを
一回読了するぞ。

最後の挑戦

2005-10-14 16:49:24 | 受験
伊藤塾の択一講座に申し込み、勉強を再開した。
これが最後の挑戦である。まず目標は来年度短答択一に合格すること。
再来年本試験に合格。(長期目標)


択一講座と過去問題をメーンに
刑事訴訟法を10月に一回基本書を終わらせること。
民事訴訟法は11月、商法は12月と1月。(中期目標)

郵政解散はレファレンダムかプレビシットか

2005-08-18 14:01:48 | Weblog
 憲法の論文の勉強は面白い。国民投票制度の合憲性というところで、プレビシットという用語がでてきた。
 何かなと思って調べてみたら国民投票を利用して帝政を樹立したナポレオンに由来するフランス語で現在は否定的な意味合いで使われるということがわかった。
 ちなみに住民の意向を確認するという積極的な意味で直接投票を実施するときには、レファレンダムという用語が使われる。
 今回の解散、総選挙は、国民の意向を確認するためのレファレンダムか、それとも国民投票に名を借りて小泉首相が権力を強化するためのプレビシットか。
 郵政改革を問う選挙が、政治家小泉に全権を委任する選挙にならないか。動向をよく監視する必要がある。

 新しく設立された国民新党に民主党を脱退した田村参院議員が参加して注目されている。
 彼は参院選挙の拘束名簿制比例代表で選出された国会議員であり、選挙で民主党に投票した人から見れば釈然としない。
 平成12年の公選法の改正で、拘束名簿制比例代表で選出された国会議員は、在任中所属政党を変更した場合は自動的に失職することになったが、無所属や新政党へ参加した場合は失職しない。これも憲法の論文の勉強でわかったことだが。

身の回りをすっきり まずできることから

2005-08-16 17:11:07 | Weblog
まずできることはなんでもやるということで、身の回りの環境を整理した。
机の上がすっきり、書斎の本棚がすっきりした。ついでに職場の机の中の整理をした。

憲法の論文を読み込んだ。図書館に本を返して、イタリアの現代政治の本を借りた。
イタリアの首相と日本の小泉が非常によく似た政治手法をしていることに注目。
国民投票制度的独裁という手法である。

ヒグラシの里コンサートの前売り券を購入した。当日の天気が気になる。

問題集を購入する

2005-08-15 10:53:53 | 受験
 日曜日、お盆だが、試験勉強の問題集を購入するため上京。
大丸の6階にある喫茶店で隣の書籍コーナーから本を持ち込み検討したあと、八重洲のブックセンターに移動し、問題集などを購入した。大丸の喫茶店は、買う前に、ゆっくり本を読みながら検討できるので大変ありがたい。

 行きの電車の中で憲法の過去問を、帰りの電車では、「刑法総論の思考方法」を
読んだ。特に、後者を読んで、目からうろこが落ちるとはこのことかと、驚くとともに、
もっと早く読んでいればと後悔した。

法科大学院入学を考える

2005-07-06 16:07:26 | 受験
適性試験を終了して、いよいよ法科大学院の入学を考える時期がきた。
家から通学できるところを選ぶのか。(千葉大、早稲田、中央、国学院等)
3年間家から離れて学ぶのか。(京大、東北大)
授業料の安い国立大か、面倒見のよい私立大か。
適性試験の成績も有り、大学院の絞込みは難しい。
とりあえず、願書を取り寄せ、エントリーシートを書き込むことからはじめよう。

日韓の誤解と偏見をとくために

2005-04-08 15:58:10 | Weblog
急に気温が上昇して、一挙に桜が満開になった。お昼休みに職場の仲間と、公園にお弁当を持参して、今盛りと咲き誇る桜を見物した。

今週読んだ本はあたり。「松下政経塾とはなにか(出井康博)」
日本新党以降の流動的な政治状況の中で、政治家として世に出てゆく塾生の群像が描かれている。塾は確かに大きな役割を果たしたが、現在その役割を終えたというのが著者の意見である。まさに同感である。

明治維新以降の日本とのかかわりを背景に、李朝の滅亡を描いた「李朝滅亡(片野次雄)」
帝国主義の時代に、後発の日本が、西欧列強に伍して生きていくために、朝鮮を植民地として統合し、過酷な統治を行っていく過程が、詳細に述べられている。日本は、朝鮮の権益を確保するために日清、日露さらに日中戦争へと突き進んでゆく。それにしても、我々日本人は、あまりに朝鮮半島で我々の父や祖父が、おこなったことをしらなすぎるというのが、この本を読み終わったときの実感です。
朝鮮人のアイデンテイを破壊する創氏改名も、自虐史観を批判する「作る会」から見れば、朝鮮人も日本人と同じように氏名を名乗れるようになったと肯定的に評価される。
ことほどさように、歴史的事実の評価は難しい。誤解と偏見について、ある人は、誤解と言うのは間違った理解であり、十分な情報を提供すれば変わることができるが、偏見というのは、情報を選択的に受け入れるということなので、正確な情報を提供しても、その人の考えは、なかなか変わらないと、のべています。
確かに、誤解と偏見をなくすには、努力しても、ある程度、長い時間がかかるでしょうが、日本と韓国の間に横たわる誤解と偏見をとくためには、あくまでも事実に依拠して、冷静に、議論を深める必要があると思います。