幸せコース

試練を"意地"で乗り越える

[ここでの話]

試練や困難を"意地"で乗り越えると言う話になります。

僕に試練があった時に意地で乗り越えたので、その話になります。



"意地"で乗り越えるとは?]

「この試練だけは何としてでも乗り越えてみせる(真っ当なやり方で)」と、意地になって、試練と対峙(たいじ)してました。

そして、何年も年月が過ぎて、その意地を通して、試練を乗り越えたと言う訳です。


その試練を乗り越えた原因みたいなものが"意地"と言う事です。



[意地を通す]

試練は、泣いたり、苦しんだり、辛く逃げたくなる時がいくつもあります。

そんな時に、意地を通してその試練と闘います。

「何で自分だけこんな目にあわなければいけないのだろう」、「疲れた」、「消えたい」と、何度も何度も思います。

だけど、ここで"意地"を通します。

「これだけは乗り越えてみせる」と1本の筋を通します。

それで、何年もかけて乗り越えたら、最高の景色が見れます。

自分だけの景色が見れると言うものです。



[試練は神さまの本気]

試練は神さまの本気です。

試練はどれも最高のもので、それ以上はないと言う事です。

だから、乗り越えるのが大変で、難しいものです。

試練って誰も味わいたくないものなので、辛過ぎます。

逃げたくなる心もよく分かります。

僕は試練の始めの頃は、その試練から逃げようとしていましたが、逃げられなかったので、嫌々ながら試練を受けていました。

その試練を続けていくうちに強くなってきて、「ここまで辛く苦しい試練を受けてきたなら乗り越えてモノにしたい」と思うようになりました。

そこから意地で、乗り越えようと思いました。

それで、試練は神さまの本気なので、それを乗り越えたら、最高な心になりました。


今辛く疲れきっていたり、逃げたくなったりしたら、それは僕はよく分かります。

僕もそうだったからです。

でも、何年かかるか分からないですが、乗り越えたら、"神さまからのプレゼントみたいなもの"があるはずです。そのプレゼントは本人と神さましか分からない試練を通して得られるものです。



[まとめ]

試練を"意地"になって乗り越えると言う話になります。

僕の場合の試練は、始めの頃は試練から逃げたくても逃げれなかったので、嫌々ながら辛いものを味わっていました。

ある日、次第に強くなっている自分に気づいて、「この試練は乗り越えて自分のモノにしてみせる、何としてでも乗り越えみせる」と"意地"を持つようになりました。


何年も経ち、泣いたり、消えたいと思ったり、疲れ果てたと思いながらも、"意地"で乗り越えました。

そしたら、自分にしか分からない景色が見れました。この景色は試練を乗り越えたからだと思いました。


そして、試練は神さまの本気なので、乗り越えるのは難しいです。本当に辛いものが沢山あります。

だけど、それを乗り越えたら、神さまは自分にプレゼントみたいなものをくれるはずです。

試練を受けた本人と神さまにしか分からない、かけがえのないものです。

だから1つの試練が終わって思うのが、"意地"が原因と言う訳です。

試練をモノにすると言う"固い意地"があったから、乗り越えられたって事です。

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