1985年8月12日
この日、日航123便が墜落する事件があった。
あの日、私は確か前日に羽田空港で高知の実家へ帰る飛行機のキャンセル待ちを諦めて埼玉に戻っていて、友人たちとテレビでニュースを見ていた。
この日のあの飛行機だけど、Wikipediaに当日の運用がこう書かれている。
『使用されたJA8119の当日の運航予定は、
12日朝から5回目のフライト。伊丹到着後に折返し130便として伊丹発羽田行の最終便を運航する予定であったため、燃料は3時間15分程度の飛行が可能な量を搭載していた。』
この日の2回目のフライトである千歳から羽田への504便に、実は私の母親が乗っていたのだ。
この事実はかなり後になってから聞いて非常に驚いた。
私の母は当時私の兄弟が通う学校のPTAの要職をやっていて、全国PTA連合会みたいなものの会合で北海道に行っていたようである。
あの機体に乗ったのはその帰りだったらしいが、まさか同じ機体がその日に墜落するとは思いもしなかっただろう。
お盆近い時期であるし、あの日あの機体には千歳と福岡の往復で少なくとも累計約2,000人以上の人たちが乗っていたはずで、それぞれ思うことがあったのではないだろうか。
そして、39年たった現在、様々な形であの事件がどの様なものだったのかが明らかになりつつある。
森永卓郎さんの「書いてはいけない」もその一つだと思う。出版されてからしばらく品薄でなかなか買えなかったけど、3月中頃に買って読んだ。
きっとそう簡単に全ての真実が世の中の人々に浸透するようにはならないかも知れない。
また、この著作の内容の全てが真実かどうかはわからない。
それでも私は森永卓郎さんの命懸けの著作を支持したいし、生き方の参考にさせてもらいたいと思う。
そして改めてあの日の事件で亡くなった方(その後自殺で亡くなった自衛隊の方々がいたとどこかで聞いたことがありますが、その方々を含め)のご冥福をお祈りします。