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灼熱の昼ごはん むすめの見た済州島 2007

2012年04月27日 | いろいろ
あァもう嫌だ疲れたよう。



 わたしの、御年八十歳にもなるばあちゃんが一言も文句を言わないのに、わたしはすでにグタグタである。一歩一歩、八月上旬の暑い昼、韓国済州島(チェジュド)の中心街の道路わきをのろりのろりと歩く。ほんとうはきびきびしたいところだが、意思だけではそうもいかぬ。ちょっと安い店で買ったサンダルの踵が高めだったから、とても痛い。



 それにしても、アスファルトの熱と車の排気ガスですさまじい暑さである。しかも今は午後一時。予定通りならどこかの店で涼んでいるところだが、あいにく今日は日曜日。どこもかしこも『休みです』、五軒目になろうかの閉店中にそろそろドアを蹴飛ばしたくなってきた。






 いやもうホント、エセ日本料理店でもいいから座らしてくだされや。



 ばあちゃん倒れたらどうすんねん、とーちゃん。



 つーかどっか目当たりはつけとかなかったのかよ。






 ここで補足しておくが、わたしたち家族はだいたい一年に一回、夏に『お墓参り』という名目で(わたしの父は在日韓国人なのだ)、ここ済州島へ遊びに来ている。が、父の韓国語は自身に言わせるとサヴァイバル』レベル、他の三人――わたし、母、祖母に至ってはボディランゲージに頼りっぱなしのレベルである。



 ちなみにわたしの話せる韓国語でよく使ったのは以下のとおり。



 『アンニョンハセヨ(こんにちは)』『コマスムニダ(ありがとう)』『チャルモッケスムミダ(いただきます)』『チャルモゴスムニダ(ごちそうさま)』『イエー(はい)/アニョー(いいえ)』『イゴオルマエヨ(これいくら)()』『ミヤナムニダ(すみません)』『イルボンサラム(日本人です)』。



 ま、もうちょっとボギャブラリーはある(ちょと自慢)が、だいたいこれと指と手と体でなんとかなった。



 それと、韓国は年齢で上下関係が決まるものだから、お礼を言いたいときは『ありがとう三段活用』(わたし命名)を使う。すなわち、『カムサハムニダ(ありがとうございます)』『コマスムニダ(ありがとう)』『コマオヨ(あんがとさん)』で、笑顔0ウォンと併用するとよいだろう(エラソー)。






 ――さて話を戻そう。わたしら一行は暑さでふらふらだったので、もう(めし)の旨いマズイにはかまってはおられぬ。喰わねば、死ぬ。



 そういうわけで、わたしたちは見つけた。つまりは、メニューが店の外にべたべた張ってある、いかにも大衆料理店である。正直もっといいところがよかった。



 ここでみなさんは、なぁにが大衆だ、上から見すぎだろ、と思うかもしれない。が、異国の地で、知ってる者は当然ほとんどおらず、得体も知れぬ謎の店に入る勇気が、あなたにはあるだろうか。わたしなら、たぶん、ない。



 しかし我々は、暑さと、空腹と、そして繁華街にもかかわらずほとんどの店が閉まっているという絶望的な状況に、負けた。



 わたしたち四人は覚悟を決める。









 店に入ると、いきなり、オッサン二人が焼酎を飲みながら酔っ払っていた。



 店のアジュマ(おばさん)は、じろり、とわたしたちを見る。ここでなんと日本人がよく微笑む(いわゆるあいまい笑い)をしすぎる民族なのだろうと気づく。



 「四人なの?」(もちろん韓国語)



 「イエー(そうです)」と父。






 メニューは意外と豊富だ。が、わたしたちには何がなんだかさっぱりなので、すべては父にお任せである。とりあえずわたしは麺類が食べたかったので、それは言っておく。



 「メッチュ(ビール)をまずは」(しつこいが、もちろん韓国語)



 「グラスは二個でいいの?」



 「三個で」



 そしてテンジャンチゲ(味噌味なべ)二人前、チェーユポックン(豚肉辛子味噌炒め)カルククス(手打ちうどん)をとーちゃんが頼む。わたしには水だ。






 しばらくするとビールと、そして大量のおつまみというか副菜たちがどんどこやってくる。わたしはつねづね思うのだが、おかわり自由のこれと、必ずついてくるごはんだけでお腹いっぱいになるんじゃないんだろうか。ざっとこの店では、じゃがいも炒め(シンプルに見えるが超おいしい。小学校時代の、ジャガイモのピリカラ炒めにそっくりである)、にんにくの芽(流石にこわくて手が付けられなかった)、たくあん(なぜにたくあん、と思うが色がどぎつい黄色なことを除けば普通の味、ばあちゃんがぱくぱく食べていた)、そしてなんといってもキムチ(白菜)――が出た。



 重い銀色金属の箸でおつまいを喰らいつつ、アジュマを見ると、なにやら思案顔でもう一人のアジュマと話している。



 「ねーとうちゃん、何て言ってんの?」とわたしが聞くと、



 「プッコッチュは辛いからいれんほうがいいよね、って言ってる」との答えが。おおありがたや。ちなみにプッコッチュとは青唐辛子、普通の唐辛子よりもはるかに辛い(らしい)。なので、韓国の人でもそのままでは食べない。だいたいはスープに入れるが、この日本人にはそれでさえもキツイだろう、と控えてくれたのだろう。



 また、二人で協議を終えたアジュマがわたしたちのテーブルにやってきて、テレビのリモコンを渡す。いわく、「テレビでも見たら?」らしいが、適当にニュースを見ていても、なんやら知らないオッサン(世界万国、政治家はオッサンだらけ)が、演説したりしている。当然、全くちんぷんかんぷんなので、わたしはしばらく店を眺めながら、ぼけっとしていた。韓国のアナウンサーもきれいだなあ、でも厚化粧だなあと思いつつ。






 十分後ぐらいに。



 「はいよ、チゲと、炒めもんと、うどんだよ!」とアジュマが目の前にいる。



 どん、どん、どどん、と次々に料理が置かれる。よく言われていることだが、韓国の料理は量がすさまじいのが普通だ。残しても、一応失礼にはあたらないが、こんにちでは韓国社会でも食べ残しゴミ問題が取り沙汰にされているのだそう。しかし、この店では、多いとはいえども、すごくというほどでもなかったので、内心安心した(我らがもったいない民族だからだろうか、たとえ失礼でなくても食べ物に、ひどく申し訳ない気持ちになってしまう)。






 ま、食べよう、御託(ごたく)はこれまで、わたしの腹は真空パック寸前なのだ、これ以上待つ理由がいづこにあろうか!



 チャルモッケスムニダ!






 まずわたしはスープ(テンジャンチゲ)に取りかかった。見れば闇鍋に(はい)りたる具のごとく、貝やら野菜やらがぐつぐつと、赤っぽい味噌色のなかに煮だっている。



 どうれ、味見……………ッ…うまい!



 なんというか、様々な海鮮から出た汁が、ピリリと辛いスープと非常にマッチしていて、旨いと言わざるを得ない、というほどの味だ。正直期待していなかっただけあって、この衝撃はすさまじい。



 具はまさに多種多様、ムール貝、さざえ、いか、たこ、豆腐、ほしえび、野菜は…たまねぎ にんじん ズッキーニ、などなど。特に旨いのはムール貝。貝がらにスープを入れて一緒にすするのが、なんともいやはや。



 とーちゃんも、かーちゃんも、ばーちゃんも、感想は同じだったらしく、旨い旨いと言いながら、そしてとーちゃんはバチバチとブログ用の写真をとりながら、食べていた。



 わたしはというと、旨さに驚愕したのち、『あれ』をしていた。韓国だけでできる、あれ。



 それはスプーンをにぎり、スープをすくう、そのままスプーンを平行移動して鍋のふちで滴を切る、そして口をスプーンに近づいて食べる、という一連の動きである。



 これがわたしにとっては、とっても韓国らしい感じで好きなのだが、あいにく日本でははかーちゃんに怒られるので、できない。だから、韓国でこれを遠慮なくしているというわけなのだ。わたしの、慣例であったりする。






 それはそれとして。さてさて。






 次は、これ、カルククス(うどんらしきもの)だ。



 うどん――温かい冷や麦のような細い麺に、あんまり辛くなさそうな唐辛子の粉をひと盛り、そして青っぽいのりがたくさん入っていた。



 さっそく食べてみた。噛んでみた。味わってみた。



 ……うん、うん、うむ。これはマズイ。――このうどんへの審判は一言で尽いた。



 なんでだろう。にぼしのだしだらしいが、味がない。いやきっと、これは元々辛いものだったのだろう。無理に辛いのを取り除いた結果、こういうことになったわけか。



 すまん。しかしお前はマズイ。






 最後にチェーユポックン。豚肉の辛子味噌炒めである。もう前置きしまくるのに疲れたので言わせてもらうと、これもまた、おいしかった。辛さの点ではテンジャンチゲよりもう少しきつかったが、ごはんの上にのせて一緒かきこむと、なかなかいい感じだ。






 それから、食べた。ひたすら食べた。主にわたしが。不思議だが、辛いものはいくら食べても止めさえしなければ、いくらでも腹に入ってしまうのだ。ムール貝を食べ、水を飲み、豚を食べ、水を飲み、カルククスをとーちゃんのほうへ押しやり、またスープを飲む………まるでおもしろすぎる本を一気に読み進めるかのごとく。



 しかし、このとき、変な音が近づいてきた。ドーン、ちゃらぱん、パーン、だんだか、ドーン。おおう、近づいてくる、なんだなんだ。あっ!



 日本の人で聞いたことはある人は少ないと思うが、近づいてきたものは韓国の民族音楽というか、打楽器だけのひたすら同じ調子が続くもので、それらを叩く一行のパレードがこの店の前を通過したというわけなのだ。



 ドアごし(ガラス)から見ると、チマチョゴリを想像していただけるだろうか、あのような色彩の韓服(カンボク)を着た人々が、銅鑼やらたいこやらを持ち、足で調子をとりながら踊りながら、同じ単調なようなリズムでパレードしていくのが見えた。



 わたしたちはいかにもおのぼりさん風に、ドアに駆け寄り、これの次第を見つめていた。



 「学生かな?」「いやおばさんばっかりだった」というのがこのときの会話。






 店のアジュマはやっぱりわたしたちをアジュマらしい顔で眺めていたが、ちょくちょくテーブルに来て、なにくれと世話をやいてくれた。特に御年八十歳のばーちゃんには。もしかしたら、こんなに細い婆さんが辛さで倒れてしまうんではないのかと、はらはらしてたのかもしれない。



 「じゃがいも炒めのおかわりください」と、とーちゃんが言ったときにも、「辛くないから食べるんだね」とつぶやきつつも、それと、たくあんも持ってきてくれた。






 こうして「チァルモゴスムニダ!」と声を合わせたときにはもう、カルククス以外の皿はほとんどすべて空だった。そしてお会計、テンジャンチゲ五千ウォン二人前、チェーユポックン一万ウォン、うどん三千ウォン、〆て二万三千ウォンプラス消費税(二千七百円ぐらい?)。我々は、お互いによい店にめぐり合えたことをここに喜び合い、この店を褒め称えた(恥ずかしいのでもちろん日本語)。






 最後に店を出て通りのむこうを眺めると、もう二時を過ぎて暑かったが、太陽は雲に隠れ、少しは涼しい風が吹いていた。ま、辛い食べ物たちのおかげで、そんなことは役に立たなかったけれども。



 アジュマも店を出て、わたしたちを、特にばーちゃんを気遣って見送ってくれた。



 「あの、ラマダホテルはどこかわかりますか」と、とーちゃんが聞く。さんざん回り道をしたおかげでここに来たため、全く帰り道が分からないのだ。



 「パダハラム ムルヌキミョンソヨ カミョンテヨ」



 「なんて?」とわたし。



 「風に吹かれて行けば見つかるよ、って」






 ――あとで分かったというか理解したことなのだが、わたしたちの泊まるホテルはすぐ海の近く、それで潮風と波の音をたどれば見つかるよ、ということだったのだ。



 そういうわけで、わたしたちはやっぱり帰りも回り道をして帰った。そして来年も済州島に来るだろうけれど、もうあの店の場所はわかんないなあ、と呑気に言っている。


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