ハンド女

“NO HAND(BALL),NO LIFE”を謳う
神出鬼没のハンドボールベイビーズのブログ   

新春お年玉企画~湧永☆坪根敏宏選手①~

2009-01-05 | ハンド女企画
見た目、年齢と年配ですが
プレーはまだまだ健在です
湧永・坪根敏宏選手




ハンドボール編・1

Q1・2008年はチームにとって、ご自身にとって
   どのような1年でしたか?


・色々と大変な年となりました。
全日本ではオリンピック再予選で天国を見て
最終予選で地獄を見ましたからね。




・チームとしてもコーチ兼選手として
プレーしているので自分だけの仕事だけで
済んでたことが、コーチの役目として
監督のフォローから他の選手のことも
気にしないといけなくなったので大変です。



Q2・実業団デビューしてから今日までの道のりで
  楽しかった思い出や辛かった思い出を教えてください

実業団に入ってから試合に出れるということは
常に楽しかったと思います。
試合に負ければ常に辛かったし、涙しました。

楽しかった思い出と言うよりも嬉しかった事は
13年間も全日本総合で優勝出来た事と
2年目でプレーオフ優勝。
辛かった思い出は、プレーオフに出ながらも
2回目の優勝が出来ない事ですかね?




Q3・ハンドをはじめたのはお幾つの時ですか?そのきっかけは?

高校からはじめました。
それまで、小・中と野球をしていましたが
体育の先生が旧・久留米工業大学付属高等学校
(現・祐誠高校)の卒業生で
背も大きく肩も強かったって事で薦められました。


Q4・実業団でプレーをしたいと意識したのはいつ頃からですか?

いつでしょうかね?
大学で辞めようと考えていたんですが
色々とJrなどの海外遠征など行くようになってから
徐々に力を付けて全日本にと思うようになったので
実業団でプレーをと考えるようになったのは
大学3年の終わりぐらいかなと思います。


Q5・ハンドにまつわる失敗談がありましたら教えてください

去年の全日本遠征の事で
試合中にあまりにもミスも多く
自分自身もイライラしていて
ブザーが鳴ったので前半が終わったと思って
そのまま更衣室に帰ってしまいました。
本当はタイムアウトのブザーで
そのまま試合が始まり、両チームとも
キーパーが居ないまま試合をしていて
本人が知らずに帰ってきてから
両チームとも初めて気付いたって事がありました。


Q6・湧永製薬に所属して良かったな~と思うところは?

今の所属しているチームが製薬会社なので
病気や怪我をした時には良い薬がありますので
入って良かったなと思います






神様、仏様、坪根様の登場です
丁寧にたくさん書いて頂いて本当に嬉しいです

今回の新春お年玉企画~丑年編で
坪根選手が唯一の1973生まれです
(『1973年のハンドボール』byハルキントキ
見た目、年齢と年配ですが…なんて全然そんなことありません
まだまだ坪根選手のプレーを見ていたいですよね

関係ないですが、坪根選手と同じ1973年生まれには
友○、アント○の猪木、くま○まさし、たむ○ん、ブラマ○、などなど
個性的な面々がそろっています

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