左利き書道家のつれづれ

展覧会案内、作品について、日常の記録を発信していきます。

【展覧会案内】SHODO NEW WAVE

2023-02-25 10:14:35 | 日記

もう2月も終わりに差し掛かり、卒業シーズンとなりました。

3月からART SHODO関係のグループ展に参加いたします。今回はこの展示のご案内です。お近くの方がいましたら是非お越しください。私も3月10日~12日に在廊させていただきます。

本展に寄せてキュレーターの山本尚志さんからコメント、私の紹介もしていただいております。

グループ展の特設HPも作成していただきました。↓のリンク先からご覧ください。

https://www.adfwebmagazine.jp/art/adf-art-gallery-project-vol-20-shodo-new-wave/?fbclid=IwAR2ZBe61L1f0QRpXx-ulnI09wuO-UcSiOtSnmCm9JTLRCJj0jixQefHmERo

 

【展覧会情報】

「SHODO NEW WAVE」

会期 : 2023 年 3 月 4 日(土)~3 月 13 日(月)

開館時間 : 10:00-18:00(3 月 4 日は 15:00~18:00、3 月 13 日は 16:00 まで) 

場所 : GARDE Gallery (東京都港区南青山 5-2-1 ALLIANCE ビル 4F) 入場無料

~参加アーティスト~ 

Ouma(オーマ) 

岡淵静

KOUSAI

Kofu Hijikata 

Saori Kunihiro 

高濱渉 

目時白珠 

野口裕司

キュレーター:山本尚志

 

〜本展に寄せて〜

既にコマーシャルギャラリーから作品を発表し、プロデビューしている書道あるいは文字をモチーフとしたアーティストたちに、毎回新人を加え、常に新しく、そして個性豊かな、意欲に溢れる展覧会を目指す。年に数回を企画し、新しい言語アートとしての書道とは何か、その都度紹介する。

美術手帖の展評、アートコレクターズでも特集された、新たな美術の一潮流としての「新たな書道=ART SHODO」を展観するのが目的。

(これが新しい書なのか?)

と、見る者はきっと驚くだろう。

山本尚志(書家・現代アーティスト、本展キュレーター)

 

〜アーティスト紹介〜

Oumaは、現代アーティストとして、山本尚志と同じウナックトウキョウからデビュー後、発表の場を海外に移し、世界各地にて現代アートの作品を発表。2020年ごろから、オノマトペを意識した言語アート的な作品を次々と発表。注目を集めている。アート書道の展覧会「SHODO NEW AGE」にもゲスト参加。現在、タグボート所属。精力的に作品を発表している。

岡淵静は、この世に生まれる文字の数々が、ごく細やかなものであることを、我々に伝えてくれるようである。心に届く声、そして世の中に伝わるはずの文字がここでは消えるか消えないかくらいの、そんな誤差によって導き出されているかのようだ。僧侶でもある彼女の祈りの声は、そんなふうに目の前に降り注ぐ。

Kofu Hijikataの作品は、何種類かの赤いパステルコンテで書かれている。書かれる文字が全て同じ赤ではない理由は、その言葉の性質と関係しており、作者の微妙な心情、意識の差異、そこから生じた出来事などを表している。書かれる言葉はその都度異なり、アクションにも変化が加わり、その文字群が示す「図形」は、毎回異なる。そこには同時に、常に流動的かつ微妙な意識の変化が表れているのだ。

KOUSAIは、一行詩を書く。それは、何気ない日常の一コマだったり、辛辣な一言だったりする。それは時にユーモラスであり、時に心に残る何かになっている。ヒトは言葉を発するときに「たった一言」から、いつもスタートする。その意味において、KOUSAIの作品は常に新鮮だ。それは新鮮な気分で発話することから、彼女の書が成立するからに他ならない。掛け軸を開いたときに目に飛び込むのは、作家の人生における一コマなのである。

新人のSaori Kunihiroは、円形のパネルに仮名文字の羅列が印象的な作品が特徴的な作家だ。そもそも古典の仮名には「ちらし書き」の概念があり、どこに文字が書かれるかは自由なのだが、彼女の場合は、意図的に、そして、時に偶然に書きつけられる。それは、場が円形であるが故の仕業である。書かれる文字群は直線的な「行」の概念を予め離れ、それが故に、作品はさまざまなニュアンスを育み、変幻する。

高濱渉の書は、繰り返し書かれるとめどないアクションの連続体として、画面いっぱいに広がる。それはまるで、細胞分裂による増幅の様子のようだ。彼の書とはそんなふうに、生き生きとして見える。それは書としては理想的な成り立ちなのではないだろうか。そう思わせてくれるほどに、彼の愚直なまでの行為は、このままずっと続くに違いないのだ。

目時白珠の作品は、情報そのものだ。それは情報の中身ではなく、情報の輪郭を表すという意味で。それは「何も書いていない」社会風刺となっていて、そして何を風刺するのかも決まっていないのだが、新聞のドットのように書かれるその一つ一つを見ると、それがそのまま現代の書だとわかる。文字を書かずとも文字がそこにあることを、彼女の書は、雄弁に語っている。そんな不思議な作品である。

野口裕司は、書の映像作品を発表して数年経つ。コンペでは審査員からの評価も高く、映像作品自体がまだ根付いていないこの国のアートシーンに、書道から初の映像作家として、昨年デビューした。まだ目新しい彼の作品を見る機会は、だから、それだけで貴重なものなのである。作品は、やや拍子抜けなこともあるが、それは作家の個性と言えるだろう。今後注目されるアーティストの一人。


書と非書の際 2023

2023-02-19 10:11:00 | 日記

年度末の慌ただしい日々を過ごしております。


なかなかブログを始めて1か月が過ぎましたが、

まだ使い勝手が分からず、複数の写真を入れるのもできず

手間取っていました。無事解決しました。

先日告知させていただいた、京都で開催されている

「書と非書の際」の作品写真や、風景を友人や知人の方に

撮っていただいたので、掲載させていただきます。

 

展示されている会場もとても雰囲気のある場所で、

二会場に分けて開催されています。小品展の方は今日まで。

メインの会場はもう1週間あります。


今日は京都マラソンが開催されるそうで、街中も混雑しそうです。

さて、今回書いた作品について説明したいと思います。

自分の制作スタイルである、同じ漢字を繰り返し書きながら

さまざまな時間軸で表現する手法で、「水」をテーマにした

作品を出品しました。

<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/b7/d9b5ecdb8ae3bd2992679bcd1cb57b66.jpg">

<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/51/dd3d5da1e36a2c7a6fc13663b216c42f.jpg">

【メイン作品】
Mind as water
28.0×68.0cm
和紙にボンド墨

【ステートメント】
紙面全体に「水」という漢字を草書にした形を参考に

規則性のある造形にアレンジさせて、繰り返し書いている。

紙面を心の中に例え、用具用材を変えながら様々な時間軸で

書いており、感情の変化を表現している。

また、抽象的な動きは言葉に表せない感情を表している

雪舟の山水画のような味わいを意識しながら、墨の濃淡を表現している

。自分の中で流れている水は、量や質により調子が変わってくる。

自然の流れに身を任せるのが無理なく、ありのままの姿として生きたい

と思っている。老子の言葉にある「上善若水」のような生き方がしたい

と思っている。

<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/06/cdabdb82d4411b94f71ad47eaf0a7706.jpg">

【小作品】
Water pattern
21.0×26.0cm
洋紙にボールペン

【ステートメント】
紙面全体に「水」という漢字を草書にした形を参考に規則性のある造形に

アレンジさせて、繰り返し書いている。変化を加えず文字が重なるように

書き、文様のように書いた。ベクトル平衡体な幾何学的な図形や、アイヌの

織物に施されている文様を意識している。現在住んでいる北海道帯広市は、

になると氷点下15度まで下がる。

朝仕事に出勤で車で移動する時に、窓に張った氷を溶かすため、

解氷液を出す。しかし、直ぐにまた氷の結晶ができてしまう。

この結晶の形がとても面白く、そこから着想を得た作品。

水には多くの可能性を秘めている物質であり、人間の営みには

欠かせない一番身近な存在であろう。

 


ART SHODO SELECTION in Tokyo #2

2023-01-28 08:29:00 | 日記
東京の三鷹市芸術文化センターにてART SHODO SELECTION in Tokyo #2 が開催されました。
今回は出品作品について解説したいと思います。


【出品作品】

shape of happiness

和紙にボンド墨

2023


【ステートメント

紙面全体に「幸」という漢字を草書にした形を参考に規則性のある造形にアレンジさせて、繰り返し書いている。


紙面に用具用材を変えながら色んな時間軸で書いており、様々な幸せの形を表現している。

また、抽象的な動きは言葉に表せない形を表している。

雪舟の山水画のような味わいを意識しながら、墨の濃淡を巧みに表現している。


成人してから自分は果たして結婚できるのか?と考えながら生活を送っていた。


周りは結婚、出産をして幸せな家庭を築いている。しかし、これはあくまで幸せの形の一つに過ぎないの気づいた。


幼少の頃から両親は、毎日のように殴り合いの喧嘩をよくしていたが、改めて2人は結婚しない方が幸せだったのではないかと思った。


この体験を通して、自分自身自由に生きたいという気持ち、そして両親ができなかった独身でいるという決心がついたのである。


現代は人間関係や、子育て、病気、格差社会など生きづらい世の中になってしまった。


その中で自分の境遇をどう捉えるか、真の意味で自由という形が問われていると考える。


この作品を書きながら改めて自分の人生について考え直すきっかけとなった。



とき・2022127日(金)〜29日(日)

場所・三鷹市芸術文化センター


〜開催日程〜

1/27(金)13-20

1/28(土)11-18

1/29(日)11-17


個別審査会

今回は個別に審査を行います。司会は各回とも山本尚志が担当。ご多用中のギャラリストの方は、後日映像による審査を行います。


・田口良成さん(田口美術)

1/27(金)15時から


・田中千秋さん(秋華洞)

1/28(土)11:30から


・山本豊津さん(東京画廊+BTAP

1/29(日)14時から


優秀賞

各ギャラリーからのデビュー


次点

ギャラリストが期待するアーティストを指名


司会

山本尚志(書家・現代アーティスト) 


主催

ART SHODO FESTA


書を志したきっかけ②

2023-01-22 19:26:00 | 日記

高文連に出品し、初めて部活動で大会に参加し新鮮な気持ち。自分の作品はどう評価されるのか不安と期待が入り混じっていた。

無事高文連賞を取ったが、先生にはお前の作品は全国候補に選ばれてると言われた。

まさか。

こんなにうまく行くはずがないと思っていたが、自分の作品よりも会場で一際目立つ作品が。

それはライバルの作品。この話はまた今度。

高校時代、部活は毎日休みもなく、朝から晩まで書き続けた。

1日半紙150枚と勝手にノルマを課していた。

色んな展覧会で入賞して、子供の時に考えていた文字を書く事へのコンプレックスはいつの間にかなくなっていた。

高校3年の時に、これから進路をどうするか、考えている時に全国高校総合文化祭に参加して、自分も書道を続けることを決意した。

それと同時に自分より上手い人が沢山いて内心萎えた気持ちもあった。

書を続けようと思ったきっかけは全国大会で知り合った、今は亡き友達との出会いがある。

彼の作品のような作品が書きたいと思ったのもあるし、全てを見通しているような眼差しで、不思議な魅力があった。

手紙のやり取りは何度かしていたが、そのあとは音信不通。

高校を卒業し、四国大学の書道文化学科に入学。

全国大会で訪れた徳島という土地をもう一度くることになるとは。不思議で感慨深かった。

大学の講義では、会派も違う教授陣で、今まで書いていたものとは全く違っていて勉強の毎日。

そんな中大学に作品制作室のいう部屋があり、友達にそこで書こうと誘われ、展覧会で作品を書いていた。

自分はいつもの調子で、音楽をヘッドホンで聴きながらエアギターをしてウォーミングアップ。これは今も変わらない。

後で先輩から聞いたがみんな驚いていたらしい。

そこから変な奴が来たと噂になり、自分が書いた作品を見てみたいと話しかけてもらえるようになった。

会派が違えど、書に志している身としてみんな仲良かったのがとても印象に残っている。

展覧会が近づくと基本土日は作品制作室で徹夜をする日々。

深夜3時まで書いて近くのローソンの駐車場でカップ麺を食べ帰るそんな毎日。

つづく



書を志したきっかけ①

2023-01-21 20:45:00 | 日記

「なぜ書道なんか始めたんだろう」と長年考え続けたことを朝から考えていた。あんなに小さい頃から、文字を書くことに嫌がっていた自分が書を志すようになったのだろうか。



物心ついたころから物を掴むときに左手をよくつかっていたと母親から聞いた。


兄が通っていた保育園に入園した時に、母親が先生に相談した結果、矯正をせず左利きのままになった。


小学校の頃、左利きを差別する先生が多く、なぜ自分だけ左利きなのだろうと葛藤する日々を送っていた。


ずっと文字を書くをことに対してコンプレックスがあり、「いつか右利きで書いた綺麗な文字が書きたい」そんな憧れがずっとあった。


習い事で書道教室に通う同級生が羨ましく、何度も母親に相談したが、習字を習っていた母親には許してもらえず、諦めていた。


しかし中学校に入学したとき、部活動紹介で国語の先生が書道同好会を作り、勧誘を兼ねた書道パフォーマンスを披露した。


見たことのない大きな筆で「熟慮断行」と書いた文字に魅せられ、ワクワクした。また書道がしたいと思った。


母親には、書道同好会に入部したいとは言えず、一人で100円ショップで道具を揃え、黙々と自宅で書いていた。書いても書いても、自分の思い通りに書けず、また悩んだ。


しかし勉強の合間、目標や推しのアイドルの愛のメッセージを書いていた。


その後とある休日、部屋に貼っていた書いた作品を見て、母親に初めて褒めてくれた。とても嬉しかった。


高校に入学し、書道部に入部するか相当悩んだが、母親は許可してくれた。


先生には「全然問題ない。木簡を書け。」

そんなことを言われ、土日関係なく部活の日々を過ごした。


夏休み前まで上手く書けず、とても苦しかった。


特に先生から指導もなく、月に一度しか来ない天才な先輩から教えてもらったが、なかなか書けず悶々と過ごしていた。


夏の書道部合宿の時に来ていた先生の師匠にあたる方に手本を書いてもらった時に筆の動かし方がわかるようになり、そこでやっと渇筆が書けるようになった。


ずっと書きたかった線が書けるようになり嬉しかった。高文連など様々な展覧会に向けて作品制作をしていた。


【つづく】