今、日本の身の振り方を考える。

2015-10-22 13:57:45 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

日本も 大国になったのだから それに 見合う責任を

はすべきである。是を勘違いすると 戦前に舞い戻って

再び 再起不能な 獣道に 迷い込むことになりかねない。

国連総会における わが日本国の総理の演説に耳を傾ける

世界の代表者たちは そんなに多くはない。

むしろ がら空きになりかねないことさえ 懸念されたのである。

日本は確かに 経済大国かも知れないが 借金大国でもある。

よく会計学を持ち足せしてきて、資産-負債=純資産という式が紹介される。

そのうちの負債は外国に国際引き受けてもらってるわけではない。国民の個人資産が1500兆円銀鉱に預けている。

それを銀鉱が国際に運用しているわけであるから

借金が多いからといって懸念されるものではないというのが

政府の言い分である。

政府は毎年20兆円超の金を借金の元利の支払いに当てているというが、借り替えたから 一向にプライマリーバランス

さえおぼつかないのである。

再び消費税は上がる。そんななかの安全保障法案は更なる

国家予算を必要となるだろう。

そういう点を考えていくと 日本のGDP世界第三位なんかと

胸を張られる状態にはない。なぜそうなったか。それは政府の

政策の誤りである。途方もない補助金政治。

ODA野ばら撒き外交。本来ならボーナスもらえない赤字会社

デモ公務員ちゃっかりボーナスをもらっている。

世界一高い税金。世界一高い公務員給料。打から日本ほんとうは経済大国でもなんでもない 普通の国なんです。

親方日の丸で大借金を子孫に残す羽目になった。そして

それを平然として懐にしまっている 既得権益者

園人たちが 現在の政府を支えているのだろう。

そんな 政府を政権の座から落として、既得権益者を

洗い出して国民の主権を取り戻そう。そのためには雇う統一こそ第一だというが 是には民主や維新は総論賛成各論反対で

つまりは 成功はおぼつかない。今年中にまとめることができなければそれはでき名ということである。


誤りではない。欠陥住宅

2015-10-22 09:26:46 | 大いに怒りの炎を燃やせ。

横浜の 欠陥住宅 ここまで来たかと 商道の堕落に慄然とした

のは私だけだろうか。

それも、天下の旭化成、三井住宅ときているから 驚きである。

 

この現象は 一過性の過ちではない。

経団連の中は紳士道もどうやら幹が腐敗しているらしい

新聞紙上でその実態が披露された。杭のの打ち込みもまばら

しかも地盤に届いていない。

 

ここまできたら 欠陥じゅうたく賠償の話では終わらないだろう。

作り直すにしても すでにローン組んでいる人たちは どうなる

のだろう。

絶対にユーザーをなかせることがあってはならない。


国つくりに 手抜きをしたり 邪道を持ち手足りしてはいけない。

2015-10-22 08:06:14 | 日記

道理にそって 国家の 経綸を 行っていくことが 何より

一番の 安全保障なのだ。という自信を持つことこそ日本

出なければ できない ことではないか。

 

ひとつの 寓話であるが 上泉伊勢守という 剣聖がいた。道場からの帰り道に でかい牛がつないでいた。

伊勢守は その牛の後ろを遠回りして 帰った。それを見ていた同僚は 何打あいつ 牛がそんなに怖いのか

と大笑いした。という話にはみんな乗らない。

みんなが乗るのは 京の五条の端の上をひらり ひらりと 飛びはねて 持った扇を投げつけて

鬼の弁慶を謝らせた牛若の話にはよく乗るのだが 道理を含んでいるのは伊勢守理法である。

 

よく言われる「身に寸鉄をおびず。」武芸の本質はここにある。

葉隠れに「武士道とは死ぬことと見つけたり。」という言葉が出てくる。

「死線をこえた人間には そこでつかんだ 絶対の哲学を持つに

いたる。」幾たびが 辛酸をえて 志初めて難し。」と西郷は説いている。

沖永良部に流罪になった 西郷は 屋外に組まれた牢の中で暮らす。雨さらし日さらし文字道理の

囚人の生活であったという。このままでは死ぬというので代官土持氏の母親が 何とか先生を

救ってくれということ それからは 普通の生活に入る。

是が維新の魂である。現在維新の当というのがあるが当時の維新とは無関係らしい。志が

まるっきり違っている。汚物を見るようだ。

その西郷が目指す国家の統治について、天道に元ずく政治を標榜している。即、道義の政治である。いかに文明開化といえども

人間社会に悪なものは、簡単に導入してはならない。

人は古臭いというだろうが、原発は西郷だったら その様なものを

持ち込んではならないと 真っ向に否定していたであろう。

絶対というものは 神は人に与えていないということを科学者は

知るべきである。